トパーズ~虹と共に~〔4〕


≪4≫

【1】


『ねぇ、紗弥加〜どっちを応援するの? ジェイ? それとも俊介?』

背後から私の肩に手を回して耳元で囁かれた。それは、最後の見せ場である女子生徒と女性モデルとのリレー対決を終えて自慢げに勝ち取ったトロフィーを持って現れた響ちゃん。

『もうッッ! びっくりしたじゃない! 背後から音もなく近づかないでよ〜』

『で、どっちを応援するわけ?』

『うーん……。悩むトコロだよね……。俊介は同じクラスだし……、でもジェイもレノンも家族も同然だし……』

本当に難しい。どっちにも勝って欲しいし、負けても欲しくない……。

『響ちゃんはどっち?』

『あっ、それを聞いちゃう? 私に♪』

『………。ごめん、聞いた私が馬鹿でした。ジェイでも俊介でもなくレノンだよね』

『あったりぃ〜♪ だから、事務所側かな〜♪ ねっ、どっち?』

『………。と……智香はどっち?』

答えに困ってしまって智香に助けを求める。

『ん? そうだなぁ。ジェイやレノンはまた来年も見れるかも……だから、同じクラスのよしみで俊介を応援してやるとしよう。心はジェイとレノンで♪』

智香、うまくまとめたな。私は……。

『どっちかなんて選べないから、どっちも! ……ってダメ!?』

『しょうがない、その答えで我慢するとしよう。ジェイにはジェイを応援するって言ってたって伝えとくねー。倍以上の働きをすると思うから〜♪
じゃぁね〜』

『ちょっ……、響ちゃん! 倍って……、どういう……』

響ちゃんは私の声も聞かずに手をひらひらと振りながら去っていってしまった。

『智香、最後の言葉ってどういう意味なんだろう?』

『ん? うーん……。今のでなんとなくしっくりきた気がする』

と智香もなんだか意味ありげな言葉を言ってニヤニヤしてた。なんだか私だけが取り残されてる気がしてしまった。

『私もジェイとレノンのトコロに行ってくるね! すぐ戻るから〜♪』

と智香は走って行ってしまった。本当に取り残されてしまったじゃん……。私も行こうか……と思っていたら、

『紗弥加』

と声をかけられた。振り向くと俊介だった。

『あっ、俊介。頑張ってね、リレー。ジェイもレノンも今日の為に鍛えてたみたいだから歳がいもなく……』

『応援してくれるのかな? やっぱ、事務所側を応援すると思ってたからさ』

うっ……。痛いトコロをつかれてしまった……。

『じ……実はどっちかなんて決められなくて……』

『正直だな、紗弥加は。嘘でも学校側をって言えばいいのに』

『エッッ。………あっ、本当だね』

『じゃっ、俺も行ってくるよ』

『うん、頑張ってね』

俊介は爽やかに走り去っていった。俊介にも声援を贈ったことだし、ジェイとレノンにも声援を贈ろうと、ジェイ達の元に行くことにした。なんだかファンの人達でごちゃごちゃしてて、見つけられずにキョロキョロしてたら、

『紗弥加〜! こっちだよ〜!』

とピョンピョン跳び跳ねながら智香が私を呼んでくれた。

『ジェイ、頑張ってね』

『去年は負けたから、今年は負けられないしな。涼さんにも勝ってこいって釘刺されてるしな。じゃあ、行ってくるよ、サーヤ』

ポンポンと私の頭に手を乗せて自分の場所へと走って行った。

『レノンも頑張ってね』

『ありがと。今年も負けると涼さんに嫌がらせされそうだしな……』

体育祭一番の盛り上がりをみせる最後の競技、学校代表VS事務所代表のリレーが始まった。やっぱり若さには負けてしまうのか、第三走者までは学校側に軍配があがった。
第四走者はレノン。響ちゃんはもう乙女全開でレノンを必死で応援してる。レノンは差を縮め始めて第五走者へとバトンを託して役目を終えた。響ちゃんは瞳を潤ませながら

