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インタビューじゃなくて、話がしたいのです

昨日、早くも新刊『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』について雑誌の取材をうけた。そのインタビュアーのかたは、この本(正しくは、本なるまえのゲラの状態)をよく読み込んでくださっていて、この本の解釈や考え方を聞くことができたりして、とても面白い。

しょっぱなから「いやー、何度も涙が出ました」と聞いた私は「え!! どこらへんですか??」と思わず聞きえてした。だって、泣ける箇所があるなんて自分では全く思っていなかったのだ。

昨日の方のインタビューのスタイルはすごく独特で、とにかく本を読んで考えたこと、感じたことなどをストレートにぶつけてくる。なるほど、ふむふむ、じゃあ、とこちらもその予想外の変化球をうけとめる。こちらもいろいろ考えさせられ、そうして出てくるのは、型にはまったクッキーのような行儀の良い言葉ではなく、どんな味がするのかわからないドロドロしたミックスジュースみたいな言葉である。

私はこういう自由な会話スタイルのインタビューが好きだ。なんかインタビューが終わったあと、あー、楽しかった!と感じる。

私に最も合わないのはとにかく事前に準備した質問表の沿ってひとつひとつ質問するスタイル。

「この本を書くきっかけはなんですか?」
(答え)
「ありがとうございます。苦労したことはなんですか」
(答え)
「わかりました。次回作はどんなテーマですか」
みたいに機械的に質問されると、こちらもテンションが下がりすぎて、どんどん機械的な答えになってしまう。

だから、質問がプリントされた紙を取り出され「えーと最初の質問なんですけど」と聞くと一気に萎え、やる気が失われるのが自分でもわかる。特に良くない質問は「生まれはどこですか?」と「何年生まれですかですか」のふたつ。最初にそれ聞かれちゃうと、もうダメ。

一度は「その紙をしまってみませんか?」とこちらからお願いしたこともあった。私はいつも生の会話がしたいのだ。

それにね、次の本は、なにしろ「会話」の本なのである。

とにかくたくさんのおしゃべりが、まあまあそのまんまの形で書かれている。あまり意味のなさそうな会話もそのまんま。

これは自分的には全く新しいスタイルである。以前書いた『空をゆく巨人』がひとつの物語だったので、もっと生っぽい、動的なものを書いてみたかった。

本には、いろんな人が出くる。知っていそうな人で言うと、装丁家の矢萩多聞さんや文筆家の佐久間裕美子さんも。もちろん世間には名が知られていない人も大勢出てくる。私の娘も登場する。だから、読んでいる人は、みんなが繰り広げる長い雑談に参加しているような気分になるかもしれない。

雑談はけっこう深い。雑談は思わぬところに私たちを連れていってくれる。愛や恋、エロ、生と死、ごはんや酒、夢、事件やテロ、差別や偏見の話なんかも。

たくさん話してきたけれど、もっともっと雑談をしたい。いま話したいことはいっぱいあって、直島のカボチャが流されたこともそうだし、恐ろしい人権侵害であるウィシュマさんのこととか、いまハマってるpodcast「モダン・ラブ」のこととか。いまコロナ時代で、なかなか会っておしゃべりができなくなってしまった。だからこそ、もっとおしゃべりをする場を作っていかないとなと思う。

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というわけで、本の発売まであと三週間ほどになった。
各地の本屋さんでの予約も始まりました。
どちらの本屋さんも、会話がしたくなるような素敵な本屋さんなので、ぜひ機会があったら足を運んでみてください。



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