見出し画像

ありのままの自分を大切にするための二つの努力 コラム10


よく質問されることが、「ありのままの自分を大切にすると努力をしなくなるのではないか?」かということです。

私はありのままの自分を大切にすると努力しなくなるとは考えていません。ありのままの自分を大切にして堕落していくということはありえなと私は考えています。

実際に生きていくうえで頑張らないといけないことはたくさんあります。ただし、努力の条件が二つあります。

一つは、努力に主体性があることです。自分で頑張りたいと思って行動することには意味があります。そこには希望があります。ところが、他人に気を遣ったり、人目を気にしすぎた結果、やりたくないのに、努力を強要されたり、場の雰囲気で頑張らされることをやり続けることはありのままの自分から外れていき、非常に疲れてしまいます。

まさに負いきれない重荷を負っている状態です。努力に主体性があることです。自分で頑張りたいと思って行動することには意味があります。そこには希望があります。ところが、他人に気を遣ったり、人目を気にしすぎた結果、やりたくないのに、努力を強要されたり、場の雰囲気で頑張らされることをやり続けることはありのままの自分から外れていき、非常に疲れてしまいます。まさに負いきれない重荷を負っている状態です。

二つ目の条件は、自分のできる範囲で努力することです。自分を受け入れているからこそ、「できる」「できない」を判断できます。無理なく努力すること、実際には楽しんで努力することにもつながります。

「寸暇を惜しんで」という言葉がありますが、遊ぶ時間、休む時間、寝る時間を削ってまで努力することはやりすぎなのです。この二つの条件に入らない努力をするということは、自分自身に対して「今の自分がダメだから頑張ってよくしないといけない」というマイナスからプラスの発想の頑張りになってしまいます。そうなってしまっては、頑張れば頑張るほど自分を傷つけることになります。できないことを背伸びしてやるのではなく、今の自分ができることを精いっぱいやるのです。

主体性があること、自分のできる範囲で努力することは、プラスからプラス発想の努力とも言えます。今の自分を認めているから、これくらいできる、ここ前は頑張ってみようという思いです。不思議なことに他人から見ると「がんばってるなー」「すごい努力だなー」と思われることでも、本人は「楽しくてしょうがない」「これをやることが自分の生きがい」というくらいまで、努力のプロセス自体も喜びに満ちています。「そうは言ってもそんなの理想論だろう」と思われるかもしれませんが、実はその思い自体が自分自身にダメをだしていることになります。言い換えると「自分は幸せにはなれない」と言っているようなものなのです。

上にも書きましたが、「自分は素晴らしい存在である」を認めることです。これがありのままの自分を大切にする際の肝になります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?