『さすがに三十路を越えての全力疾走はこたえるわ〜!』

とへたって地面に寝転がって笑ってるレノンに

『かっこよかったよ。さすが私のレノンだね』

って膝枕をしてあげて汗を拭いてあげていた。レノンに『お疲れさま』とだけ伝えて智香とゴール地点へと小走りで向かった。

『紗弥加、やっぱり絵になるね。なんかのドラマのワンシーン見てるみたい』

『本当だね』

って智香と笑いながら。学校代表のアンカーである俊介にバトンが渡る。
さすがはサッカー部のエース。俊介にバトンが渡った途端、あちらこちらから女子生徒の黄色い声や男子生徒の太い声。ほんの少しの差で事務所代表のアンカーであるジェイがバトンを受け取った。そして更に黄色い声。

『走る姿も写真の様に素敵〜♪』

とすっかり目をハートにしてジェイを思いっきり応援する智香。さっきは一応、俊介を、心で……って言ってなかったっけ?
我が友よ……。
半分ほど走ったところでジェイが俊介と並んだ。声援はより一層熱を帯び、

パンッ!パンッ!

とリレー終了の合図が鳴った。ゴールを過ぎ、ゴールの側で見ていた私にもたれ掛かるように肩に手を置いたジェイはスルスルと私を軸にするかの様にそのまま地面に寝転んでしまった。

『お疲れさま』

そう言って、ジェイの頭元にしゃがんだ。さっき響ちゃんに渡されたタオルを手渡して、スポーツドリンクを額に乗せた。

『しんどーーーッッ! 死にそう。俊介、はえーッッ。で、どっちが勝った? 俺? 俊介?』

『リベンジ成功!よくやったわ、ジェイ』

『あっ、涼パパ』

涼パパやレノン、響ちゃんにリレーに出たメンバーが集まってきた。

『やるじゃん、俺。俺には特別に天も二物を与えてるんだな、やっぱり』

『ばっかじゃないの、あんたのおかげじゃないわよ。レノンが差を縮めてくれたからに決まってるでしょ。あんたは本当に僅差で俊介に勝っただけよ』

と寝転がってるジェイの頭を足でこついて響ちゃんは言った。

『てめぇ。本当に覚えてろよ。後で倍返ししてやるからな。涼さん、ご褒美に明日はオフだよねー♪』

『何言ってくれてんのよ。あんたも、レノンもずいぶん前からチャッカリ明日をオフにしてるじゃないの』

『歳でモウロクし始めてんじゃないの? あんたの頭。可哀想にぃ、レノンより若いのに』

『チッッ』

と舌打ちするとムクッと起き上がり『待て、響!』と響ちゃんと追いかけっこ状態になってた。

『レノン、響ちゃんを助けに行かなくていぃの?』

って聞いたら

『いいんだよ、彼奴等に付き合ってたら体力もたないよ。いつものことだろ?』

『それもそうだね』

と話していたら閉会式の案内のアナウンスが聞こえた。

『紗弥加、今夜はリベンジ成功のお祝いパーティーよ。智香も呼んであげたら?』

と自分達の集合場所へ戻ろうとした私に涼パパが言ったので、

『わかった、言っとく〜!』

と返事をしてその場をあとにした。

その日の夜は言葉通りの飲めや騒げのどんちゃん騒ぎだった。智香はジェイやレノンはもとより他のモデルの子達とも話をしたり、一緒に写真を撮ったり……と終始目をハートにしながら過ごしてた。

『相変わらず智香はパワフルだね』

『あ、レノン。そうだね。あのパワフル元気にいっぱい助けられてるしね。あれ? 響ちゃんは?』

『あそこで相変わらずジェイとジャレてるよ』

レノンの指差す方を見るとジェイと響ちゃんが毎度の様に言い合いをしていそうな雰囲気だった。

『あの二人ってなんで揃うとあんなになっちゃうんだろ? レノンには絶対しないのに』

『ん? あれはあれで二人のコミュニケーションの取り方なんだろ。響もあれで三人の弟と妹を持つ長女だし、兄弟のいないジェイに何かしら思うところもあるんだろ』

『そうだね。響ちゃんってお姉さんって感じだもんね。ジェイの方が年上のくせに弟みたいだもんね。ってことは我が家の長男はレノンだね。で、お父さんとお母さんは涼パパだね』

