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【読書メモ】『DVにさらされる子どもたち 新訳版』(ランディ・バンクロフト/ジェイ・G・シルバーマン)

「DVは夫婦間の問題で子どもには関係ない」「別居したらDVなんて関係ない」……このように共同親権派は主張します。

でも、本当でしょうか?

DV・虐待の専門家の著書から、日々、ツイートしたものをnoteにまとめました。
(なお、小見出しは、抜き書きにあたって追加したものです)

『DVにさらされる子どもたち 新訳版』金剛出版 2022年
ランディ・バンクロフト/ジェイ・G・シルバーマン 幾島幸子:訳


【DVを目の当たりにする子どもの苦しみは見過ごされがち】

私たちはさまざまな支援機関や法律の専門家が、母親が暴力を受ける場面を目のあたりにする子どもの苦しみを見過ごしがちであることに気づいた。身体的虐待や性的虐待が子どものトラウマになる恐れがあることは当時から広く知られていたが、ドメスティック・バイオレンス(DV)を目のあたりにする子どもが同様の心理的影響を受けることは、ほとんど理解されていなかった。目に見える傷のない子どもは、それほど大きなダメージを受けているはずがないという誤った認識がほとんどだったのである。
(序ⅲ ピーター・ジャフィー)

【力と支配による虐待は、別居後の訴訟にもち込まれる】

本書は、子どものトラウマは両親が別居すれば解消するという一般的な誤解を解くために、力と支配による虐待が、親権、面接交渉権、養育費をめぐる訴訟のなかにももち込まれるという事実に光をあてている。また「対立の激しい離婚」「片方の親への嫌悪感上の植えつけ(parental alienation)」をめぐる既存の理論が、加害者の操作的で強制的な行動を正しく解釈せず軽視することで、結果として父親への恐怖心を含む子どもの情緒的問題の責任を、被害者である母親に負わせてしまいがちであることにも批判を加えている。
(序ⅴ ピーター・ジャフィー)

【加害者は愛情たっぷりに子どもの話をする】

加害者は多くの場合、自分のことで頭がいっぱいで子どもの相手をしようとしない反面、たとえ子どもの自由や発達の妨げになる可能性があっても、子どもがいつでも自分の意のままになることを期待する。加害者のなかには、他人には愛情たっぷりに子どもの話をする一方、いったん子どもの要求や独立した人格が自分にとって不都合になったり、自分本位の欲求を満足させなくなると、たちまち子どもに興味を失ったり腹を立てたりする者もいる。子どもはこうした、自分が寛大で重要であるという加害者の絶大な自信に惑わされ、加害者が暴力をふるうのは自分や母親のせいだと思ってしまう場合もある。
(P13)

【加害者は、子どもが無条件で従うことを期待する】

子どものしつけへの加害者のかかわり方は千差万別だが、そこには柔軟性に乏しく権威主義的な傾向がみられる。自分の意思に子どもが無条件で従うことを期待し、子どもが抵抗したり反論するのが許せない。家族からの意見や批判をほとんど受け入れようとせず、いったんこうと決めたら子どもの実際の必要に合わせて調整することができない。
(P38)

【加害者は、子どもは親の要求を満たすのが当然と考える】

子どもは親である自分の要求を満たすのが当然という加害者の考えは、さまざまな形をとって表れる。たとえば、自分が子どもと時間を過ごそうと決めたら、子どもがすぐさま都合をつけるのがあたりまえだと考え、自分の必要を満たすためであれば、子どもが独立を諦めたり、いつでも自分の相手になるのが当然だと考える。別居後は、訴訟を利用して面会を増やすように圧力をかけたり、親権まで求めるにもかかわらず、結局は子どもをほとんど放ったらかしてテレビを見せておくか、親戚に預けてしまったりする。
(P44)

【子どもの写真を見せるのが好きだが、日常的な関心は低い】

加害者の自己中心性はまた、自分をよく見せるための付属物として子どもを利用しようとする一部の加害者の傾向にも表れている。加害者は一般に自分の子どもの写真を見せるのが好きで、「うちのかわいい娘」「うちのかわいい息子」などと言うが、それ以外のやりとりからは、子どもへの日常的な関心が低いことが明らかである。加害者は「子どもを独立した人格としてとらえることができず」「子どもを内面性や情緒的要求をもつ人間としてではなく、他者によって支配されるモノのようにみなしているようにみえる」ことが多い。
(P45)

【面会交流の強制により、子どもは力の乱用は正当化できると認識する】

DVにさらされる子どもは、他人を支配する手段として身体的暴力をふるってもよいと考えるようになる場合がある。被害女性の子ども(とくに息子)が友達に攻撃を加えることが多い重要な理由の一つは、こうした考え方にあるとみられる。さらに裁判所の対応によって、この考え方が強化される場合もある。たとえば加害者と面会したくないのに面会が義務づけられると、裁判所が父親の暴力を是認し、虐待から逃れたいという自分の願いを否定したと解釈したり、力が強いほうの親が法廷での対決に勝つのを見て、力の乱用は正当化でき、望ましいものだという認識を強めることもある。
(P63)

