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これからの本の話 その2

書店という存在に対してとても無頓着に生きてきたのは事実ですが、普通は商売自体が弱肉強食の世界なので、ノスタルジー以外で店の存続を願って買い物をするなんていうのは異常事態だと思います。
出版不況と言われる昨今、個人書店の苦境は察して余りあります。そしてこの出版不況が好景気に変わることはもうあり得ず、ジリ貧の状態で悪くなっていく事しか考えられません。そして出版はデジタルに移行されていき、置き去りになるのは書店となるのでしょう。
正直レコード屋さんという存在が、ここまで一気に無くなっていくなんて思いもよらなかったし、自分自身何年もレコード屋に行っていません。
電子書籍に移行するつもりは今のとこありませんが、旅行や入院など荷物を減らしたいときには、電子書籍の便利さにやられそうだという予感もあります。

書籍の歴史は遡れば数千年の長きに渡っているので、おいそれと無くなっていくことは無いであろうとは思っています。
しかし、書籍というものがテキストの集合体であるというところに立ち返ると、Webで無数に流れては消える文章と本とどこが違うのか、という問題になってくると感じています。
壁や石に刻み込んだメッセージから、粘土板、羊皮紙、パピルスなどから現在の紙に至るまでに、気の遠くなるような時間を掛けて洗練されてきた書籍。さらなるステージとしてのデジタルコンテンツの存在は、もはや否定出来ない段階に来ている事は理解しています。

そこで我々が本に出来ること。それを考えていきたいです。
本そのものは単なる商材であり、右から左に動かして利益を得る。そしてその儲けを投資してまた新たな本を作り売る。ビジネスそのものであり、本来は慈善事業であってはいけないはずです。
しかし既存の個人書店や中規模の書店では資金繰りに苦しんでいる店がとても多い。人が沢山訪れて本も売れているにも関わらず儲からない。翌月の資金が足りないままそれでも本を売らなければならない。このジレンマに関しては『奇跡の本屋をつくりたい〜くすみ書房のオヤジが残したもの』を読むととても分かります。
有名書店にも関わらず悲壮な決意で店を続け、家族も不幸で失いたった一人でもまた本屋をする事を夢見つつも、夢かなわずお亡くなりになってしまいました。
名前が有り、企画力も有り、お客を呼ぶ力もある。それでも本というコンテンツの利益率の低さと、取次を通した時のキャッシュフローの不利さが足を引っ張っていると思われてなりません。

そのような中で、体験型ともいえる書店が人気を高めていると感じています。
ブックカフェやカフェ併設書店。古本屋と居酒屋の融合。雑貨を扱う書店。はたまた書名を隠して宝探し的に売ったり、イベントを数多く打って集客につなげる等の工夫をしている書店も沢山出てきています。
それもこれも本という商材の弱さをカバーするため、他の商材で利益を上げ書店としての維持につなげていく、まさに苦肉の策と言えます。
この体験型と私が読んでいる書店の強みは、「本を買った」という体験自体が、どこでも買える本という物体に付加価値を与えやすい事です。

本を置けば売れた時代は遠く過ぎ去り、手に取る意味合いが無ければ無自覚に本を買ってくれることはまず無くなったと考えてもよいと思います。
そんな時代に本から無限の恩恵を受けてきた人間が出来ることは、ネットで本を買わずリアル書店で買うという行為が第一となります。
しかしそれだけでは一人が自分の身銭を切っているだけで大した効力はありません。
本を読む、アウトプットする、それを人に届ける、読書体験して貰うことで、新たな読書人を産み出す。又は促進させる。地味ではありますがこれを読書人達が皆でしていくことで、裾野を広げていくことが大切だと感じています。

私自身は、音楽活動を通じて新古書を売って、読書に興味を持ってもらう。本と関わりないSNSであえて書評を出し、本の存在を意識してもらう事を行っています。
僕らのファンの中でも、最近本を読んでいないが読むきかっけになった、本当は物凄く本が好きだ、読んだことなかったが読んでみたら面白かった。いろいろな人から反応があり、地道に本の裾野を広げていくきっかけになれているという自覚があります。

書店界の風雲児、内沼晋太郎氏の著書の中で「広義の本屋」という言葉が出てくるのですが、本を売らなくとも本を店に置いたり、勧めたりという本を手に取る切っ掛けを与える人間は「広義の本屋」であるという事です。
これを受け売りするのであれば、僕は広義の本屋だし、本の有る喫茶店も、床屋さんも、図書館も米屋さんも車屋さんも皆広義の本屋さんと言えると思います。
SNSで本の面白さを伝えようとする人、youtubeで書評動画を上げている人、皆広義の本屋です。
そう考えると、本が面白いものだ、良いものだと伝えることが出来る機会が、以前よりも今の方がずっと多いし、影響力も計り知れない。我々が愛す本の為に出来ること、それは読んでその素晴らしさをこのWebの海に投じ続ける事なのかもしれません。

先日とある年若い個人書店の女性に選書をお願いしましたが、自分以外の意思が入った本というのはまた違った読書体験となります。新たな世界の広がりを感じて、読書がさらに好きになりそうです。

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