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メンタリストDaiGoへの推薦図書、そして私のなかの優生思想をぶっつぶしたい話

一昨日、メンタリストDaiGoによるYouTubeでの発言が爆弾のようにSNSに落ちてきて、あらゆるところで火を吹いた。その発言内容の恐ろしさ、社会に与える悪影響などは多くの人が表明しているのでここでは繰り返さない。ナチスの例をあげて批判する人もいたが、そもそもこの国では旧優生保護法のもとに行政が命の選別を行ない、ハンセン病の人を強制隔離し、「不幸な子供が生まれない運動」を推進し.......などなど、あからさまでダイレクトな優勢主義思想が存在していて、それは過去の話ではない。いまでも当事者の苦しみは続いている。


しかし、いま問題になっている優生主義とはこれらとは形を変えたものである。

昨夜、彼は謝罪をし、溜飲を下げた人もいるようだが、そのコメントを知った私は「違う」と思った。そうか、本人が言うとおりに、彼は本当に優生思想について無知なんだなと思った。

報道によると、謝罪の内容は「一生懸命、社会復帰を目指して生活保護を受けながら頑張っている人、支援する人がいる。さすがにあの言い方はよくなかった」というものだったという。

私が「違う」と思ったのはまさにこの理由の部分。結局のところ、まだここでも「社会に役に立てるか」「頑張っているかどうか」が彼の中の命の価値基準なのだ。その人、たったひとつの命の存在自体ではなく、人間のがんばりや役立ち度で価値が存在して良いかどうかを決める。これはまさに優生思想と同根の能力主義そのもので、謝罪しつつも、主張していることは前よりマイルドになっただけで同じことじゃないだろうか。

頑張る。できる。役に立てる。

どれも一見するとポジティブな言葉でなんの問題もない。私たちも子供の頃から何度も言われてきた。頑張れ!できるよ!私も他の人に言ってきた。できるよ、大丈夫、頑張れ!

もちろん成長することはいいことだ。頑張っている人、挑戦する人をみるのは清々しい。しかし、それがどんどんエスカレートし、行き過ぎ、社会の全てのひとに「がんばれ」をおしつけようとした結果、社会はどうなっただろう。

前に流行った「勝ち組」と「負け組」という言葉が象徴する通り、

頑張れる人と頑張れない人
 →→できる人とできない人
  →→→勝った人と負けた人

というように、人々はどんどん能力や結果で分けられていき、競争のなかでつまづいた人や、そもそも競争に参加しない人は、どんどん社会の端っこや居心地の悪い場所に追いやられることになってしまった。そして、そこに政治家や一部のインフルエンサーまで率先して「頑張ってないんだから自業自得」「だって能力ないんだからしょうがないよね」みたいに「自己責任論」を押し付けた結果、人々は自分自身の価値や社会における評価に苦しみ、時に差別的な扱いを受けることも。さらにその脆弱な立場の人の上に歪んで正義感のようなものを旗印に馬乗りになるひとも。ついには今回のむきだしで、妙にライトで、楽しげでな「エンターテイメント」としての「命が軽い」発言にまできてしまった。

この社会における競争はとてもアンフェアだ。生まれてきたとき、それぞれのひとのスタート地点は違う。与えられた環境も持っているものも違う。目の前に堅牢な家に守られている人もいれば、細い綱一本を握りしめて嵐のなかをひとりで向こう岸に渡らねばらないない人もいる。

そういうアンフェアな競争や社会構造を形作ってきてしまったいま、ホームレス状態に陥る人の問題は、社会構造の問題だ。それを解決するのが政治の役割であり、生活保護はひとつの重要なセーフティーネットで、誰もが使える権利である。私たちはもっともっと社会の構造やシステムに敏感にならないといけない。


少し自分の話をしたい。

noteでも書き続けている通り、私は全盲の白鳥建二さんと一緒に様々なアート作品を見てきた。そうして、ある一枚の絵の前で話をし、考えているうちに、自分の中にも無自覚な優生思想や差別の芽のようなものがあることに気がついてショックだった。それは出生前診断や障害と関連することだったが、そこからさまざまなことに思考が広がっていった。考えれば考えるほど、自分の無自覚さに恐ろしくなった。そこで私はある日、白鳥さんに自分の中にあるものについて告白した。すると白鳥さんは全く驚かずに答えた。

「うん、だから優生思想なんてとんでもない、差別はダメだ、って言うんじゃなくて、程度の差は あれ、差別や優生思想は自分の中にもある、まずはそこから始めないといけないと俺は思う」

この言葉は衝撃的で、当初は簡単に受け入れることができなかった。私は反発を覚えたが、それでも一度立ち止まって考えてみることにした。誤解のないように言っておくと、白鳥さんは優生思想を肯定しているわけではなく、そういうものを社会からなくすためには、まず自分の内なるものから始めないといけないいけないということだ。そして彼は言った。全盲である自分の中にも実は優生思想はあった。そこに気がつくのには、長い時間が必要だったと。

よくよく考えていくと、そこまで極端なものではなくても、優生思想と通じるような考え方、優生思想の芽のようなものは、社会のそこかしこに潜んでいる。そして、それは自分の中にも着実に流れこんでしまっている。

いやいや、私の中はそういったものはない、差別とかしないし、と考える人もいるだろう。実際にでもなにか気がついていないことはあるかもしれない、と考えてみることはできないだろうか。

過剰な努力を誰かに強いてないか?役に立つもの、効率的な物ばかり選んでいないか? 困難な状況にある人が努力する姿にインスタントな感動を覚えていないか。送料無料。コスパ。迷惑かけないように。感謝しましょう。感動を与えたい。出生前診断やゲノム治療。夫婦別姓反対。自立。自助。そういうところにもなにか潜んでないか。

