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「晴れたら空に骨まいて」 の「はじめに」を公開します

 明日は4/15!4月15日。四月十五日。 
 というわけで、文庫版「晴れたら空に骨まいて」の発売日である。

 発売日といえば本屋さん巡りをして、本屋さんに置かれている本たちの姿や位置を確認し、そっと手を合わせて「頑張って旅しておいでね」と心の中で小さな声をかけるのが習慣だった。しかし、今年はそれもできそうにない。地味にけっこうショック。

でも、こんな時でも開いている本屋さんはたくさんあるし、オンランショップに力を入れているところも多いので、ぜひ一緒に何かできないかなと思っている。(オンラインショップに関しては青山ゆみこさんのnote参照。青山さん、ありがとうございます!)

 初めての本『パリでメシを食う。』を出してから10年。ずっと本を出し続けて来られたのは、もちろん出版社や編集者の力も大きいわけだけど、それと同じくらい本屋さんや読んでくれている方の存在が大きい。

これからも書き続けたい。そのためには、一人でも多くの方にこれから出る本、今まで出た本を手にとってもらいたい。いま自分にできることはなんだろう。
と考え、今日は二つのことを始めてみる。

① 全国の本屋さんへ。
いま現在、川内有緒の本を置いてくださっている本屋さん(移動図書館やウェブショップ、ブックカフェや雑貨屋さんを含む)に、ささやかながら、川内有緒オリジナルノベルティであるしおり5種類をお送りします(絵柄はランダム。枚数は30-40枚程度)。どんな風に使っていただいても構いません。川内有緒の本の販促以外に使っていただいても全然大丈夫です。ご希望のかたはメールやツイッターのDMをお送りください。しおりは、こんな感じです。

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またコメントやポップなども気軽にご依頼ください。

② パソコンやスマホの前にいる読者の方へ。
この本の前書きを公開します。
なぜこの本を書いたのか。どんな思いがあったのか。

まずはここから読んでくださったら嬉しいです。

そして、気に入ってくださったら、お近くの本屋さん、もしく上記のショップのどこかで本を注文してみてください。大船のポルベニールブックストアさんでは、川内有緒フェアをやってくださっていますので、在庫が確実にあります。


それでは、一呼吸おいて。

深呼吸したら。

前書きである「旅路のはじめに」をゆっくりとどうぞ。

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旅路のはじめに

 晴れたら空に骨をまく、というような人は、世の中にあまりいないだろう。でも、広い世界には確かにいる。いや、けっこう近くにいる。本当だ。私が会っている。
 その人は、亡くなった夫の遺骨をクッキーの缶に保存し、何年もかけて世界中でちょっとずつまいているという珍しい人だった。
「セーヌ川とか、万里の長城とか、あっちこっち行ったわね」
 観光旅行の話をするような気安さで、その人は明るく続けた。
「だって、土の中に入れちゃったらかわいそうじゃない? あれだけ旅が好きな人だったんだもん」

 この本は、親しい家族や友人を失い、自由な方法で見送った五組の人々をドキュメントしたものだ。タイトルからして散骨や弔いがテーマなのかと思われるかもしれないが、必ずしもそれだけではない。
 それがどうも厄介なところだ。
 そもそも散骨に関していえば、誰かに聞かなくてもだいたいのことは分かっていた。なにしろ私たちは、親戚や友人たちと一緒に、父の遺骨をほとんどすべて日本海に流した。よく晴れた夏の日だった。もう十四年も前のことになる。

