発達障害って何?

不快に思う方もいらっしゃるかもしれません。ご容赦ください。

発達障害ってどう捉えるといいのか、すごく難しい問題だと思う。

例えば、私が小学生の頃は当たり前に「自閉症」という言葉を使っていたが、今は人によって程度の差があるという意味合いで、「自閉スペクトラム症」という言葉を使っているらしい。

この「程度の差」というものは厄介なもので、診断しにくい要因になっていると思う。

この傾向を拡大解釈すれば、「すべての人は何らかの精神疾患/発達障害の傾向を持っている」と私は思っている。よく学校に遅刻する人も、2chにときどき現れるちょっと変な人も、彼を「ガイジ」呼ばわりして嘲笑している人も。

数年前の大学の講義で、面白い議論があったので、(何も参照せずに)書き出してみようと思う。「左利き」と「同性愛」と「発達障害」は同じ道を歩むだろう、という話だ。

「左利き」はまず、さまざまな宗教でタブー視されている。「左手は不浄」だとかインド人は食事で左手を使わないとか。この点で左利きは宗教的に罪とされた。

その意味合いが失われ、今度は治療の対象となった。年配の方は特に矯正させられた経験を持っている人が多い。これはこの世界が大多数右利き中心に作られているからだ。ハサミのアシンメトリーとか改札とか。そういった社会に適応しにくい性質は、医療を盾に護ってあげないといけなかったのかもしれない。

今では治さなくてもいいが個性として認知されている。「左利きに天才が多い」だとか言われたり、物珍しがられたりしている。

「同性愛者」はキリスト教の中で罪とされている教義があり、そのイメージを持っている人が多い。生殖に関係ない性的関心に対して後ろめたさがありそう。

そしてその後は治療されるべき対象になった。50年前くらいは、男性同性愛者に対して、美形の男性の写真を見せると同時に電流を流し、女性の写真を見せるときは何もしない、みたいなことを治療として行なっていたらしい。それは拷問ではないのか、と今の感覚では思う。しかしそれは同性愛者に対する世間の不寛容な時代の中でも、彼らの存在がなかったことにできないという事情があった。

同性愛者がいち個性として認知されてきたのはほんとにここ10年の話である。LGBTQ+などの言葉が広まっているし、以前は楽しんごなど性的マイノリティーのタレントがブームだった時代もあり、その流れを組んで今でもテレビにマツコ・デラックスが出演している。ただし、年配になればなるほど「気持ち悪い」などの感覚が根強い。私の両親とかはまだそんな感覚だろう。

ここまで見たように、左利きと同性愛者は「宗教的な罪→(当事者を社会から守るための)治療の対象→個性」という道を歩んでいる。さて、「発達障害」はさらに遅れてこの道を通っているのではないか。高校の古典の授業でも、通常とは異なる精神状態で奇行に走る人を「ものくるひ」とレッテルを貼り、預言者扱いするようなシーンがあった。他にも「取り憑かれている」「祟り」などと、よく分からないものに対して神を活用した意味づけをしていた。

そして現在は治療の対象となっている段階であるのは言うまでもないが、最近診断数が増えているようだ。これは発達障害の特徴をある程度持っているがゆえに、じっとしていられないとか、人の気持ちを汲み取れないとか、社会的な生活に不都合な特徴によって、当事者たちは生きづらさを感じ、医師に診断を仰ぐケースが増えたからだと思う。それは病気である、という断定がなさるだけで、実態の分からない生きづらさに名前がつけられる安心感を得られる、という心理もあるのかもしれない。

将来的には、発達障害も「障害」という言葉が除外されたり、個性として扱われていくことになるのだろう。実際、国連は日本に特別学級の廃止を勧告している。ダイバーシティ・インクルージョンだ何だとは言っているが、これに関して私は「時代が早すぎる」と思う。焦ることなく、発達障害についての知見をさらに広げたり、イデオロギーが変わっていくのをもう少しじっくり待ってもいいのではないかなと思う。

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