『『プッッ』』

二人で涼パパを想像してお腹を抱えて笑った。

『いつまでもこうしてみんなと家族みたいに過ごせたらいいのになぁ』

本当に……。
パパとママとおばぁちゃまが亡くなってもみんなが居てくれたから私は笑って過ごしてこれた。

『そう言えば、俊介とはあれからなんか変化はあったわけ?』

『エッ! 急に話を変えないでよ。
………、別に今までと何も変わらないよ? 俊介も今までと態度も変わらないし……』

タバコに火を付けゆっくりと吸い込み、煙をゆっくりと吐き出しながら

『そっか。紗弥加自身はなんか気持ちの変化とかはないの? 俊介を見て何かしら胸に響くとか……?』

優しい口調で言った。

『…………。智香にも言われたけど、本当によくわからないの。響ちゃんのレノンに対するみいな感情が俊介に対して私の中にあるわけじゃない……。かといって智香みたいにジェイ達に対するミーハーな思いがあったりするわけでもないし……。ジェイを取り巻く女の人達みたいにギラギラした感情があるわけでもない……』

タバコを燻らせながら優しく穏やかな笑顔で私の話をレノンは聞いてくれていた。最後の一吸いをしてタバコを消しながらレノンはゆっくりと口を開いた。

『まだ紗弥加の中で期が熟してないだけだよ。ゆっくり自分と向き合いながら答えを探せばいい。お兄さんがいつでも相談にのりましょう♪』

『うん。その時は相談にのってもらうね』

『何の相談なのよ〜? 親友のあたしを差し置いて〜』

と智香が後ろから抱きついてきた。レノンと二人で

『内緒だよね♪』

って言ったら、どこから現れたのかジャレあってたジェイと響ちゃんもやって来て

『ずる〜い』

と響ちゃんと智香が声を揃えてふてくされていた。ジェイはレノンに絡み何かしら聞こうとしていたみたいだけど、案の定、響ちゃんに邪魔をされて、また言い合いが始まっていた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、涼パパのスピーチ(?)にヤジを飛ばしながらお開きの時間となった。

