見出し画像

トイレットペーパーを入手しただけの話を2200文字で表現してみた

2020年3月27日(金)

【Day 8】

コールズにそこそこの人数は並んでいるものの、整理券を手に入れることができて、僕は安心した。オージーでもここまでの事態になるとトイレットペーパーごときに整理券なんて配るんだな。なんて世の中だ。僕はどんどん長くなる行列を尻目に感慨に耽った。

ふと視線を上げると、前方から見覚えのある顔が近づいてくる。広告会社時代の上司と先輩だ。なぜ、シドニーに?ほぼ同時に向こうも気づいたようだ。

「あれ?イケか?」
「先輩!こんなところでどうしたんですか?出張ですか?」
「そうなんだよ」
「すごい偶然ですね、僕はトイレットペーパーを買うのに並んでたんですよ」

すごいシチュエーションでの再会に状況説明が追いつかない。はははは!とお互い笑いあっているときに、世界が揺り動かされた——


——「おとう!7時半!早く!」

アッコに起こされた僕は、愕然とした。

え?まさかの夢?あんなにスーパーリアルだったのに、まだ手に入れられていなかったとは……

今日トイレットペーパーを入手しないといよいよヤバいというプレッシャーが、僕にあんな夢を見させたのだろう。

しかし落ち込んでいる場合ではない。今日はまだ開店前だから望みはある。僕は顔も洗わずにサンダルを突っかけると外に飛び出した。


7時35分、駆け足でコールズの入り口に到達すると、エントランスにはすでに10人ほどの客が溜まっていた。まだ列を作るほどの人数ではなく、なんとなく入り口をぐるりと取り囲んでいる状態だ。もちろん、整理券などは配られていなかった。

思ったより人数は少ない。これならイケるかも。

しかし安心はできない。なぜなら、現状のコールズは、7時〜8時のオープン前の1時間、医療従事者とその家族専用の買い物時間を設けているからだ。

実際、店舗自体はもう稼働していて、ひっきりなしに買い物客が出入りしている。つまり、それらの人々は全員医療従事者というわけだ。確かに、中にはよほど病院が近所なのか、それともID代わりなのか、病院のユニフォームを着たまま買い物に訪れている人も何人か見かけた。

エントランスに溜まっているのは、それ以外の一般の買い物客というわけだ。

どれほどの医療従事者が買い物に訪れているのかはわからないが、出口から吐き出されてくる買い物を終えた人々の手には必ずトイレットペーパーがぶら下がっていたから、正規オープンの時間帯にはもうストックが少なくなっている可能性が高い。

そうこうしている間にも少しずつ開店待ちの人々は増えていく。僕はエントランスホールの端っこに立っていたが、振り返るとすでに店の外にも15、6人が集まっていた。

中には、後から来たにも拘らず、電話をかけるふりをしながら入り口近くまで少しずつ近づく輩や、カーパークから上がってくるエレベーターから降りて、そのまま人々の後ろに回らず先頭付近に止まる輩もいる。それぞれトイレットペーパーを狙っているのは間違いない。

しかし、並ばない輩に向かって誰かが殺気立って文句を言うことはなく、概ね平和な雰囲気だったのには、なんだか好感が持てる。


そして、入り口に立つセキュリティーの8時のアラームが鳴ると同時に人々が動く。エントランスから一歩踏み込むと、今日は競歩ではなくスプリントだった。先頭の10人ほどがいきなりダッシュし始めたのだ。

「Oh...」と失笑し、スプリンターたちの後ろ姿の動画をスマホで撮影する女性。僕も一瞬迷ったが、ここまでして手に入れられなかったら全く意味がない。プロセスは評価されない。どんな手を使ってでも結果を出してナンボである。

そして、先頭集団から遅れること数秒後、僕も猛然とダッシュし始めた。長い直線で数人を抜き去り、乳製品売り場のコーナーを高速で曲がると……

そこには、充分な在庫が積まれた棚があった。この店で初めて見られる光景だ。トイレットペーパーが、こんなにも神々しく見えるとは……

すでに先頭集団はそれぞれトイレットペーパーを掴み取っているが、僕の順番までに在庫が尽きることはなさそうだった。

そしてついに、1トランザクション1つまでのトイレットペーパーを手にする。やった、ついに俺はやったんだ……!底知れぬ達成感が湧き上がり、僕は自然とこみ上げる笑いを抑えることができなかった。トイレットペーパー1パックを手にして感動したのは初めてだ。

よく見るとトイレットペーパーの隣にはティッシュも並んでいたので、そちらも急いで手に取る。ティッシュは1トランザクションに2個までオーケーだった。

******

「どうだった??」

僕が帰宅すると同時にアッコが尋ねてくる。僕は、答える代わりに、戦利品を誇らしげに掲げた。

画像1

「わあ、よかった!ありがとう!!」

トイレットペーパーを見た瞬間、破顔するアッコ。こんなに手放しで感謝されたことは、最近ではちょっと思い出せないぐらいない。

そして、アッコの歓喜の声を聞きつけ、まだ寝ていた子供たちまで起きてきて僕を祝福した。まるで国を守るため戦い抜いてきたヒーローの帰還さながらである。

アッコはトイレットペーパーを並べ、iPhoneで、それもポートレートモードで撮影しはじめた。同じくトイレットペーパー危機に喘ぐ友人に、報告のために送るのだそうだ。やれやれ、なんて世の中になってしまったのだろう(かく言う自分も、それを日記の画像に挿入しているのだけど……)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?