息子6歳、何が一番成長した? この一年の変化の話
先日、息子が6歳になりました。
Twitter 上でもこんなにたくさんの人が祝ってくださり、とても嬉しかったです。
息子の誕生日という節目にあたり、彼のこの一年の成長を振り返ってみました。
この一年の、息子の最も大きな成長とは
息子は、重度寄りの中等度知的障害を伴う自閉症です。
6歳になりましたが、おそらく精神年齢は一歳後半程度です。
でもそんな息子も、普通の子に比べたら非常にゆっくりですが、着実に成長しています。
この一年で、私から見て息子が最も成長したなと思うのは、自分と同い年、もしくは自分より小さい子供との関わり方でした。
息子はまだ赤ちゃんの頃から、「人への興味関心が極端に薄い」と言われてきました。
正確には、大人には割と人懐っこいのですが、 同年代の子供に対する興味や関心が薄かったのです。
薄いというよりは、むしろ嫌いに近いというか、 子供がいっぱい集まるキッズスペースなどでは固まってしまったり、癇癪を起こして嫌がることもありました。
そこまでのことがなくなっても、息子が子供と近い距離感で接するというのはあまりなく、とにかく子どもに対してのソーシャルディスタンスが広い子でした。
そんな息子が、今は同い年くらいの子供達ととても近い距離感でいられるようになったなと思います。
以前noteでも書きましたが、幼稚園でクラスのお友達と手をつないでリレーに参加したり、帰り道にクラスの女の子と手をつないで帰ったりしたこともあります。
息子自身が、言葉は喋れないけれど「お友達と一緒にいたい」と思っているんだろうなと思うシーンがとても増えました。
兄として大きく成長した息子
この一年で、息子と娘の関係性も大きく変わりました。
息子は一般的なお兄ちゃんに比べたらちょっと頼りないかもしれないですが、この一年でかなりお兄ちゃんらしく成長しました。
先に、 子供と近い距離感でいられるようになったと書きましたが、息子が誰よりも近い距離感でいられるのは妹である娘です。
これは圧倒的で、娘ほど息子の近くまで寄れる子供は他にいないでしょう。
娘は2歳で言葉の発達もまだ微妙ですし、息子はそもそも一言も喋れないので、このきょうだいの間に言葉は発生しません。
それでもどうやってコミュニケーションを取っているのか不思議ですが、二人は毎日、2人だけがわかるような形でコミュニケーションを取り合い、じゃれたり喧嘩したり、とにかく一緒にいます。
この喧嘩というのも、「息子が喧嘩する」というのが私には衝撃でした。
人とのソーシャルディスタンスが広すぎるがゆえに、息子が誰かといさかいを起こすというのはあり得なかったからです。
そもそも興味も薄いので、そこまでの感情が湧かないのだと思います。
ですから、息子に喧嘩をふっかけて、なおかつその喧嘩に息子が乗って、きょうだい喧嘩する …この光景を一番最初に見たときは、全く嬉しいことではないはずなのに、ちょっと感動した私がいました。
ちなみに今は、多すぎてうんざりしています。
そして、息子はいつも誰かにお世話されるばかりで、お世話されるのが大好きでした。
それがなんと、お世話する側になったのです。
遠慮がちに、 最初は「いいのかな、いいのかな💦」と明らかに迷いながらでした。
でも今では確かな自信を持って、妹の靴を脱がせてあげたり、お風呂に誘導したり、おむつを破いて脱がせてあげたり、 娘が私の言うことを聞かないでいると、「おい、こっちだぞ」と言わんばかりに娘を動かして私のフォローをしてくれます。
これはもはや革命です。
いつもお世話される側で、誰かに助けてもらうのみの自分に疑いも持たなかった息子が、誰かを助け、お世話する側になる…。
娘が、息子を本当にお兄ちゃんにさせたのでした。
人と会えないコロナ渦で近づくきょうだいの距離
息子にこのような成長が見られたのは、おそらくコロナの影響があると思っています。
この一年は、我が家だけではなく世界全体にとって、非常に特殊な一年でした。
私は東京都内に住んでいるので、 今年は3月から5月まで、幼稚園も療育も保育園も休園、その後もまばらで短時間の登園しかできず、家にいる時間がとてつもなく長い年となりました。
家にいる時間が長いということは、 必然的に家族でいる時間、きょうだいが一緒にいる時間も長くなるわけです。
その結果、出会える子供がお互いしかいないので、ふたりの距離感は縮まっていったのかなと思います。
世間で広がるソーシャルディスタンス、近づく2人のソーシャルディスタンス。
コロナは大変なことも多かったけど、我が家にとってはこんな良い影響もあったのかなと思っています。
最初からこうではなかった…娘と息子、最悪の出会い
