話しかけられやすい

世の中には「見知らぬ人から道を聞かれやすい人」がいますが、私もそれです。

犬の散歩をしていたら横を走る車の中から近くのショッピングビルの場所を聞かれたり、海外から来た旅行客らしき方に英語で最寄りの華屋与兵衛の場所を聞かれたり、電車のホームを聞かれるのはもはや日常茶飯事です。

道を聞かれるといつも、「なぜ私に聞こうと思ったのかな?」と素朴な疑問を感じるものです。大勢の人が行きかう中で「うーん、うーん、あ、そこのあなた!」って感じで白羽の矢を立てられることが多かったように感じるからです。

道を尋ねたい人は、「自分より弱そうな人に聞く」「親切で感じのよさそうな人に聞く」「地元人っぽい人に聞く」などの説がありますが。

まぁ結局はケースバイケース、道を尋ねた張本人にしか理由は分からないでしょうし、膝を突き合わせて問い詰められでもしない限り、誰に道を尋ねるかの選出に明確な理由なんて持たない人がほとんどかと思います。

それでも私が「ななななぜ私に…!?」と思った、思い出深い道聞かれ体験があります。

仕事帰りの駅のホームでのことでした。

その日、私はすこぶる体調が悪く、駅のホームのベンチで自分の膝にうつ伏せになるみたいにして、体を二つに折り曲げて、乗るべき電車が来ても立ち上がれませんでした。電車は私が座っていたホームに数分間停車する予定でした。私は、(困ったなー、しかし何とかして立ち上がらんことには)と何度も思いながらも、(うーん立てない)となって、突っ伏していました。

すると誰かから肩を「とん、とん」と叩かれました。

(あ、これ、誰がどう見ても体調不良なこの感じを心配されて、声をかけられちゃうのかな!?すみません!大勢の人が利用するホームベンチを占領してこんな感じになっていて!すみません!うう、顔を上げるのがつらい、しかし呼ばれているからにはとりあえず大丈夫ですって言わなくちゃな…!)

と思いました。状況が状況なので、自意識過剰な考え方をしているのは見逃してほしいです。それでとりあえずは、ほうほうの体で顔を上げました。

すると年配の女性が私の隣に立ち、大変にこやかなお顔で私のことを見下ろしていました。

私は、彼女から「大丈夫ですか?具合が悪いのですか?」といった言葉が放たれるのを待ちました。顔を上げていると吐きそうだったので、(早く聞いてくれ、早く答えてまたうつ伏せになりたいんだ)と思っていました。

女性は口を開き、

「私ね、〇〇駅に行きたいんだけど、この電車は停まるのかしら?」

と、目の前に停車中の電車を指して、言いました。

この時、私は具合が悪いのも一瞬忘れて、周りの状況をゼロコンマ数秒のうちに確認して回りました。

まず、停車中の電車には乗らずに別の電車を待っているらしき待機客が、私と彼女のほんの二歩ほど行った先ぐらいに立っていました。その方は本当に何もしてなくて、ただただ立っていました。

女性が乗るべきか否か迷っている停車中の電車の車内は割と空いていました。停車中で開け放してあるドア付近にも、乗客が立っていました。その方も本当に何もせず、立っていました。

「本当に何もせず」と二回も書きましたが、お二方とも、携帯ぐらいは見ていらしたかもしれません。記憶が定かではありません。でも、具合が悪くて体を二つに折り曲げたきり立てなくなっちまっていた人間に比べれば、何もしてないというか、何でもできそうというか、すごく元気そうというか、〇〇駅をこの線が通っているかどうかもすぐ教えてくれそうというか。そういう感じでした。

極めつけに、駅員さんが私たちの周りをウロウロしていました。もちろん何かと忙しそうではありましたが、すみませんと呼び止めれば質問はできそうな感じで。

だから思いました。なんで私?と。

ざっと見渡しただけでも三人は質問できそうな人がいて、三人全員が、少なくとも今この瞬間は私よりは健康そうにしていて、特に火急の用とかもなさそうにしていて、なんとそのうちの一人は駅員さんなのに。

なんでグッタリと体を折り曲げている私をトントンってやって叩き起こしてまで、電車が〇〇駅に行くかどうか聞いた?と。

もちろん思っただけです。

「停まりますよ…」

って言いました。停まることを知っていたので…。

「あら~よかった~」と言いながら女性は電車に乗り込んでいきました。

ビックリしすぎたお陰か(?)私もとりあえず立ち上がり、電車に乗ることができました。

人は見かけだけでは誰がどれぐらい弱っているかなんて分かりようがありません。それでもあの時あのホーム上で、パッと見で最弱なのは自分だったのではないかと思えてなりません。そんな自分が行き先を尋ねる相手に選出され、この時ばかりは、「人は道を尋ねる時、自分より弱そうな人間を選んでいる」説の熱い信奉者になりました。強くなりたいと思いました。

