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知的障害がある子どもにはテレパシーという特殊能力が備わる世界②

後悔


「私、やっちまったかもしれません…。」
発達支援センターの職員室で、春海はうなだれながら我妻さんに向かってつぶやいた。

「まぁ…子どもが療育に通っているってことを、周囲に知られたくない親御さんもいるからね。特に笹川さんは、まだ陽太君の障害についても受け止めきれていない状況だと思うの。時間が解決していくしかないかな…。」

我妻さんのごもっともなアドバイスを聞きながらも、春海の心は晴れなかった。
自分も障害児の母であるのだから、そういう繊細な部分はわかっていたはずだったのに、つい「職場で知ってる子を見かけた」という嬉しいテンションのままで無神経な言動をしてしまった。
笹川さんからは、その後、明らかに距離を置かれている。
実に気まずい。

保育園では、偶然会ってもあいさつもしてもらえないか、しても会釈程度。
発達支援センターでは、そもそも陽太君を連れてくるのはいつもヘルパーさんなので、笹川さんと会うことがない。
いやむしろ、春海がいると知って余計に来なくなったのかもしれない。
自分の軽率な言動が悪手だったと言わざるを得ない。

そろそろ親子が通園してくる時間だ。
春海がすみれ組の教室に足を踏み入れると、壁には子どもたちの作品が所狭しと飾られており、明るい雰囲気が漂っていた。
春海は笑顔で親御さんや子どもたちに声をかけながら、今日も一日が始まったことを実感する。

ふと、教材を取りに資料室へ向かうと、休憩スペースで楽し気に話し込んでいる2人が見えた。
栗山さんと西森さんだ。
先日の靴の取り違えの件から、すっかり仲良くなったらしい。

そこへ、足早にかけこんでくる笹川さんと陽太君が見えた。
今日はヘルパーさんの送迎ではないらしい。
春海は思わず、資料室の中へ身を隠してしまうのだった。

ランチ会


5月になり、すみれ組の子どもたちも随分落ち着いてきた。
それと同時に、すみれ組のママたちもまた、通園に慣れ、他のママたちと徐々に親しくなっているように感じられた。

そんな中、クラスのムードメーカー的な存在となりつつあった西森さんは、クラスのママ友たちの親睦を深めようと、ランチ会を企画したようだ。

「みんなで集まって、おしゃべりしましょうよ!笹川さんも来ませんか?」
西森さんは、なかなか送迎に顔を出さないレアキャラの笹川さんを見つけると、急いで引き止め、ランチ会に誘った。

しかし、笹川さんの反応は予想外だった。
「私は…結構です。息子はここのお子さんたちとは違って、普通の子ですし。」
目をそらしながら最後にぼそっと発したその言葉に、西森さんは驚きと失望を隠せなかった。

「違うって…どういうこと?」
西森さんの声が少し震えた。

「あの…笹川さん?」
何と言っていいかわからずおどおどした様子で栗山さんも続けて声をかけたが、笹川さんはそのまま立ち去ってしまった。

陽太君の他害


数日後、春海は保育園での事件を知ることとなる。
娘の亜紀が陽太君に腕を噛まれたのだ。
保育園のお迎え時、保育士からの報告を受けた春海は、形式的な謝罪をする笹川さんに出会った。

「申し訳ありませんでした」
笹川さんは頭を下げたが、その表情には疲れが浮かんでいた。

「大丈夫ですよ。お互いに育児は大変ですから」
春海は優しく返した。
しかし、その言葉の裏に、どうすれば良いのかという戸惑いがあった。

「ママ…いたかったよ。」
春海を見上げながら、悲しそうな顔をする亜紀。
「そうだね…痛かったよね、ごめんね。」
先ほど、とっさに笹川さんに「大丈夫」と言ってしまったが、大丈夫かどうかを決めるのは春海ではなかった。
亜紀の気持ちを無視した反応をしてしまったことに、春海は申し訳なく思った。
ただ…春海も冬馬という障害がある子どもを育てる身。
他害が、された側だけでなく、した側の子どもの親にとってもつらいものだということはよくわかっている。
笹川さんを責めることもできないし、亜紀の気持ちも大事にしたい。
どう対応していいのかよくわからなかった。

しかし、そんな中しばらくして、陽太君は保育園で他の子どもにも他害行為をしてしまったという話を春海は保育園ママ友との雑談で知った。
「陽太君、なんていうかその…どこかに相談?とか行ってるのかなぁ?」
はぎれが悪く何か言いたげにつぶやくママ友。

