誰かの期待に応えること

私はずっと誰かの期待に応えて生きてきた。

先生に言われたから勉強し、先輩に言われたから部活をがんばり、チームのメンバーに頼まれたから役割を引き受け、、

自分では、大学に合格するため、もっと楽器をうまく演奏できるようになるため、自分の能力を高めるためって理由づけをしてたけど、根本は誰かの期待に応えて認められるためだった。

こうやって、ずっと自分ではない誰かの人生を生きてきたように思う。

誰かの期待に応えている間は、感謝や褒めの言葉をかけてもらえる。それが嬉しくて誰かの期待に応え続けてきたんだろう。
もちろん、誰かのために行動できることはすてきなことだと思う。

でも、ときには自分の意志で自分の選択をしていかないといけない。
誰かの期待に応えた選択は、誰かの期待に応えるためのものにすぎず、本当に大事なことを見失ってしまうからだ。
例えば、先生の期待に応えるために勉強は、勉強の本当の目的である、活用できる知識を身につけるためという目的を見失ってしまう。

最近私は、大きな意志決定をした。
それは周りの人の期待を裏切るものだったけど、これからの自分にとって良いと考えてその道を選んだ。
正直すごく怖かったけど、周りの人はそれを受け容れてくれた。自分のやりたいことを楽しんでって言ってくれた。
だから、私はこの道を正解にできるように、精一杯楽しみたいと思う。

読んでくれてありがとうございます!

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