もうひとつ、電車関係の道聞かれエピソードがあります。
平日朝の通勤時間帯の満員電車のことでした。ラッシュの電車らしく、車内には不機嫌な顔の人々がすし詰めにされて全員無言でした。そんな車内に、とある年配男性の声が響き渡りました。

「新橋は、次ですかね?」

と。

誰に聞いているのでしょう。ワン・オブ・すし詰めにされている勤め人S である私には、その声だけは鮮明に聞こえたものの、声の主がどこにいて誰にそれを尋ねているのかは分かりませんでした。

というか、誰もそれは分からなかったようで、次が新橋駅かどうか、その声に答える方はいませんでした。
電車の音と、喉の調子が悪い誰かの軽い咳払いだけが響く車内。

また、声が高らかに響きました。

「もし。新橋は、次ですかな?」

二度目の問いかけに、ようやく誰かがかそけき声、というか、静まり返った車内の秩序を乱さないように気を使った声量で、

「ツギジャナイデスヨ…」

と、ひそひそ答えました。

「そうですか。や、これはどうも」

質問した男性は、相手の声量に込められた意図を何も汲み取ることなく、最初と同じ声量でハキハキと返答していました。強い…と思いました。

そして次の駅に到着。少人数が下車し、大人数が乗車し、電車はすし詰めのその向こうへ、そして再び走り始めます。

すると、またあの声が響き渡りました。

「新橋は、次ですかな?」

ま……た…………!?

と思ったのは私だけではなかったはずです。
詰められたすし同士、心の中を同じくした人が大勢いるのを私は感じ取りました。その大勢は、誰かが答えない限りこの大音量の問いかけが続くことも知っています。今度はさっきとは別の誰かが迅速に、小さな声で答えました。

「ツギジャナイデスヨ」

「そうですか。や、これはどうも」

返答は言わずもがな、はきはきです。

電車が次の駅に停車し、また発車した時。

三駅以上前からその車両に乗り続けている誰もが恐れていたことが起こりました。

「新橋は、次ですかな?」

もうやめてくれ、と思ったのは私だけではなかったはずです。
しかしさっきの二回と違うところがありました。今回、「新橋は次ですかな男性」は、前の二回のようにハキハキと空に向かって言葉を発し、誰かしらの返答を期待するという形ではなく、私に向かって、私の目を見て、それを言っていたのです。

なんで私やねん。と関西出身でもないのに思いました。でも仕方ないので、先人に倣って「ツギジャナイデスヨ」と答えました。「や、どうも」を言われてこのくだりがサクッと終わるのを期待しながら。

しかし期待は打ち砕かれました。「新橋は次ですかな男性」は続けて、

「いったい、新橋にはいつ着くのですかな?」

と聞いてきたのです。
私は、彼の真正面にある路線図をデカデカと映し出すモニターを、人混みの中多少苦労して確認し、

「アト4エキデスヨ」

とお伝えしました。何が面白かったのか、「新橋は次ですかな男性」は、

「はっはっは。結構ありますなぁ」

と高笑いしました。というか、はじめデッカイ声で判で押したように「新橋は次ですかな」しか言わないから「新橋は次ですかな男性」と呼び名を作ったのに、私のターンではどんどん新しい言葉を喋り始めています。でもそれもこれで終わりでしょう。私は高笑いには特に反応せず静かにしていました。すると男性は、また私の目を見て、こう言いました。

「しかし嫌な世の中になりましたな!」

え?と思いました。

電車の中は本当に、本当に、静かだったんです。
そういう世間話しばくような空気じゃないんです。しばくような間柄でもないし。

しかも「嫌な世の中になった」って、話題として抽象的過ぎて、アータがそう思うんならどこまでもそうだろうし、アータが少しでも小さなことに幸せを見つける意識とか持てば別にそんなでもないんだろうし。
何で今ラッシュアワーの満員電車でわざわざそんな話をしたいのかが分からなすぎました。

