見出し画像

納豆を混ぜるだけでも偉い

午前11時40分

私は納豆をかき混ぜ、早めの昼食を準備していた。
5月もそろそろ終わりが近づき、本日は梅雨を感じさせないほどの晴天が広がっている。こんな日は車でどこかへ出掛けたい衝動に駆られるが、生憎そんな遊びに付き合ってくれる友人はいない。だから、こうやって仕方なく納豆をかき混ぜている。

本日の昼食のメニューは、キャベツと豆腐のお味噌汁と納豆ご飯、キムチといったところだ。一人暮らしの男子大学生にしては、まともな食事ではなかろうか。一人暮らし、男、と言うだけで自炊しない雰囲気があるが、私は断然自炊派である。


自炊をすること、それはつまり料理をすることである。また、それはマルチタスクをこなすということでもある。つまるところ、

料理ができる奴=マルチタスクができる奴

ということが言いたい。この文章の流れだと、あたかも私がマルチタスクができる高スペック男子大学生のようだが、実際は違う。


マルチタスクとは、複数の作業を同時、または短期間に並行しながら実行することである。まさに料理である。

「玉ねぎを炒めている間に別の野菜を切る」
「パスタを茹でている間にソースを作る」
「煮込んでいる間に洗い物を終わらせておく」

などなど。
料理とはマルチタスクそのものであると考えることができる。
しかし、料理とはマルチタスクでなくても完成させられる。玉ねぎを炒める時に他の作業をせずに集中すればいい。予めソースを作った上でパスタを茹でればいい。


では、なぜ料理=マルチタスクという考え方をするのか。答えは単純である。

「温かいご飯が食べたい」
「無駄な時間を無くしたい」

これに尽きる。

ご飯は温かい方が、出来たての方が美味しいと、縄文時代から決まっている。湯気立ち上る完成したての料理の最初のひとくちを口に運ぶ時は、その一日の中でも幸せランキング上位に入る瞬間だと思う。

また、人生とは悲しいことに有限である。私たちは限りがある人生という時間を1秒でも無駄にしていいのだろうか、いや、いけない(反語)。
如何にして時間を有効に使うか、これは料理のみならず、生きる上で必要なスキルではないだろうか。


ここまで、料理=マルチタスクということを語ってきた。
マルチタスクができる大人というものは、誰から見ても格好の良いものである。また、憧れの的になるものでもある。
そんな大人になる為の訓練が料理だということだ。

「食パンを焼く間に、コーヒーをドリップする」

まずは、ここからスタートしても良いと思う。

私はマルチタスクができる大人になりたい。
だから、自炊をする。そういうことにしておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?