接すること、察すること、
2022年になってなんとなく2021年を振り返ってみた。
内面的に。
2021年はそれ以前よりかはもうちょっとだけ楽に息がしたくて、自分の中でいろいろ試してみたことなどがあった。
その中のひとつ、察すること。
私は「接することとは察することである」などと長年思ってきた。
思ってきたというか、たぶん今でもまだそういう風に考えているふしがある。
去年のある時にふと思った。
他人の心の内を顔色や言動から察することは本当は、めちゃくちゃ(×5億)体力&気力を消耗することなのではないか…?しかも勝手に想像働かせてちょっと逆になんなら無神経じゃないか…?と。
なので、一回最低限やめてみることにした。
自分のために。
最低限やめてみて、気づいたことがあった。
自分が察することをするということは、つまり、相手にも察することを求めているということかもしれない、と。
わかりやすくいうと、見返りを求めているっぽい。
これは非常に迷惑な話である。
シンプルに怠慢である。
伝えたいことはきちんと言葉にしたいと本気で今まで思ってきたのに、どこかでやっぱり「言わないでもこんなことくらいわかるでしょ!」みたいな自分もいたのだ。かまってちゃんである。きもめやないか。
試して気づく。超大事。
もちろん、時と場合によっては察することも大事とは思うけど、でも、やっぱりそれよりなるべくサボらずに言葉を交わしたい。
言わないと、思ってないことになってしまう時がある。
自分の気持ちは自分にしかわからないので、都合よく相手に察してもらうみたいなことも、ぜーんぶやーめぴ!と思えた去年でした。
接することは察することではないです。
エスパーじゃないので、無理です。
2022年も試して気づいたりして生きていきたい。
とりあえず今は長らく敬遠してた電子書籍を積極的に試している。
また経過報告します。
おわり。
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