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最近得た知見#1

本を読んでいる。

合唱指揮者である粟飯原 栄子先生の、
「続・悩める合唱指揮者のための手引き」
という本だ。

合唱譜販売サイトの「パナムジカ」というサイトで販売されていたが、今は買えなくなっている。
合唱をやっている父から、これは読むといいぞ、と薦められていたのだが、なかなか読まずに置いていた。

音楽というのは、合唱だろうが、吹奏楽だろうが、オーケストラだろうが、J-POPだろうが、何かを表現することになんの違いもない、というのが私の考えであるが、粟飯原先生の本を読んで、やっぱりそうだなあ、という思いを持つことができた。自分のやっている音楽の世界たけでは、得られるものには限界があるのだと思った。

そんな中で、特に印象深く、自らを省みるところとなった箇所があったので、紹介したい。

歌は言葉であり、言葉は音楽だと思います。
流行に乗じて軽薄な言葉遣いに慣れてしまうのは、音楽家として残念です。
間違った発音や意味の取り違えも、音楽表現に直接影響します。
如才ない言葉遣いで、上滑りしていないか、平面的すぎないか。
本当に自分の中から言葉を発しているのか、表面をなぞるだけではないのか。
日ごろから言葉に敏感なこと、それが音にも敏感でいられる感性ではないか。
乏しい言葉しか持たない人は、音楽を雄弁に語ることはできない。
音楽の奥行きは、言葉の奥行き。ありきたりの言葉を並べていては語れない。
文章も読めない人に、楽譜が読めるはずがない。
言葉を持つことで、感情のひだも増えるはず。
言葉の豊かさが脳を刺激し、感性を育んでくれると私は信じています。

(続・悩める合唱指揮者のための手引き P.33)

「悪口を言った口で楽器は吹けないはずだ」
というのは私自身普段から意識をして生活しているところだが、
突き詰めていくと多彩な音楽表現には多彩な言葉の引き出しが不可欠だ、ということでもあるのだ、と気付かされた。

noteで文章を公開するという行為も、自分自身の中から発せらせる言葉をどのように発信するか、ということと密接に関わっているとも思う。(あまりできていないけれど…)

ありきたりなものや流行りに流されず、
豊かな言葉を持ち、豊かな表現へ昇華させる。

私自身がこれから気をつけたいと思ったことを紹介して、今回の記事を終わりにしようと思う。
今後も、得た知見をこうした形で発信していきたいと思っている。
(備忘録という側面もあるが…。)

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