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医療・サービス・人材と異業種への転職をした結果、今が一番かもと思えている26歳の自己紹介(学生時代編)

こんなはずではなかったというのが、今の私の、自分自身の人生に対する印象だ。おかしい。どこからこうなってしまったのだろうか。幼少期からずっと「真面目で、いい子」を貫いてきたつもりだった。曲がったことが嫌いで、何かを投げ出すなんてこともせず、小1から始めたバレーボールはそのあと高3まで続けたし。ピアノもそれなりに続けて、学校の行事ごと(卒業式とか離任式とか)では校歌伴奏をしていたくらいだ。

そんな私が、2年→6ヶ月→現在(2年ちょい)という職歴なのだから、これには私自身が一番驚いている。

そしてそんな私だが、今は転職やキャリアのサポートをさせていただいている。常日頃、相談に来てくださる方の人生や思いを根掘り葉掘り聞いている立場なのだが…私ってそもそも「こんな自分の人生」どこにも晒していないなと思った。だいたいnoteを始める時の一本目は「はじめまして」「自己紹介」という類だろうに、私のnoteにはそれがない。

今更ながら、というところではあるが。「花田ありさってこんな人間だったんだ」と。「面白い人生歩んでるな〜」と。そんなふうに見ていただけたら嬉しいです。


\    花田ありさ 略歴    /

大分県豊後大野市出身、26歳。中学生の時に「理学療法士になる」という夢を掲げ、21歳で無事に理学療法士国家試験に合格。神奈川県の総合病院に就職。人工股関節・膝関節専門の病棟に配属され、術後の急性期リハビリに従事。勤務1年半で適応障害、2年で退職。傷病手当を受給しながら転職活動。元々大好きだった無印良品に入社。パートナー社員として、主に雑貨や衣服などを担当。地元大分に帰るきっかけがあり2021年11月にUターン。2022年1月〜現在まで大分県に特化した天職エージェントのキャリアアドバイザーとして勤務。2023年に国家資格キャリアコンサルタント取得。2ヶ月前に結婚して、実は花田じゃない。犬を飼っています。


\    超優等生だった学生時代    /

<小学校〜中学校編>
小学1年生から始めたバレーボールが、今の私の基盤を作ったといっても過言ではないと思っている。当時はまだ「体罰だ!」というのもそこまで厳しくなく、ビンタや髪を引っ張られるのも当たり前だった。きつかったけれど、仲間が頑張っている中、自分だけ辞めるのは悔しくて意地でも続けた。「なぜ怒られるために練習に行かなくてはならないのか」と両親に泣きながら訴えかけた時もあったが、今思えば本当にいい経験をさせてもらったと思っている。バレーボールに関しては、中学・高校でキャプテンも務めたが、それも今の自分に大きく影響していると思う。

中学生になってからは、生徒会活動にも積極的だった。文化祭や体育祭の実行委員長を担当したり、卒業式では答辞も担当した。結局話し始めて数分で号泣して、全く言葉にならなかった記憶だけれど。そしてそんな私が、バレーボールを通して怪我をしたのがきっかけで「理学療法士になりたい」と思うようになった。「大分県内で理学療法士になるためには」と自分なりに調べて、高校進学とその先で行きたい専門学校を決めたのがこの時。何を言っても否定しなかった両親には感謝しかない。

<高校〜専門学校編>
豊後大野市から大分市の高校へ進学した。部活もしながら、1時間に1本あるかないかの電車通学は大変だったので、寮生活を選んだ。寮といっても、先輩含めた3人でシェアハウスのような生活。毎月決まった額を徴収し、担当制で全員分の夜ご飯を作ったりしていた。もちろんお弁当も自分たちで作っていたし、何より驚きなのがこの寮にエアコンがなかったこと。これが本当に女子高生がする生活なのか…?と本当によくやっていたと思う。今ならきっとむり。

この時から、私はすでに行きたい専門学校があった(前述したとおり)ため、そこの指定校推薦を取るために必死だった。成績はもちろん、皆勤賞は絶対逃してはなるまいと目標に向かって直向きな生活を送っていた。

そして3年生になって部活のキャプテンをしつつ、なんとか行きたい専門学校の指定校推薦枠を確保でき、進学できることが決まった時は安堵の気持ちでいっぱいだったことを覚えている。夢に着実に近づいている感覚は、その時の私にとっては他に変え難いものだったと思う。中学の時は答辞だったけれど、高校の卒業式では目録を読んだ記憶。あんまり覚えていない。

専門学校に入学してからは「こんなに勉強ってきついものなのか…?」と、これから待ち侘びている「国家試験」に対して、1年生の時から心底怖くなった。

マックやジョイフルで同期とテスト勉強で明け暮れる日々。3年生の時にある長期実習(2ヶ月×2)。そのうち1回は長崎県に飛ばされ、2ヶ月間レオパレスで初めての一人暮らしを経験した。ストレスで人生最大の肌荒れ期はこの時。こんな経験をしている中で、キラキラした理学療法士への夢が、だんだんと現実になってきて「私本当に大丈夫なのだろうか」と感じ始めていた。

無事に国家試験にも合格し、神奈川県の病院に就職が決まっていたので、友人たちとの別れを惜しみつつ、でも「社会人」というステップアップにワクワクしていたのも覚えている。理学療法士として、患者さんのためになるように、たくさん勉強して、頑張るんだ!!!とめちゃくちゃ意気込んでいた…

はずなのだけれど。「中学生からの夢、やっと叶えたのに…??」という中、私はたった2年で理学療法士を辞めてしまったのだ。


と、学生時代の記憶を辿っていたら、こんな文量になってしまいました。

働き始めてからのことは、また来週書こうと思います。これからのことの方が、もっと色々あったな。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。では、また来週。

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