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Melchizedek and Jesus(メルキゼデクとイエス)

写真は、Chris Gallimore氏が撮影したガラリア湖の写真です。
ヨルダン大渓谷帯に囲まれた海抜-213m地点にあり、度々福音書に登場する、Jesus Christゆかりの湖です。
機会があれば、夜明け前や日没前に訪れてゆっくり眺めながら、写真を撮りたいと思っている場所の一つです。

さて、今回の記事は、Melchizedek and Jesus、旧約聖書に登場するサレムの王であり神の祭司であったメルキゼデクと、新約聖書に登場するイエスとの関係について、取り上げてみることにします。

先のこちらの記事でメルキゼデクについて触れましたが、かなり重要な内容なので再度掲載します。

7:3彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。

「ヘブル人への手紙」口語訳新約聖書(1954年版)

おそらく、メルキゼデクは実在したと思われますが、この内容が「正しい」と前提すれば、出生並びにその存在は、家族的なつながりを重視するユダヤ人社会においては特殊だったようですね。

今の科学において正しいか正しくないかは別として、いわゆる神の化身として存在していたと考えても良いのではないでしょうか。

ところで、そのような存在であったメルキゼデクとイエスを結びつける記述が少し前にあります。

6:13さて、神がアブラハムに対して約束されたとき、さして誓うのに、ご自分よりも上のものがないので、ご自分をさして誓って、 6:14「わたしは、必ずあなたを祝福し、必ずあなたの子孫をふやす」と言われた。 6:15このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである。 6:16いったい、人間は自分より上のものをさして誓うのであり、そして、その誓いはすべての反対論を封じる保証となるのである。 6:17そこで、神は、約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。 6:18それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。 6:19この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ「幕の内」にはいり行かせるものである。 6:20その幕の内に、イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。

「ヘブル人への手紙」口語訳新約聖書(1954年版)

この一文を持ってのみ、断言するつもりはありませんが、それでも、イエスが行った奇跡的な「わざ」を知る限り、イエスは、神秘主義思想カバラをアブラハムに伝授したメルキゼデクと同じような働きを託された存在と考えても良い気がします。

ただ、イエスは、「養父」ヨセフと「聖母」マリアの間に「神の子」として生まれた存在で、メルキゼデクとは出生が異なります(ここで鉤カッコをつけた意図については、Jesusの出生も含めて後日述べたいと思います)。

それでも、Jesusは、祭司のように重要な役割を果たすために一人の人間として生まれ、自らの行いを通じ、ユダヤ人に対して、神の王国に入るためには何をすべきかを身を持って伝え、磔から復活し再び天に昇るまでの一連のドラマを自ら演出し演じ切った存在であったと思われます。

これはあくまでも個人的な見解ですが、JesusはMelchizedekと同じSoul(魂)で、Melchizedekの生まれ変わりだったのではないでしょうか(パウロによるキリスト教では生まれ変わりは否定しているようですが)。

アブラハムにカバラと律法等を教えてユダヤ人を導いたメルキゼデクのように、自らの生涯をかけて教えを説き、自ら実践することの大切さを示されたイエスは、当時混迷していたユダヤ人にとってのメシア(救世主)であったと考えるのが妥当のような気がしますが、どうでしょうか。

それでは、今回はこの辺で。Shalom!


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