かなり年上の人生の大先輩を心の中で「アータ」と呼ぶぐらいには、私の気持ちは乱れていました。

申し訳ないですが、曖昧に頷きつつ、ほぼシカトをしました。
しかしはじめに目星をつけた通り、相手は強かったのです。

「いや~こないだも相続争いで弟が姉をコロしましたからなぁ!まったく恐ろしい話で」

恐ろしいけども。今はアータがいちばん恐ろしいよ。

私は残念ながらその悲劇的なニュースを知りませんでした。知っていたとしてもやはりその朝の満員電車内で以下略。

困りました。三駅以上前からその車両に乗り続けているお仲間の哀れみを肌に感じる気がしました。

その男性があと4駅電車に乗り続けることは分かっていたので、私は仕方なく、次の駅で降り、車両を移動しました。

何で私のターンでだけ、

「新橋は、次ですかな?」

の続きがあんなにモリモリ出てきたのでしょう。
単に会話するのが三人目で興がノッてきただけだったかもしれません。
それでも、あの静かな車内で見知らぬおじいさんに妙な話題を延々とフラれ、その相手として選抜された気恥ずかしさ、口惜しさによる(クソぅ…)という思いから、(なぜ私…)と折々に考えてしまう出来事です。



道を聞かれやすいのと同じ原理だと思っているのですが、タクシーの運転手さんから話しかけられやすくもあります。

とある日、私は外部での仕事の打ち合わせに遅刻しそうになっていました。

知らない土地で駅からの道順も不案内な中、上司が先に打ち合わせ場所に着いていると連絡が入りました。焦りに焦った私は、改札を出た瞬間、目についたタクシーに飛び乗りました。

行き先を告げ、「何分ぐらいで着きますか?」と、質問を、しようとしました。

しかし運転手さんは「はぁい、△△ですね~」と行き先を繰り返して発車した瞬間に「いやぁしかしめっぽう涼しくなりましたなぁ」と言い始めました。(確かなんかそんな季節だった)

「本当ですね。やっと秋めいてきて。それで、何分ぐらいで…」

「近頃はもう、残暑残暑って言ってるうちにもう冬になって、秋なんてすっかりないようなものでね」

「本当にそうですね。夏と冬しかないみたいな気候で。あの、なんぷ」

「あはは、本当だね、日本に四季はなくなったのかー!?って!ねぇ!!
 いや、はは、お客さん…お若いのに、世慣れてるねぇ!」

「(今の会話のどこでそう思ったのか全然分からん)そんなことはないですよ、色々勉強中です。あの、なんp」

「いや私も色々な人を乗せますけどね、近頃はそういう返事ができる人がめっぽう少なくなってるなーって、実感しますよ、ほんと。あ、そうそう、*********……(なんか正直その時の私にとってはマジでどうでもいい話)」

「(うう…なんか全然意味が分からないし嬉しくもないけど、褒められているぽいし、こういう会話ができて嬉しいみたいな意味合いのことも言ってる…なのにこの流れをぶったぎって「何分で着くんですか?」って言いだすの悪いかな…でもいったん所要時間を知って安心したい、それだけなんだ…)」

「…ってね!それでその時、阪神が三位だったから…」(いつの間にかそんなこと言いだしてた)

「あの!あの、本当すみません、何分ぐらいで到着しそうですかね!?」

「あ、あ、あ、あ~~~すみまっせん!五分程度ですかねぇ!?」

「あ、そうですか、ありがとうございます…」

五分ほどで着くのなら遅刻は免れそうだったので、私は途端に安心しました。
運転手さんは、ノリノリのお喋りを遮ってまで所要時間を聞かれたことで、私が相槌を打ちつつも本当はずっと所要時間を気にしていたことを察したようで、少ししょんもりしてしまいました。

目的地が元々駅から近かったので、そうこうしているうちに到着しました。季節の変わり目だからご自愛ください…とコピー&ペーストみたいなことを言ってサヨナラしたのを覚えています。

その後、打ち合わせに遅刻しそうで焦ったエピソードとして、同僚にこの話をしてみました。同僚は「え…タクシーの運転手さん、普通そこまで話しかけてこなくない?」という反応でした。

そこで私は驚きました。

それまでの人生で、タクシーの運転手さんにはハチャメチャに話しかけられてきたからです。

二日酔いでヘロヘロの休日、猫の病院に行かなければいけなくて、ヘロヘロと連れて行き、ヘロヘロと連れ帰った、その帰りにタクシーを使った日も。運転手さんは、

「いっやー猫ちゃんですか。いっやーおとなしいですね。可愛いですね。いいですなぁー猫ちゃんといる生活」

と切り出しました。話は彼が以前一緒に暮らしていたセントバーナードのことに移りました。なんとそのセントバーナードはある雪の日に連れ去られて、それきり戻ってこなかったと言うのです。連れ去った人間のものらしき足跡が雪に残っていたそうです。