今ではこんなに仲良くなった娘と息子ですが、最初からこうだったわけではありません。
ちょっとここで、娘と息子の最悪の出会いをお話しします。
約2年前、娘がこの世に誕生した時、おそらく家族親戚中でただひとり、娘の誕生を心底歓迎できずにいたのは息子でした。
分娩室で生まれた娘を一目見るや否や息子は癇癪を起こし、一歩も分娩室には入ろうとしませんでした。
おじいちゃんにしがみついて抱っこされ、 その場にいる誰もが新しい家族の誕生を喜んでニコニコしていたのに、息子一人だけがこの世の終わりのような形相でした。
それからというもの、息子は病院にお見舞いに来ても、新生児室の前に来ると赤ちゃんを直視しようとせずに怒り出したり、退院して家に帰ってきても、娘が寝ているベビーベッドがある部屋に入ることすらしませんでした。
とにかくずっと不機嫌で、新生児の娘よりも当時4歳の息子の方が手がかかりました。
それが、まずは娘がいる部屋に入れるようになり、ベビーベッドの近くまで近づけるようになり、娘を私が抱っこしていると近くに来れるようになり、いつしか同じ家で自然に生活できるようになりました。
この一年で、また大きく変化したきょうだい関係
去年の今頃、息子にとって娘は、「存在を許可した」レベルの存在にすぎなかったように思います。
きょうだいの絡みはあまりなく、個々にそこにいる感じでした。
そもそも去年は娘もまだ歩き始めたくらいで、出かける時も常に抱っこ紐だったので、息子からしたら「母の一部」に近かったのかもしれません。
でも、だんだん娘の身体能力が上がっていって、息子と同じように動き回り、同じものを食べ、外も並んで歩くようになり、何かとちょっかいもだしてくるようになります。
息子からしたら、「あれ?こいつ…なんか人っぽくなってきたな?」と、見方を変えていったのかもしれません。
そんな中、コロナで幼稚園にも療育にも行けなくなった息子は、来る日も来る日も妹と母と自分の3人の世界で過ごすことになります。
もともと娘は息子と正反対の性格で、やたらと社交的でグイグイ行くタイプです。
息子が子供が苦手でも、毎日0距離でグイグイ来られたらさすがに慣れていったというか、距離が縮まっていったのかなと思いました。
コロナで緊急事態宣言が出た頃くらいから、娘と息子が一緒に遊んでいたり、喧嘩したりと、普通のきょうだいらしい絡みがよく見られるようになったと思います。
それからまたしばらくし、お互いに幼稚園と療育、保育園と違う場所で日中を過ごすようになってからは、娘にお世話&母のまねっこブームが訪れました。
そうすると娘は、兄である息子の服を脱がせてあげようとしたりするようになり、我が家では「兄が妹にお世話される」という謎現象が起きるようになりました。
でも息子は息子でそんな妹の成長に思うものがあったようで、今度は息子が妹である娘の靴や靴下を脱がせたり、オムツを脱がせたりと、兄として「自分がお世話する側なのだ」というポジション取りをするようになりました。
同時に息子は、自分で言葉は発しないけれど、人が話している言葉の理解は進んでおり、私が出す指示はほぼほぼ通るようになっていました。
だからそっちの成長とあいまって、母が指示したことを娘がやっていなかったら「おいおい、お前間違ってんぞ」と促したり、より兄らしいふるまいをしてくれるようになったなと感じています。
この一年、一人だけソーシャルディスタンスを縮めていった男
小池都知事の「ソーシャルディスタンス」という掛け声のもと、人々が社会的距離を保って生活するようになった東京で、ここに1人、この一年で急にソーシャルディスタンスを縮めていった男がいます。
それが息子です。
でも、ご安心ください。
もともとソーシャルディスタンスが広すぎた男が、やっと同年代の人間と関われるようになった、というレベルの話です。
今でも息子は一般的な子供と比べたら、ソーシャルディスタンスが広いです。
それでも息子は、この一年で家庭内でも、外の世界でも、同年代の子供と一緒に生活し、遊び、行動する喜びを感じられるようになったんじゃないかなと思います。
そしてそれが、言語理解にもつながっていったように思います。
これって息子にとってとても大事なことだと思うので、他にも一年で成長したことは数あれど、一番の成長として、記録に残しておきたいと思いました。
ここからの一年、6歳の息子はもっともっと、人とのつながりを広く深くしていって、あわよくば発語につながったらいいのにな…と思ったりしています。
この記事には別視点の話があります。
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