陽太君は、知的障害を伴う自閉症。
しかも最近診断を受けたばかりだ。
診断を受けたといっても、笹川さんはいまいちその事実を受け止められていないらしいということは、春海は我妻さんから聞いてはいた。
そして、陽太君の発達が他の子よりもゆっくりだということは、他の保護者も薄々感づいてはいるようだったが、親である笹川さんからは特に何の話もない。
そのため、春海以外の保護者がそんな状況を知るはずもなかった。
当然ながら、そんな個人情報をペラペラしゃべるわけにもいかず、春海はあいまいに首をかしげることしかできずにいた。

すると、突然玄関の方から女性の大きな怒鳴り声が聞こえた。

「お友だちを噛んだらダメって言ってるでしょ!!」

気になって駆けつけると、笹川さんが我を忘れた様子で陽太君を怒鳴りつけていた。
陽太君の頬が、赤くはれている。

(いたーい!いや!いや!いや!いや!)
陽太くんの心の声が叫びのように聞こえる。

笹川さんがもう一度振りかぶるのを見て、春海はすぐに止めに入った。
「やめてください!叩いても解決にはなりません!」

笹川さんは驚いた表情で春海を見つめたが、すぐに涙が溢れ出した。
「どうしていいのか、もうわからないんです…」
その声は震えていた。

我妻さんへの相談


次の日、出勤すると、春海は我妻さんに相談することにした。
我妻さんはベテランのテレパシー管理士であり、多くの親たちの悩みに寄り添ってきた人だ。

「我妻さん、私はどうすればいいのか…。」
春海は、我妻さんの前で自分の無力さを吐露した。

我妻さんは静かに頷くと、
「三島さん、一人で抱え込まないでください。私たちはチームです。一緒に解決策を見つけましょう」と優しく声をかけた。

「今日、笹川さんに電話してみるわ。面談の日程を組めるか、聞いてみる。」

後日、発達支援センターで笹川さんとの面談が行われた。我妻さんは静かに話を切り出した。
「笹川さん、私たちにお話ししてくれませんか?どんなことでも構いません。」

笹川さんは最初、話すのをためらっていたが、次第に心の内を語り始めた。
「陽太に障害があるって知ったとき、すべてが崩れた気がしました。普通の子育てができると思っていたのに、どうしていいかわからなくて…。」

我妻さんは優しく頷きながら聞いていた。
「笹川さん、その気持ちは分かります。でも、一人で抱え込む必要はありません。私たちがいます。」

笹川さんは次第に声を詰まらせ、涙を流し始めた。
「私…私が悪いんじゃないかって…。」

我妻さんはそっと笹川さんの手を握ると、
「大丈夫です。あなたは一生懸命頑張っている母親です。私たちが一緒に支えます」と力強く言った。

糸が切れたように泣き崩れる笹川さんを、廊下からそっと見つめながら、春海は自分たちの役割の大きさを改めて感じた。
母親たちが抱える苦悩を少しでも和らげるために、自分たちができることはたくさんあるのだと。

色々と頭の中でぐるぐる考えていた春海は、しばらくそのまま廊下に立ち尽くしていた。
そのため、面談を終え、部屋から出てきた笹川さんと鉢合わせることになってしまった。