 前述の、世界で骨をまいてきた面白い女性は私の母の友人で、母が作る串カツを食べたいと実家に遊びにきていた(私の友人など多くの人が母の手料理を食べにくる)。何年か前に長年連れそった伴侶を亡くしていることは知っていたが、そんな弔いの旅をずっと続けているなんて、想像すらしていなかった。
「もうすぐネパールに行ってくるの」
 へええ!
 私も母もおもわずぐっと身を乗り出した。
 おおらかな語り口でポンポンと飛び出してきた話は、思いがけず抱腹絶倒ものだった。たくさん笑ったあとには、清々しいエネルギーが満ちていた。ああ、こういう話をもっと聞いてみたい、と思った。
 そこで次は、ミクロネシアの小さな島に行った。わかっていたことは、亡くなった妻の名前をつけられ、GPSと共に海に放たれた野生の海亀の位置情報を追っている男性がいる、という曖昧で偏った情報だけだった。メモしておいた名前だけを頼りに小さな島の集落を訪ねたところ、ご本人に会うことができた。
「わざわざ来たの、ものずきだね」とその人は言った。ニコッと笑うと前歯が二本なかった。
「ええ、そうなんです」と答えながら、自分はなぜこんな遠くまで来たのだろうと思った。その人は多くを尋ねず、ただ冷えたバドワイザーを手渡してくれた。南十字星がくっきりと見える最果ての島。そこで聞いたのは、自由に生き、自由に死に、自由に見送られた女性と海亀の話だった。
 こうして五組の人の話を聞き終えると、一冊の本にまとめた。今思うと、私を惹きつけたのは、「自由な弔い」という具体的な行動力だけではなかった。本質的に惹かれたのは、そのもうちょっと手前にあるものだ。
 たぶんあのころの私は、死者とともに生きる方法を探していたのだ。

 十四年前、父が死んだ。その七年後にはとても親しい友人二人が相次いで亡くなった。またその後も何人もの友人が旅立った。もはや誰にも座られることのない空っぽの椅子をいくつも胸に抱えながら、いつやってくるともしれないアイツの襲来にたびたび備えた。
 そいつは、ふとした瞬間にやってくる。悲しみ、怒り、虚しさ、後悔、愛しさ、寂しさ、そのすべてを竜巻のように巻き込みながらやってくる。
 おーい、お前はどこからやってきたんだ。自分の内側からか。それとも、遠い外の世界からか。
 そいつはなにも答えないまま、私の日常に居座ろうとする。なんだお前、どっかにいってよ、と追い払おうとしたけれど、奴はなかなかどこうとしない。こういうときは素直に流れに身を任せたほうがいいのか、逆に無理にでも笑ったほうが効果的なのか。それとも、キッチンでジャムでも煮ればいいのか、遠くに旅に出かけるのがいいのか。

 誰も教えてくれなかった。

 だいたい、おかしいじゃないか。私たちの社会では、なぜか葬儀のころの数日間だけ大急ぎで悲しんだら、後は何もなかったように振舞わねばならない、というような不文律があるようだ。いつまでも悲しむのは不健康で、故人もそんなことは望んでいないよ、早く元気になろうね、というような空気感だ。でも、死者への思いは、そう簡単にパッと押入れの奥にしまいこむことなんかできない。
 だから、訪ね歩いた。自分なりの方法で、もう会えなくなった人たちと一緒に生きようとした人々の話を聞こうと。誰のためでもない、自分のためだった。

 この文庫版には、単行本にはなかった章が新たに収録されている。私の父に関する話だ。
 もともと話を聞いた五組のなかに、父親がチェコの小さな街で客死したあと、思い出せることの全てを何年もかけてノートにつけている、という人がいた。その話を聞きながら、いいアイディアだなあ、書くことだったら自分にもできるかもしれない、という予感が走った。
 うん、私も父について書いてみようか。
 父は良くも悪くも、かなり自由奔放な人物で、たくさんの喜びと苦しみを家族に与えながらこの世を去った。その苦しみの部分については、親しい友人にすらほとんど語らずにきた。しかし、そろそろ書いてみようかという気持ちになれたのは、時というものの成せる業だろうか。気がつけば、もう多くのことを忘れていて、取り返しがつかない失敗をしたような焦りを覚える。母や妹に当時のことを聞いてみたが、ふたりもすでに多くのことを忘れているようだ。仕方がないと思う。人生では、忘れないとやっていけないこともあるからだ。
 とにかく、着地点が見えないままに筆をとった。父について思い出し、書くという作業は、想像以上の痛みを伴うもので、ずいぶんと時間がかかってしまった。それでも、書くという作業は、死者と共に生きることを模索し続けた自分なりの解だったのか、今の気分は実に爽やかで、温かい。

 思えば、どの人も旅が好きで、ユニークな生き様の人ばかりだった。話を聞くことはとても楽しく、手を打って笑いころげたのは、一回や二回ではなかった。ときに人生とは、小説以上に愉快だったりマヌケだったりして、悲劇とコメディーは常に紙一重なのだろう。
 彼らは特別な人なんかではない。精一杯生き、働き、誰かを愛し、愛されたふつうの人々である。

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