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喜怒哀楽はあって当たり前。自分を責める必要NOTHING。

喜怒哀楽を持っているのは
人間に生まれたんだから
仕方ないことだと思います。
標準装備だからね。

喜と楽はいいことだけど
怒と哀はダメとか
そんなことはありません。
どれもあって当然。
だって標準装備なんだから。

いつでも何でも
ポジティブでいようーー!!!
なんて無理じゃん。
そんなの疲れるだけだから。
無理は身体によくないです。

でも、ポジティブの時間を増やすことは
可能です。

ネガティブ90vsポジティブ10の割合を
ネガティブ70vsポジティブ30とか
ネガティブ50vsポジティブ50とかにして
徐々にひっくり返すことはできる。

最近、ポジティブ度合いが80キープ
なんてことがあったとしても
気圧が低かったりすると
(女子だと生理だったり)
ネガティブ80なんてこともよくあります。
ずっと同じで変わらないことなんてない。

若い頃、
人間関係で窮地に陥り
『お前なんか死◯んでいなくなれ』と
身近な人から徹底的に非難され
ポジティブにならねば!
と頑張りすぎて
ネガティブな状況を我慢して我慢して我慢して
(蓋をした状態の似非ポジティブ)
ガン一歩手前までになったことがあります。

そこまでいって
「あ、こりゃガマンしていいことねーな」と
開き直れたおかげで
いま、私は生きています。
そして、私に『死◯ね』といった人も
好き勝手なことをしながら
元気に生きています。

その「元気で生きている人」を見ていたら
「なんかさ、自分ばっかネガティブって
すんげー損してるんじゃね?」
と思ったら、その人を責める気持ちも
なくなった。
そんなこと(ネガティブ)に
時間を使っているのがバカバカしくなったんです。

そっからはもー、自分接待ですよ。

そりゃね、いわれましたよ。
「そんなことしてバカじゃねーの?」
とか
「意味ないね」
とか
「普通のお母さんじゃダメなのかよ」
とか
ほんと、もー散々いわれましたけど
「は? お前のために生きてるわけじゃねーし」
でニッコリ笑顔で静かに自分接待してきました。

そうなると
相手もだんだんいわなくなります。

今考えると、相手の言葉や態度は
私の中にある『エゴ』が
目の前に姿を表していただけんだなぁ
と思います。

自分接待って、
『よそは知らんが、いま私はこれしたい』
と自分目線で生きている状態です。
だから、自分がしたいことを素直にしているので
周りの目とか気にならなくなるんです。

もちろん、自分がするべきことはするし
誰かに迷惑をかけない範囲でしていました。

自分のことを優先して
自分の気持ちに素直になると
周りの雑音は
さほど気にならなくなります。

人間には
喜怒哀楽があって
それがアップダウンするのは
仕方がないことです。

でもね、落ち込んだからといって
自分を責めるのは違います。

いろいろなことがあって
今では
『スーパーお気楽極楽』な私ですが
落ち込むことだってあります。

それでも、
自分接待をして、気持ちを整えていけば
しばらくすると
またお気楽極楽に戻れます。

人生、ずーっと落ち込んでもいられないし
ずーっとポジティブでもいられません。
でも、ポジティブの時間を増やすことは
誰にだってできます。

人生80年(くらい?)
落ち込んでばかりだからといって
自分を責めているのだとしたら
それはもったいないです。

喜怒哀楽はあって当たり前。
喜んだり
怒ったり
悲しんだり
楽しんだりしながら
楽しく生きていきましょう。

**************
〈ちょっと補足〉
『エゴ』って
自分の中にある不安が顕在化して
あれこれギャーギャーいってきますが
ギャーギャーいう力はあっても
何かを成し遂げる力はない。
北斗の拳でいうところの雑魚キャラ。

雑魚キャラではありますが
『余計なことしてあなたの命にかかわったら
大変。あなたのことを守っているのよ』
とも思ってくれているので
可愛いやつでもあります。
だから、その部分に関しては
素直にありがとうです。


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