【加害者の要求との中間点を迫られる】

加害者は最初に極端な要求を出し、あとから妥協案を提示するという方法で調停のプロセスを操作することがある。このとき被害女性が「相手の要求との中間点で妥協する」ことに難色を示すと、柔軟性がないという印象を与えてしまう。被害女性によれば、たとえ不公平で子どもに害が及ぶ可能性がある条件でも、加害者への恐怖から、あるいは調停員が加害者のほうが交渉に前向きだと裁判官に報告するのを心配して、妥協案に同意してしまうのだという。だがこうした妥協が後々になって裏目に出ることもある。ある被害女性は、親権評定の担当者から「そんなに危険な人物なら、なぜ監督なしの面会に同意したのか」と問われたという。その一方で、被害女性が早い時期から監督つき、または制限つきの面会を求めると、調停に入る前から父親と子どもを離そうとしていたと非難されることもある。
(P162)

【調停の場でのハラスメント】

加害者は調停の場で、敵意をむき出しにする、脅しの言葉をつぶやく、下劣な発言をするなどして元パートナーを威嚇しようとすることも多い。また加害者側の弁護士がその手先となって被害女性の発言を冷笑したり、さらなる法的措置をとると脅すこともある。また加害者が、調停でのやりとりに以前の力関係をもち込もうとすることもある。
(P162)

【離婚後のリーガル・アビューズ(法的な嫌がらせ)】

加害者は法的手段に訴えることによって、元パートナーに大きな圧力をかける。面会回数の増加、養育費の引き下げ、その他たび重なる要求は被害女性に精神的苦痛や経済的困難をもたらし、その結果、裁判で何度も仕事を休んだために失職することもある。ほとんど子どもに面会せず養育費もきちんと支払わないのに、大きな祝日や子どもの誕生日には面会を申し立てる加害者もいるが、こうした大切な日に子どもと一緒にいられないことは、被害女性にとって精神的苦痛となりうる。また宣誓供述書など裁判所に提出する書類に、被害女性の感情を傷つけるような記述が記載されることもある。
(P162)

【共同親権は子どもを緊張関係にさらす】

特権意識の強い加害者は、自分の要求よりも子どものニーズを優先することに消極的で、子どもを「武器」として使うことに何のためらいも感じないことが多い。こうした男性は自分以外の人間の必要に配慮することなど頭になく、誰かと共同で意思決定を下すことは不可能に近い。したがって法的な親権や監護権を共同にした場合、子どもを長期にわたって両親の緊張関係にさらすことになりかねない。またこうした加害者は、子どもの幸せは自分との関係にかかっているとの思い込みが極端なほどに強く、母親の重要性を軽視する傾向にある。
(P214)

【家事事件専門の弁護士および弁護士会への助言】

  1. DVの力学や加害者が子どもに及ぼすリスクに関して、家事事件専門の弁護士が受けられる研修を増やす。親権や面接交渉権、子どもの養育についての訴訟で被害女性を適切かつ強力に代弁できるよう、弁護士に専門的な研修を行うことが必要である。

  2. 弁護士会は、親権あるいは面接交渉権の訴訟中の被害女性が、無料あるいは低額の法的サービスを受けられるように努力する。

  3. 親権あるいは面接交渉権の訴訟における、加害者の法定代理人の行動基準を設ける。これは弁護士の活動を適切な法的サービスの提供にとどめ、加害者の手先になって被害女性への虐待に加担しないようにするためのものである。(P277-278)

【被害女性に対して敬意を持って接する】

著者たちは一貫して、被害女性に対して敬意をもつことの重要性を強調している。DVの被害に遭った女性は加害者によって人格を否定されたり貶められたりして、親としての権威を失わされている。DV家庭の子どもの情緒的回復を図るには、そうした女性の立ち直りとエンパワーメントが不可欠であり、そのためには専門家をはじめとする周囲の人間が、被害女性に対して忍耐と礼儀と敬意をもって接することが不可欠だという。被害女性を上から目線ではなく、対等な人間として扱うというのは、ジェンダーの視点からもきわめて重要なポイントだと思われる。
(P280 訳者あとがき)

【DVのある家庭に育つ子ども】

本書で著者たちが強調するのは、DVのある家庭に育つ子どもは、単に加害者の暴力行為だけでなく、加害者がいることによって作られる家庭内の雰囲気や家族関係の力学に、情緒面・発達面で大きな影響を受けるということだ。したがって、個々の暴力行為が子どもに及ばす影響を臨床的な見地から取り上げる従来の狭いアプローチでは不十分であり、家族関係・親子関係を全体的にとらえることが必要だというのである。またこうした立場から、加害者が虐待したのは母親だけで、子どもは虐待していないのだから、父親としての適格性は認めるべきだという考え方も誤りであると著者たちは指摘している。
(P279 訳者あとがき)


お読みいただき、ありがとうございました。
他にも、離婚後共同親権やDVについて考えるのに、参考となる本を紹介しています。どうぞご覧ください。


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