『ずっとみんなとこうして過ごせたらいいのになぁ』

と独り言の様に呟いた私の声に傍にいたレノンは

『でも、形は日々変わっていくものだよ。河の流れの様にね』

『えっ?』

どういう意味なんだろうと聞き直そうと思ってレノンを見上げると

『さぁ、帰ろう! ジェイと酔っ払いの響を連れて帰らないとな』

と私の背中をポンッと叩いてジェイと響ちゃんを連れて出口へとレノンは歩いていった。出口では事務所の人達が涼パパにお礼と挨拶をしながらそれぞれ帰っていった。

『涼さん、呼んでくれてありがとねー♪ 最高に楽しかったぁ♪ 紗弥加、また月曜日ね〜♪』

と涼パパにペコッとお辞儀をして、お酒も飲んでないのにかなりの上機嫌で智香は帰っていった。

『本当に楽しい子ね、智香は。さっ、酔っ払いを連れてとっとと帰りましょ』

そう言って店の駐車場まで歩いて向かい、涼パパは運転席に、私は助手席に座った。

『響の奴、酒弱いくせに酒好きってあり得ないだろ。レノン、響にもう飲むなって言っとけよ。お前の代わりにずっと相手してやったんだから感謝しやがれ』

『わかった、わかった。いいから早く乗れよ』

『ジェイ!あんた、生意気よ〜! レノンにそんな口きいてんじゃないわよ! …………………す〜ぅ』

『カァーッッ
寝言かぁ!? どこまでもムカツク奴だな。レノン、早くコイツと別れろ!』

そんな会話のやり取りが家に着くまで永遠と続き、涼パパと私は溜め息をつきながらも、クスクスと笑っていた。

――――『でも、形は日々変わっていくものだよ。
                 河の流れの様にね。』――――

変わらないで欲しいと思うのは私の我が儘なんだろうか……。みんなとこうして過ごせたらと思うのは……。




≪4≫

【2】


体育祭も終わり、体育祭の写真が貼り出され、写真の周りにはひっきりなしに生徒達の黄色い声と人だかりが出来ていた。

『智香は見ないの? 写真』

『う・ふ・ふ・ふ。この智香様を舐めてはいけません。貼り出される前に写真部に直接行って既に購入予約済みなのです』

と誇らしげに仁王立ちになり、ピースしていた。

『恐れ入りました。でも、よく見せてくれたね。いつも貼り出しまでは絶対に近寄らせてもらえないのに……』

一人に許してしまうと写真部に人がごった返すから何があっても公開日(大袈裟?)までは絶対に見せてもらえないのだ。

『実は今年から顧問になった先生、レノンの大ファンらしいの。で、レノンにお願いして私が撮った写真にサインしてもらって、それを先生に袖の下としてお渡ししたってわけ。内緒よ♪』

と口の前に人差し指を付けて「シーッ」と小声で教えてくれた。
先生…………。
生徒に手のひらで転がされてどうするの……。智香、袖の下って、あなた、最近時代劇にハマってるって言ってたけど、感化されすぎだよ……。ていうかその企みに加担するレノンもレノンだよ……。ジェイならやりそうだけど……。

『ソコまでしなくても順番に待てば見れるじやない?』

『なぁに言ってんのよ。一番に見るからいいのよ。後になればなるほど写真にカバーはしてあるけど、カバーに手垢とか付いて見にくくなっていくんだからッッ』

あぁ、それで……。人混みが嫌だから最後の方で人が少なくなった頃に見に行くんだけど、その頃にはうっすらマクがかかったようになってて見にくくなっている……。

『いつも頑張って早めに行くけど、それでも少し手垢とか付き始めてるんだよね。でも、今年は高校生活最後だから絶対綺麗なままで写真を見たかったんだもーん』

人だかりを背中にして私達は学校をあとにした。

『ねぇ、紗弥加。久々にお茶でもして帰らない?』

『そうだね。行こ、行こ』

バス停を少し通りすぎ、小路に入った所に小さいけど、美味しい手作りケーキのある可愛い喫茶店がある。そこは私達のお気に入りのお店。

『この前は体育祭の打ち上げに呼んでくれて本当にありがとね。楽しかった〜♪』

『レノンが智香のコト、パワフルだねって行ってたよ』

『うっそーッッ』

『本当。だってこっちに居たと思ったらすぐ違うトコにいるし……』

『だって、あんな機会、そうあるもんじゃないし……。新人さんなんてめったにお会いできないし、この先ブレイクしそうな人を先に見つけるのが楽しいんだよねー♪』

私達は2時間も話に花を咲かせ、いろんなコトに笑い合った。店を出て、バスに乗り私達は帰ることにした。

『じゃぁ、またね』

と手を降って智香より2コ手前で私は降りた。空を見上げるとなんだか雲行きが怪しくなっている。どんよりと灰色の雲が広がり始めていた。なんだか雨が降りそう……。天気予報はそんなこと一言も言ってなかったのに……。
早く帰ろう。少し早足になりながら急いで家に帰った。

『ただいまー』

『………………』

あれ? 応答がない……。いつもなら涼パパが答えてくれるのに……。不思議に思いながらキッチンを覗いてみた。誰もいない……。ドコに行っちゃったんだろうと周りを見渡すと、ダイニングテーブルに紙が置いてあった。

「紗弥加へ
お帰り。冷蔵庫とコンロの鍋に用意してあるから、温めて食べてね。
ごめんなさいね、一人にしてしまって。
明日の夕方には戻るから。
お土産買ってくるからね。
           涼パパより」

