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その「甘やかし」は“本物の砂糖”か?

2020年3月30日(月)

【Day 11】

三女・ミハヤは、5年間、大甘に甘やかされて育っている。それは親である自分も(そしてアッコも)全力で認める。

長女や次女の甘やかされ方が砂糖大さじ1だとしたら、ミハヤは大さじ10杯を使用したホールケーキ並みである。それを、時どき長女や次女にも嗜められる。

しかし、それでもミハヤは、そんな長女や次女も含めた家族みんなから猫可愛がりされている。寝る時間になると、毎日ミハヤの隣は取り合いになるほどである。

そう、ミハヤはまさに猫のような存在だ。

自由気ままに、その時自分が望む人間に寄り付いて、その人が何をしていようがお構い無しに膝によじ登る(顔に覆いかぶさってくることもある)。遊びたいもので遊ぶ。でも片付けは一切しない。食べたい時に食べたいものだけを食べたいだけ食べる(決して大食いではないが)。

僕は猫を飼ったことがないし、ついでに言うとヒドい猫アレルギーだが、猫を可愛いと思う気持ちはわかるし、多分猫を飼うとこんな感じなんじゃないかと思っている(最近髪を切ったミハヤ、見た目は猫というより「実写版おさるのジョージ」という方がピッタリなのだが……)。

それだけ甘やかされているからか、ミハヤは「叱られる」ということに対して、一切耐性ができていない。

もちろん、姉たちが叱られているところはいつも見ているし、何をしたら親が怒り出すかもおそらく知っている。しかも、姉たちが叱られている時には、ちゃっかりと「良い子」を演出するスキルにも長けている。

それでも、親の怒りや嗜めの矛先が自分に向くことに対しては驚くほどの拒絶反応を示す。


今日、ミハヤはリモートワーク中のアッコの膝下で、アッコの仕事用iPhoneのパスコードを解除しようと、デタラメな番号をなんども押し続けていた。

どうやらミノリが「ママの電話のパスワードわかっちゃった〜」とのたまったのがキッカケになったようである。ミノリにできることは自分もできるはずと思い込んでいるのだ。

しかし、ミハヤはかつて、機種変更して使わなくなった古いiPhoneのパスコードをデタラメにいじり続けてロックアウトさせた実績がある。今いじっているのは古いiPhoneではなく、現役バリバリの仕事用iPhoneだ。

アッコは仕事に集中しているため、足元のミハヤに声をかける余裕がない。ならば当然僕が嗜めなくてはなるまい。

「みぱ、それお仕事の電話だから間違えて使えなくなったら困るよ。やめて」

僕が放った言葉には、決して怒りの色は含まれていなかった。単にやってはいけないことをやめなさいと、理由も添えてフラットに告げたまでだ。

しかし、すでに雲行きが怪しい。ミハヤはややうつむき、無表情のままパスコードを入力し続ける。

僕はもう一度繰り返した。

「みぱ、ダメだって」

そして、ミハヤから電話を取り上げようと手を伸ばした。

その瞬間、ミハヤが僕の顔を叩いた。まるで怒った猫(もしくは子猿)が相手を引っ掻くような動きそのものである。

「いい加減にしなさい」

流石に僕の声色は硬くなり、同時に、本気のスピードでミハヤの手から電話を奪い取る。

ミハヤは、突如として泣き叫び(怒りが滲んだ泣き叫び方故に、その声もまた動物っぽい)、「もうイヤだ!!!」と言い残して寝室に駆け込むと、ドアに施錠までして閉じこもった(鍵を使えるあたりはやっぱり子猿っぽい)。

一部始終を家族全員が見ていたから、今回ばかりは誰一人としてミハヤの味方はいない。長女はツムツムに勤しむ手を止めずに「あの程度でああなるのはおかしいよ」とだけ呟いた。「おとうたちが甘やかしすぎなんだよ」と、改めて次女が呟いた。

今更言われなくてもわかってるよ。だから悩んでるんだって。

これは、5年間メリハリ付けずに甘やかし続けてきた代償なのだろう。ここから軌道修正し、ミハヤに「叱られ耐性」を獲得させていくのがかなり険しい道のりになるのは容易に想像がつく。

しかし、ミハヤは猫ではなく人間なのだから、それを獲得しなくてはこの先生きていけない。たとえミハヤがしばらく懐かなくなったとしても、やらなくてはいけないのである。

でも、この5年ミハヤに与え続けてきた甘さは、ゼロシュガー飲料に使われるような「甘いけどニセモノ」ではなく、「本物の砂糖」だ。摂りすぎはよくないが、生きるために必要不可欠なカロリー(=愛情であり、自己肯定感の源)が詰まっているのだ。

これから「叱られ耐性」という筋肉を付けていけさえすれば、効率よくカロリーを燃焼させて、常に前向きに生きて行けるはずである。

と、信じたい。

うまいことを言おうとして、なんだかこんがらがってきたので今日はここまで。

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