同じく動物と一緒に暮らしている人間としては、かなりショッキングな話でした。

しかしどうにもこうにも二日酔いがツラかったのです。
本当は車の揺れも耐え難かったのですが、話が話だけに二日酔いでも必死に相槌を打ち続けました。お辛い話だとは思いましたが、正直きつかった…。

仕事がきつくて完全に病的な心理状態にあり、電車がある時間でも頻繁にタクシーを使用して帰宅している時期がありました。

そんな理由でタクシー利用していたからには本当に無言一徹で帰りたかったわけで、決して自分から愛想よくオープンマインドな素振りなど見せなかったと確信しています。

なのにある日のタクシー帰宅中、私はいつの間にか、

「フィリピン人の母娘両方から言い寄られていて、母の方と結婚しようと思っている。マイッちゃう」

と運転手さんからモテ自慢をされていたのです。(!?)

運転手さんは

「だって、しょうがないじゃない?運命の人だって言われちゃったんだから。そこまで言われちゃぁね~しょうがない。そうでしょ?」

と続けていました。

「しょうがないじゃない」って、相手方が反対意見めいたことを述べた時にそれに対する反論として出てくる言葉だと思っていて、私は別にその方の結婚予定に一切反対してないっていうか、っていうか、っていうか、何の関心も抱いていないから反対も何も意見・ゼロです。どうしてそうなったのか分かりませんでした。とにかく私は「しょうがないだろうが」と繰り返されていました。

しょうがないから「お幸せに…」と言って下車した次第でした。

その翌週、なんとまたその運転手さんのタクシーに乗ってしまいました。あれだけのインパクトがあったので、乗ってすぐに(フィリピン人母娘の両方に言い寄られて母と結婚しようとしているあの人だ…)と気が付きました。でも全然気が付いていないように振る舞いました。

もちろんというか、向こうが気が付いて、切り出してきました。

「あれあれ?お客さん、ひょっとして前回も私の車に乗ったお方じゃァありませんか?」

私はこんな、笑うセールスマンの喋り方を実地にする人を見たのは初めてだったので、鮮明に覚えています。細かい内容は違っているでしょうが、運転手さんは本当にこの文字通りの口調で喋っていたんです。

しょうがないから「そうでしたね…ども…」のようなことを言いました。

そしてまた、「母と結婚を決めた件については前回も話した通りだが、そのせいで娘の方がスネちゃってスネちゃって、大変なのだ」というモテ自慢が始まりました。笑うセールスマンは前回の乗車時、自分の恋愛事情をどこまで私に話したかを割と正確に覚えていました。驚きました。適当にあしらって黙ってほしいというアピールをすることもできたのでしょうが、そういう振る舞いをしてしまうと私の方も気分が悪くなってしまうに違いなく、乗車中ずっとその険悪な雰囲気に耐えるのが嫌だったので、もう諦めて、親身なフリで相槌を打ちました。

セールスマンは突然、

「お客さん、あなたね、幸せになりますよ」

と言いました。あまりに脈絡がなさ過ぎて、聞き違いかと思いました。

「私の車に続けて乗った人ってね~みんな、フフ…そう。幸せになってるんですよ」

「ハァ……ジャァ……タノシミデスネ (イマコノ瞬間ガ不幸ダヨ) 」

地獄…という言葉が頭をよぎっていました。

タクシーも何か疲れるなぁと思い、ちゃんと電車で帰宅する頻度が増えたような気がします。



配偶者はタクシーでも全然話しかけられないし、往来で道も尋ねらない人で、知り合った当初、私の話しかけられやすさに驚いていました。

そんなパートナーから心の閉ざし方(?)を学び、私も今はある程度、話しかけられたくない時は話しかけられずに済むようになりました。

とは言え何をどう変えて、話しかけられやすかったのが話しかけられにくくなったのか、はっきりとは分からないのですが…パートナーの態度を真似してみたら、自然と話しかけられる頻度が減ったという形なので。

単純に年齢が上がったからというのもあるかもしれません。

でも年齢が上がって思うのは、年上の方から若い人にそんなグイグイ話しかけられなくないか?ということ。

年上は必要に迫られたり向こうに必要とされる時以外は、若い人に介入していくものじゃないと私は思うので…

だから「若かったからめっちゃ話しかけられた」という仮説はあまりピンと来ませんが、そういうのも人それぞれだから、やはり若い人には話しかけやすいと思う層もいるのかな?

調べたら「道聞かれ顔」なる言葉もあるらしいですね。結局そういう顔をしてるかどうかということなのでしょうか。顔かぁ………





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