これは、またしても気まずい。
盗み聞きしていたことがバレバレである。
笹川さんは驚いたように、その場に立ち尽くしていた。
春海は母親として、テレパシー管理士として、どう言葉をかければいいのか、迷う。
心の中で陽太君の気持ちに触れたいと思いながらも、母親の痛みを理解するには足りないと感じた。
すると、その場の沈黙を破るように、我妻さんが春海の肩を優しく叩きながら、落ち着いた声で笹川さんに話しかけた。
「笹川さん、あなたの気持ちは分かります。でも、自分を責めることはありません。私たちはみんな、子どもたちのために最善を尽くしているのですから。」
笹川さんは涙を拭いながら顔を上げた。
「でも、私はどうしていいかわからないんです。陽太は普通の子じゃない。どうやって接すればいいのか、もう分からないんです。」
春海はその言葉を聞き、心が痛んだ。
春海自身も冬馬を育てる中で同じような感情を抱いていたからだ。
冬馬が何を考えているかが分かっても、それを理解できるとは限らない。
理解できないという壁にぶつかるたびに、無力感に苛まれていたのだ。
「笹川さん、私もあなたと同じような経験をしてきました。私の息子、冬馬も重度の自閉症で、何度もどうしていいかわからなくなりました。でも、私たちは一人じゃありません。お互いに支え合って、子どもたちのためにできることを見つけていきましょう。」
笹川さんは一瞬、はっとしたような反応を見せると、少しだけ安心した表情を浮かべた。
「ありがとう、三島さん。あと、改めて…亜紀ちゃんのこと、すみませんでした。でも、私、どうしていいかわからなくて…。陽太のことを理解するには、どうしたらいいんでしょうか。」
我妻さんは深く息をついてから、静かに答えた。
「テレパシーを使うことは確かに助けになるかもしれません。でも、彼らの心の声を「知る」ことはできても、「理解」できるかはわからない。だから、それ以上に大切なのは、陽太君と向き合い、彼の表現を受け止めることです。彼が何を伝えたいのか、じっくりと感じてみてください。そして、私たちも一緒に考えていきましょう。」
これに関しては、明確な答えなどないのだ。
健常者同士でも、他人を理解するというのは難しい。
ただひたすら、子どもと関わり、考えていくしかない。

その後、発達支援センターでは母親たちの集まりが開かれ、春海と我妻さんが中心となって、親同士の交流を深める場を設けた。
笹川さんも参加し、他の母親たちと話す中で、少しずつ心を開いていったように感じられた。

陽太と亜紀


数日後、春海は陽太君と亜紀が一緒に遊ぶ姿を見守っていた。
「ようたくん、いっしょにおままごとしよ!」
プラスチックのボールにいっぱいの野菜を模したおもちゃを抱えて、亜紀が陽太君に話しかけると、彼は不安そうな表情を浮かべたが、次第にその顔もほころんでいった。
春海はその光景を見て、少しずつでも陽太くんの様子が変化していることを感じた。
春海は笹川さんに声をかけた。
「少しずつですが、陽太君も私たちに心を開いてくれているようです。私たちも、子どもたちと一緒に成長していきましょう。」
笹川さんは微笑みながら頷いた。
「ありがとう、三島さん。これからもよろしくお願いします。」
春海はその言葉に励まされ、自分の使命を再確認した。
「ようたくん!これはおもちゃのトマトだよー!かんじゃダメだってば!」
笑いながら陽太の手からトマトのおもちゃを離す亜紀。
(トマト…かんじゃだめ…)
陽太のつぶやきのような心の声が聞こえる。
かみあっているようないないような2人の会話に、笹川さんと春海は思わず顔を見合わせ、ぷっと噴き出した。
そして春海は、母親として、テレパシー管理士として、子どもたちの未来を支えるために、これからも精一杯頑張ろうと心に誓うのだった。

和解


「西森さん!」
その日、笹川さんは、西森さんに前回のランチ会での非礼を謝ることを決意していた。
発達支援センターの玄関付近。
子どもを送り出して、栗山さんと談笑しながらセンターを後にしようとする西森さんに、笹川さんは声をかけた。

「西森さん、この間はごめんなさい。あの時は、どうしても気持ちの整理がつかなくて…。」
笹川さんは視線を落としながら、少しずつ言葉を紡いだ。

「私の息子、陽太は、最近他害が酷くて…。それで、保育園の先生や、発達支援センターでも何度も勧められたから、私…初めて病院で発達検査を受けさせたんです。そうしたら、陽太が、障害があるって言われて、私、ちょっと余裕がなくて…。でも、全然西森さんには関係ないのに、本当にひどいことを言いました。ごめんなさい。」

一瞬驚いたような表情をした西森さんは、すぐににこやかに笑うと、笹川さんに言った。
「いいのよ、笹川さん、もういいの。私たち、お互いに大変なことがあるからこそ、理解し合えると思う。」

その光景を見ていた栗山さんも、微笑んでその場に加わった。
「そうだね。私たちはみんな、子どものために頑張っている仲間なんだから、助け合っていこうね。」

その後、再びランチ会を開くことが決まり、今回は笹川さんも参加することになった。
子どもたちが療育に行っている間の少しの時間に、母親たちは楽しい時間を過ごす計画を立てた。

しかし、その一方で栗山さんの家庭には暗い影が差し込んでいたのだった。

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