あっ…………。すっかり忘れていた。涼パパはレノンが海外での撮影があって、現地のスタッフに挨拶する為にレノンと一緒に行ってるんだった。響ちゃんも今日は朝から夜まで仕事が入ってて、ただでさえ10日もレノンに会えないのに見送りにも行けないって朝から拗ねてたっけ……。ジェイも3日前から撮影に出てて明日にしか戻らないんだった……。今日は一人なんだった。なんだか家の中がとっても広く感じる……。いつもの音がしないことが心に何か穴を空けてしまったような……。
きっと、この天気のせいだ。
天気予報でも言われてなかったこの灰色の空……。
なんだか気分が落ちていきそうだからテレビでもつけて音を部屋に響かせることにした。
ご飯を食べて、リビングで過ごそうかとも思ったのだけれど、一人で過ごすリビングはとっても広く感じられた。なんだかそんな空間が嫌でやっぱり自分の部屋で過ごすことにした。テレビをつけて見ていると窓を叩く音が聞こえてきた。窓から外を除くと外は雨が降り始めていた。こんな日に降らなくってもいいのに……。そう思いながらテレビに集中した。外ではどんどん雨が酷くなっていっていた。なんだか遠くで雷の音まで聞こえてくるような気がする……。

どうしよう……。

誰もいないのに……。

雷まで鳴り始めるなんてことになったら……。


 「臨時ニュースです。」


えっっ…………。テレビに目をやると飛行機が墜落したと言っている。
ど……どうしよう……。
体が震えてき始めた……。
大丈夫。
もうあれから随分と経ってるんだから……。
落ち着こうと胸に手を当てて息を大きく吸い込んだ。目を閉じてゆっくり、ゆっくりと息を大きく吸い込む。
その瞬間窓の外が光った。
少しして雷が轟いた。

嫌だ……。

嫌だ……。

5歳の私がフラッシュバックする……。

あの日も天気予報とは違って急に大雨が降り始めた。海外での仕事があって今回は私も一緒に連れて行ってもらえるとはしゃいでいたのに、風邪をひいてしまった私はパパとママと一緒に出掛けられずに留守番をしていた。パパとママが帰国する日には熱も下がり、大好きなおばぁちゃまとご飯を食べて遊びながらパパとママの帰りを待っていた。

『おばぁちゃま、お外、凄い雷だね。パパとママ、怖がってないかなぁ』

『大人だもの、大丈夫よ。早く帰ってくるといいね』


「臨時ニュースです」


顔を上げてテレビを見たおばぁちゃまの顔が強ばった。その瞬間、おばぁちゃまは私を強く抱き締めた。そして電話の音が家中に鳴り響き、電話に出たおばぁちゃまがドラマのワンシーンの様に受話器を落とし、傍で立ち尽くす私をもう一度強く、強く抱き締めた。
次の日、パパとママは無言の帰宅をした……。
それ以来、私は雨も雷も嫌い。特にこんな予報外れの嵐は大嫌い。息が苦しくなって、あの日がフラッシュバックする。
どうしよう……。
雷もどんどん近づいてきてる気がする……。
大丈夫。あの日とは違う……。今日は誰も飛行機には乗っていない……。さっきのニュースで報道されていた飛行機に乗っていた人には申し訳ないけど、あの飛行機には乗っていない……。

安心しなきゃ……。

落ち着かなきゃ……。

頭では違うとわかっているのに体は言うことを聞いてくれない……。気にすれば気にするほど息が苦しくなってくる……。誰かに電話……。
気が動転してしまって携帯を握り締め電話帳の検索画面を開けるものの目が滑って字を理解できない……。涙まで出てくる始末で、何がなんだかよくわからなくなってきた……。なんでこんな時に……、誰もいない時にこんな天気になったりするのよ……。
頭の中で5歳の私がパパとママにすがりつき、必死で揺らして起こしてるシーンが浮かぶ……。


