ロックダウン前日に出国を決めてみた
2020年3月19日(木)
【Day0】
もともと3月25日出発で計画していた渡豪。
刻一刻と変化する状況の中で、アッコの会社から「オーストラリアに来たいんだったら絶対に19日に飛べ」とミッションインポッシブルばりの指示が出たのが昨日。その時理由は伝えられなかったが、おそらくロックダウンを示唆するものだったのだろう。案の定、フライトをブックした直後、公式にロックダウンのアナウンスが出た。
そこから怒涛の準備が始まる訳だが、これは旅行などではなく、5人家族の移住のための引越しだ。タイムリミットまで残された時間は48時間、間に合う道理がないのである。
しかし、奇跡が起きる。持つべきものはやはり友だ。
呼び鈴がひっきりなしになり続ける。
決して広いとは言えない我が家のリビングは、既にわざわざ見送りに我が家を訪ねてくれた友人家族で溢れかえっている。そして、別れを惜しみ感傷に浸っている余裕などない我が家の惨状を一目で察し、誰もが自主的にパッキングを手伝い始めてくれる。
何を持っていけばいいかもわからずフリーズする娘の荷物を選んでくれる人、最後に残りがちなガラクタの分類と取りまとめをやってくれる人、大きなゴミを次から次へと運び出してくれる人、次々と見送りに訪れる友人たちへ即座に事情を説明し、場を仕切ってくれる人——そもそもこんなにたくさんの見送りがあること自体、ラインをいじる余裕などない我々に代わって、友人たちが素早く周知してくれたからこそだ。
代々木上原という土地は決して下町という訳ではないし、僕は下町出身でもないけれど、「下町情緒がある」というのは、きっとこういう光景のことをいうのではないだろうか。
最終的に積み上がったのは、普通の感覚なら「これ船便だろ」と誰もが即決する量の荷物。それを車2台に積み込み羽田へと急ぐ。なぜ2台なのか?これまたパパ友が車を出してくれ、しかも空港で乗り捨てた僕の車を回収して実家に運んでくれるという出血大サービスを申し出てくれたためだ。
そんな人情に触れていると、代々木上原はたった5年ほど住んだだけだが、堂々と故郷と呼んでいい気がした。
この48時間が目まぐるしすぎたためか、しばし日本を離れる実感は全く湧いてこないが、どうやら飛行機は無事に飛びそうである。
金曜日の21時からロックダウンが決定しているため、日本からのフライトとしてはこれがロックダウン前の最終便となる。空港内はガラガラだが、来日していたオーストラリア人と在豪している日本人で搭乗便は意外と混雑していた。
チェックインカウンターでのちょっとしたトラブルを経て(パスポートを更新した三女のビザが取れていなかった)、やっとの思いで飛行機に乗り込むと、家族全員が即座に泥のように眠りに落ちた。
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