今回のDaiGoの発言に対し「迷惑をかけないホームレスもいる」とか「頑張ってる人もいる」「ホームレスでも能力がある人もいる」とリアクションをしている人も見かけたが、それもまた人間の価値を能力や状態で決めることであり、要するにこれもまた形を変えた差別や優生思想につながる考え方だったりする。

私たちは、過剰な頑張りや我慢を他人に押し付けない社会を目指さないといけない。疲れたら休める時間がなければならない。他人の価値観に振り回されず、自分の価値観や期待を他人に押し付けず、他の人とも比較する・されることなく、それぞれのスタイルの幸せを追求し、必要なら「助けて」そして「うん」と言える社会であるべきなのだ。

極端な事件や言動があったとき、一斉に声をあげてその一点を全力で否定していくことも大事だ。同時に、自分の価値観や行動をアップデートして、ひとつぶっつぶしていくために自分自身がどんなアクションを取れるのかを考えていく機会にすることもできる。

社会が便利さや効率化を追い求め、賃金格差が広がって富が不平等に分配され、その一方で医療がどんどん発展し、命の選別が形を変えて続くなかで、私たちはむしろ全力で、あらゆる形で優生思想を否定していかないといけない、そういう複雑な社会に生きている。

私たちはもっと話しをしないといけないよね。なぜDaiGoのような発言をする人が現れるのか。その空気を醸成しているものの正体はなにか。

また自分の話に戻ろう。ほんの3日前くらいのことだ。

感染症拡大に抗う人々を描いた『最悪の予感』を書き話題をさらっているマイケル・ルイスはプリンストン大学の卒業式でこう言ったそうだ。

成功した人というものは、歳を取るにつれ、成功は必然だったのだと考えがちになります。彼らは、自分たちが歩んで来た道を、偶然によるものとして片付けられたくないのです。というのも、世の中の成功というものが偶然によってもたらされるものだとは認めたがらないからです。

これを読んだとき、わたしは、うっと思った。これ、私の話じゃん。別に全然成功しているわけじゃないけど、まさに自分が歩んで来た道を、偶然によるものとして片付けられたくないのは私自身だった。これもまた無自覚な例の芽と言えるのかもしれない。私は立ち止まるしかなかった。

実は「運がいい人」とよく言われる。過去に海外で働いたり、本を出せている事実を指すのだろう。実際に3年前に某文学賞を受賞したあとの取材で、ある新聞記者の人にも言われた。

「本当に運がいいですよね」

そのとき、私はむっとした。「いや、運じゃないです、頑張って一生懸命頑張って自分の人生を選んできました」というようなことを言ったかもしれないが、覚えていない。覚えているのはムッとしたこと、そしてそう思ったことだ。

しかし、いま立ち止まって考えれば、運の作用は実に大きかった。日本人に生まれたこと。東京で生まれ育ったこと。教育を受けられたこと。家族や友人に恵まれたこと。健康に生きてこられたこと。これらほぼ偶然や運で授かったものだ。

偶然に特権的に得てきたものを自分の実力と勘違いしてはならない。だから、次に運がよかったですね、と言われたら素直にそうですねと答えるだろう。そう答えられるようになったのも、自分がわずかばかりだが知識を得て、想像することをやめずに生きてきたから。だから私は今日も本を読んでいる。

なんだかまとまらない。週末の朝だし。ほんとはハッピーにパンにバターを塗ってかじってたいし。どうにもまとまらなすぎるからこの辺で「もっと勉強したという」DaiGoに薦めたい本を考えてみた。

『まとまらない言葉を生きる』荒井裕樹

「言葉が「降り積もる」とすれば、どんな言葉が降り積もった社会を次の世代に引き継ぎたいですか−。「言葉の壊れ」を考え、抗い、息苦しさをそっと弛めるエッセイ集」

今回、多くの人を傷つける言葉が降り積もってしまった。それを追い払うにはどれくらいの時間がかかるのだろうか。


『運も実力のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル)
「努力と才能で、人は誰でも成功できる」この考え方に潜む問題が見抜けますか?100万部突破『これからの「正義」の話をしよう』から11年―格差と分断の根源に斬りこむ、ハーバード大学哲学教授の新たなる主著。

先程のマイケル・ルイスの話にも通じるものだが、この問題はもっともっともっと掘り下げられる。むしろリベラルと呼ばれる人には耳の痛い話の連続である。機会は平等ではない。

『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』 (稲葉 剛 編 , 小林 美穂子 編 , 和田 靜香 編)
助けを求める人たちと支援者、対する行政の水際作戦。この社会の実態を突きつける貴重なドキュメント。

友人の和田静香さんが編者として関わった本というのもあり、発売後すぐに読み、生活保護を希望する人たちに対するあまりにひどい扱いをつぶさに知った。さきほど厚生労働省のツイートを紹介したが、実際の窓口ではどんなことが行われているのか。ぜひ読んでもらいたい。

私はこういった問題のエキスパートでも研究者でも全くない。普通の人だからこそ、他の人と話し、そこから学び、自分の古い価値観をぶっ壊し、アップデートする努力をしていくしかない。そしてまがりなりにも出版界の端っこで物を書く人間だからこそ、情けなくて恥ずかしい自分をさらけだして、伝えていくしかない。自分は、まだこの問題の理解の入り口に立ったばかりだと思う。しかし、上記の本はとても良い本で、自信を持って薦められるし、さらに読むべき本もたくさんあるに違いない。これを機にみんなで勧めあって話をしていければ嬉しいと思う。

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