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綺麗になること "が" コンプレックス

普通は「コンプレックス」をプラスに変えてキレイを目指す。

しかし、私の奥底には「綺麗になる事へのコンプレックス」が深く眠る。

深く眠っている時はよいのだが、キレイになるぞ!と思うと、まてまて…モゾモゾと動き出す。

「痩せたい」と思う反面「痩せたくない」
「綺麗になりたい」と思う反面「隠したい」

高校生の頃から、ストーカーに幾度もあい、そう思う様になってしまった。

私があったストーカー被害

① 高校生の頃:教習所(当時は住所や連絡先がみえる場所に置かれていた)で個人情報を知ったヤクザ

家の電話やPHSが鳴り響き、バイト先まで押しかけられ、教習所にもバイトにも行くことができず、連日鳴り響く電話に恐怖し、自宅の電話線を抜いた。警察にパトロールをお願いし、どこで個人情報が漏れたか調べてもらった。

警察のお世話になり、ストーカーが収まるまで家に籠り続けた。世の中にはこんな事もあるのか…と事故にあった気分になった。

② 22歳~25歳:自宅に侵入した知らない人の足

車のタイヤが何度もパンク。身の危険を感じ始めたのが22歳。その頃から不審電話が何度もかかってくる様になる。当時子供2人のママだった事もあり、護身用に催涙スプレーを購入、肌身離さず持ちあるった。

当時の旦那さんが仕事で不在の時にかかってくる「無言電話」
怖さから幾度も携帯を変えた。しかし、変えても尚かかってくる無言電話に、身近な友人や知り合いなのでは?と思いはじめ、連絡先を教える友達を徐々に絞っていった。

夜勤で夜の不在がある旦那さんだったので、夜が来るのがとにかく不安で怖かった。子供2人が寝た後も、眠れずパソコンを開いて過ごしていた。

ある晩、突然すーーっと部屋の掃き出し窓が開き、カーテンの下から裸足の男の足が出た。

一瞬息が詰まり、思考は恐怖で固まる。そして次の瞬間、私は叫んだ。

カーテンの下から出た足は、スッと消え、気配は遠くに遠のいていった。怖くて、怖くて、でも子供も寝ているので「どうにかしなきゃ」としか頭は回らなかった。

フライパンを握りしめ、恐る恐る、足が出てきた掃き出し窓をそっと開く。真っ暗な闇夜の中、砂の上を走り去っている音だけ、静かに響く。なんとも恐ろしい音だった。

警察に電話し、夜勤の旦那さんに電話し、大家さんまで駆け付けた。

翌朝、隣の敷地にある畑に、無数の裸足の足跡が見つかり、私は怖さと不安から、自律神経失調症になっていく。

一人で子供を見守る夜が怖く、夜勤から旦那さんが戻る朝まで、眠らずに過ごした。

朝、電池が切れた様に眠りに落ちる私。しかし、子供達は朝起きる。

母親として、妻としての生活が出来なくなってしまった私は、医師に睡眠薬で眠る事をすすめられるが「薬で眠った時に、不法侵入されたらどうしよう!」という不安から飲めなかった。

行きついた私の答えは、実家に帰るという選択。つまり、私を立て直す為、離婚をお願いした。

私の離婚理由は「ストーカーによる自律神経失調症」という、ちょっと変わった理由です。

綺麗になること、綺麗に見せることは怖い

どうしてこうなったんだろう?
どうしてなんだろう?

自問自答するけれども、出てくる答えは「綺麗にしてはダメ」「見た目を地味にしないとダメ」「目立っちゃダメ」という事ばかり。

そこから「綺麗にならない努力」を始める。
・黒しか着ない
・外出時はマスクをつける
・痩せない
・メイクをしない

綺麗にならない努力をしても「別な趣味の人がいる」という事を知る

努力して体重を増やし、見た目を暗くしているのにも関らず…何の因果か?と思う事が続く。

そう、その「痩せてない」「メイクしない」「明るくない」が趣味の人に執着され始まる。きっと弱く反抗しない様に見えるのだろう。

これは、私自身がおかしいのか?と、益々わからなくなった。
妹に相談したところ「誰もが汚いと思う格好をする」「ストーカーしてくるやつの前で粗相する」といった無茶な回答をされ、心底がっかりした。そこまで行ったら、人としての尊厳すら失ってしまう。

その位からだろうか・・・
「普通を目指そう」と思う様になる。

綺麗は楽しい→綺麗になる努力→ストーカー被害→目立たず綺麗にしない努力→ストーカー被害→普通を目指す

普通を目指す様になると「普通って何?」となる

普通が一番難しく、普通は環境で左右する。

「ある程度整えた自分」の人達の中では「ある程度整えた自分」が普通になり、「綺麗に興味がない」人達の中では「綺麗に興味がない自分」が普通になる。

私は綺麗に興味がある。
でも綺麗になることはコンプレックスがあり、怖い。
なら、周りには「綺麗に興味がある」人達がいい。
そしてそれが「普通」になれば良い。

綺麗は怖いというコンプレックスを、「普通」にもっていく。
そんな小さな努力を20代後半から30代までしてみました。

自分なりの結論が出るまで、結構な時間がかかったけれど、40代の今では「綺麗になる事に興味がある人」と「人を綺麗にする事に興味がある人」に囲まれているので、ちょっとは上手く生きれる様になったのだと思う。

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