『パパァァァ!ママァァァ!
起きてよぉぉ。外国のお話、いっぱい聞かせてくれるって……。いい子でおばぁちゃまとお留守番してたよぉぉ。
ねぇ、ねぇ。朝だよぉぉ』


『焼いちゃダメー! パパとママが火傷しちゃうぅぅぅ!
熱いよって泣いちゃうから!
ダメー!
紗弥加を置いていっちゃいやぁぁぁ!
ダメー!
パパとママを連れていかないでー!』

必死になると子供でも凄い力を発揮するらしく、泣きじゃくる私をおばぁちゃまと涼パパが二人がかりで抱いて止めていた。あの頃の映像が目に浮かんで、私はすっかりパニック状態になってしまって


『いやぁぁぁぁぁぁ!』


と叫んでいた。


―バンッッ!―


『サーヤ!』

突然大きな音を立てて開け放たれた部屋のドアに目を向けるとそこには肩を上下にしながら息を切らし、心配そうな顔でジェイが立っていた。すぐに駆け寄り、私をギュッと抱きしめて背中を、頭を撫でながら

『大丈夫だ。大丈夫だからゆっくり息して』

震える私になだめるように優しい声で、ゆっくりと言いながら。

『早く終わったから、今日はみんな居ないのわかってたし、急いで帰ってきたんだ。そしたら急な大雨になるし、雷も鳴り始めるし……。ごめんな、こんな時に傍に居てやれなくて……。でも、もう大丈夫だから。大丈夫だから……』

それでもすぐにはパニック状態が治まるはずもなく、私は小さな声で

『パパ……。ママ……』

と呟き泣きじゃくっていた。

『サーヤ、もう泣かなくて大丈夫だよ。落ち着いて。俯いてないで顔を上げて……。ちゃんと俺を見て。大丈夫だから』

『……………』

ヒック、ヒックとしゃくり上げながら少しだけジェイの胸から顔を離した。潤んだ視界からジェイの心配そうに微笑む顔が映る。ジェイは撫で続けてくれていた両手でそっと私の頬を包んだ。両手の親指でそっと私の瞳の下を撫でて滴り落ちる私の涙を拭ってくれた。それでも涙は止まるコトを知らず、一人ではないという安心感もあってなのか後から後から溢れてくる。それでも涙を拭ってくれていたジェイの指先が止まった。
額に暖かいものを感じた。
ジェイはそっと私の額に口づけをした。そして、その暖かな唇は優しく私の両方の瞼にも降りそそがれる。そして、涙を追いかけるように両頬にも優しくキスをする。

『………サーヤ。好きだよ』

と囁くように呟き私の唇にキスをした……。

『………………!』

『ただいまー!』

『響の奴、やっと帰ってきやがった』

そう言って私を一人部屋に残し出ていってしまった。何が起こったのかよく理解できないまま私の頭は思考停止してしまった。響ちゃんが開け放たれたドアからひょこっと顔を覗かせた。

『ただいま、紗弥加♪ 急な雨でもう最悪だったわ。ごめんね、遅くなっ……ちゃ……』

響ちゃんの声が少しずつ小さくなっていった。唇を隠すように両手を口に当てて、涙の溜まった瞳を見開いている私を見たからだ。響ちゃんは私の傍に駆け寄り、私の目の前に座った。

『紗弥加? どうしたの? 何かあった?』

『…………された』

『え? ゆっくり焦らなくっていいから話してみて?』

『……ジェイが……。キス………された。………好き……だよ……って』

ボソボソと呟くように言うと響ちゃんは

『……………。
とりあえず、落ち着こう? ジュースでいい? 私の部屋の冷蔵庫から取ってくるから待ってて』

そう言ってジュースを私に渡してくれた。響ちゃんは何も言わず、コーヒーを片手に私の傍に座りさっきまでの雨が嘘のような星空を眺めていた。どれくらい時間が経ったんだろう……。もしかしたら、そんなに時間は経ってないのかもしれない……。頭が混乱しすぎて長く感じているのかもしれない……。私は俯きながら、手にしたジュースをじっと見つめた。

