8/28 存在するものとしてのアート
僕の頭の中には、10年以上も前から「頭の中の住人」と呼んでいるキャラクターたちが存在している。彼らは目に見えないし、耳で聞こえるわけでもない。手で触れることもできない。客観的に観測できない存在だ。でも、僕の脳は彼らの存在を確かに感じ取っている。これはまるで、統合失調症の人が幻覚で幽霊を見たとき、その幽霊が実際には存在していなくても、その人の脳内には確実に「存在している」のと同じ理屈だ。脳は、現実と想像、そして内的な体験を区別せずに処理することがある。その結果、僕が頭の中のキャラクターや絵が「生きている」と感じるのは、脳がそれを現実と同等に認識しているからだ。
同じように、僕の創作活動、特に絵についても同じ感覚がある。僕は絵が生きていると感じることがある。キャンバスの裂け目から露出した木枠が骨のように見えたり、段ボールの鋭い端が傷跡のように感じられることがある。それは単なる材料の組み合わせや偶然ではなく、僕の脳がそれを「生命」として認識しているからだ。僕にとって、その絵はまさに「生きている」存在であり、ただの物体ではない。
この感覚は、僕にとっては絶対的な現実であり、それが他人に見えないからといって無意味になるわけではない。アートは、主観的な体験や感覚を表現するものであり、その意味では僕が感じていることは、アートの本質に深く関わっている。誰にも見えなくても、僕にとってリアルな存在である限り、それは確かに「存在している」。そして、そのリアルさこそが、僕の作品に命を吹き込む源になっている。