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おすすめ本の選び方

今回のコロナ禍で色々な業種が休業を余儀なくされましたが、書店はどうだったのでしょうか。
自宅の直近の駅ビル書店は、ビル自体の休業に伴って休みとなっていましたが、職場付近の文教堂、紀伊国屋書店、ブックオフは短縮営業で粛々と営業を続けていて頼もしかったし、どの店も普通にお客さんがいて買い物を楽しんでいました。
普段から書店に足を運ぶ人は、変わりなく足を運ぶと思うのですが、このステイホームの影響で新たに読書人口が増えたのではないかと期待しています。
ずっと画面を見つめ続けるのって疲れるし、生産性の無い事をしているような気になってきて、せっかく出来た時間を無駄に消費してしまっているという罪悪感に苛まれてしまいます。
ところが眺めるものを本にした瞬間、朝から晩まで読み続けても罪悪感に駆られることはありません。むしろステイホーム中に本を何冊も読めたという達成感迄得る事が出来ます。
本を好きで読んでいる人間からすると有難い話なのですが、何故か本は漢方薬か温泉のように色々な効能があると言われています。少々スピリチュアル入っている事も含まれていたりしますが、ストレスが軽減されたり、語彙力がアップしたりといいことづくめです。
僕ら読書ばっかりしている人たちは、好きな事しているのに罪悪感無しで、何なら褒められるという謎のご褒美状態です

で、全く本を読まない人たちが、これを機にいきなり本を読み始めるかというとそれは無いなというのが現実的な印象です。恐らく書店に流れた人々は元々本を読む素養がある人達だったんだろうなと思います。
この本を読む素養というのは一体何なんだろうと思うのですが、ただ単に面白い本にドはまりしたことがあるかどうかなのではないかと思う次第です。
僕は16歳まで一冊も本を読まずにいましたが、それ以降空気のように本を読み続ける結果となりました。その読書人生の契機を作ってくれたのは「グインサーガ」「アルスラーン戦記」「幻獣少年キマイラ」。すなわち栗本薫、田中芳樹、夢枕獏という三大ファンタジー巨匠には一生頭が上がらないという事であります。
しかもこの三冊に共通するのは、表紙、挿絵が天野喜孝なんです。天野画伯といえば「ファイナルファンタジー」シリーズのパッケージからキャラクターデザインまで行っていた事でも有名です。
僕は小学生でファイナルダンタジーにドはまりしたのですが、そのパッケージのかっこよさで頭の中に世界観が広がったのはとても大きく、数年後に見覚えのあるイラストの本を数珠つなぎに読んで行った結果が今に繋がっていると思っています。

今でいう所のライトノベルにあたる本で読書に覚醒した人間としては、今の漫画のようだと揶揄される表紙を否定する事は出来ないんです。
表紙の親しみやすさや美麗さで手に取る事は多いと思うし、特にキャラクターを重視する小説に関しては顔や服装をイメージする手掛かりになりやすいと思います。
映像主体の時代に字だけというのはとても敷居が高いですが、数枚イラストが入っているだけで敷居が低くなるでしょう。

なので、若者にはどんどんライトノベルを読んでもらいたいです。太宰治や夏目漱石を我慢して読むよりも、スピーディーでスリリングで分かりやすい本をガンガン読んで冊数を稼いで頂きたい。そうして沢山読んでいるうちに、他の文芸書が気になってきて、太宰治や夏目漱石を手に取る日が来る事でしょう。
本好きにとってお勧めの本を聞かれるという事は、とても燃えるし気分が高揚します。思わず自分が感銘を受けた本をぐいぐい勧めたくなってしまいます。
しかしちょっと待って!そのお勧め本は本当にその読書ビギナーにお勧め出来る本でしょうか?
このご時世に読書に興味を持ってくれた人というのはとても貴重です。いきなり高尚な物を勧めたりしないで、面白いと感じてくれる可能性が高いものを考え直してみてください。その一冊が彼、彼女の今後の読書人生を左右しますよ!

ちなみに僕の敬愛する三平一平さんは「釣り堀で楽しく釣りを楽しんでいる人を笑う事は、とても恥ずかしい事だとわたしは思う」という名言を残しています。一平さんは名作漫画釣りキチ三平に登場するおじいさんです。孫の三平が釣り堀で釣る事を馬鹿にする態度を取った時にした発言ですが、これはその道の本道を歩み始めたと感じ始めた、オールジャンルの人々が戒めとして胸に置いて頂きたい名言です。
読書という事に関しても、古典や難解なものが偉いという考えに囚われている人が居ます。
往々にしてライトなものに関して上から目線になってしまいがちですが、本という無限の広さを持つ世界に歩みだした仲間として温かく迎えてあげて欲しいものです。どうせ本は無限に有り過ぎて、一人の人間が読める冊数なんてたかが知れているのですから。

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