『………響ちゃん……』

『ん? 落ち着いた?』

『……うん。たぶん……』

『びっくりしたよね?』

『うん……。今までずっと家族みたいに一緒に居て……』

『そうだよね……』

そう言うと響ちゃんは暫く黙ってしまった。

『……………。紗弥加はジェイのコト、嫌い?』

そう言われたことに思わず声を大きくして

『嫌いなわけないっ!』

と叫んでいたことにハッとして

『………だって……、家族みたいに……』

また俯いてボソボソと呟くような声になってしまった。響ちゃんは優しく、静かに言い始めた。

『紗弥加……。実はね、私も、レノンもジェイの気持ち、知ってたよ』

その言葉が私には衝撃的でびっくりして響ちゃんを見つめた。響ちゃんは少しすまなそうな笑顔で話を続けた。

『ジェイはね、たぶん、紗弥加のその思い、わかってたんだと思うよ? 家族のように大事に思ってるってこと……。だから、本当はずっと言うつもりはなかったんだと思う。ずっと家族を演じ続けるつもりだったと思う……』

『じゃぁ、どうして……?』

私は動揺を隠しきれていない、なんとも表しようのない表情になっていたんだと思う。

『……俊介の存在だと思う』

あっ………。あの日、なんで俊介の話題が出たのか不思議だった。今までも実は響ちゃんに好きな人のコトとか、振られたコトとか相談してたけど

『女同士の秘密ね♪』

って絶対に、レノンにさえ言わないでいてくれたのに、あの日、どうして言ったのかとても不思議だった。

『ごめんね、紗弥加のコト、私もレノンも本当に妹みたいに大好きだよ。でもね、でも……』

響ちゃんはコーヒーを一口飲み、一呼吸おいて話を続けた。

『私達はそんなジェイを見ていられなかったの……。あんなに不器用なジェイを……。器用に紗弥加の前では家族を演じるジェイを……。だから、だから……』

今度は響ちゃんの方が俯いてしまった。

『私達はジェイの背中を押してあげたかったの……』

いつもは言い合いばっかりしてるのに、本当は凄く仲がいいコト、知ってたよ、響ちゃん。

『ごめんね、紗弥加の気持ちを無視したかった訳じゃないの。でも……』

残りのコーヒーを飲み干し響ちゃんは大きく深呼吸をした。そして、優しく、とても綺麗な笑顔で私を見つめて

『私の懺悔はおしまいっ。恨んでくれてもいい。嫌いになってくれてもいい。紗弥加との女同士の秘密をバラしたのは私。でも、ジェイのコトは嫌いにならないであげて? 難しいかもしれないけど、今まで通りにしてあげて欲しいの』

『響ちゃんを嫌いになったりしないっ! レノンも、ジェイだって……。でも、どうしたらいいのかわからなくて……。響ちゃん、どうしたら……』

響ちゃんは少し瞳が潤んでいるように見えた。

『あの時も言ったけど、ゆっくりでいいの。そうしたら紗弥加の気持ちが自分で見えてくるから。今までもそうしてきたでしょ? 振られたコトもあったしねー♪』

『あっ、昔の痛手は言わないでっっ!』

『私の部屋に急に入ってきてわんわん泣いたよね〜♪』

『もう、響ちゃん!』

傍にあったクッションを手にして響ちゃんめがけて投げつけた。顔が真っ赤になってるのがわかるくらいに頬が熱かった。でも、そうしているうちに気持ちも軽くなり、レノンのノロケ話しになったり、その後、俊介とはどうなの?と突っ込まれたりしながら笑って過ごした。今日はいろんな意味で大変だったけど、響ちゃんの言う通りゆっくりでいいんだよね?
と自分に言い聞かせた。ジェイにも普通に接することができるかな……。智香に相談したらどういう反応が返ってくるんだろう……。なんか怖い………。そんなことがグルグルと頭を回っていつの間にか眠りに落ちていた。




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