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わからない怖さ

同性婚を認めようという動きが活発になりました。日本国憲法が制定されたときは、同性婚は想定されていないので、そこでは禁止も許可もされていないと思います。

実際に日本でどういう手続きで認められるのかはわかりませんが、同性婚に対して否定的≒人権意識が低いというとらえ方さえされます。

私自身は同性婚自体については認めても良いという思いはあります。しかし、安易に認めるのが正しいのか?という違和感を覚えます。

それは、同性婚を認めるということが大きな変革だからです。
これを認めるなら、これもOKだよね、というものが出てきかねないからです。

たとえば、サッカーでラフなプレイがあったとします。選手も聴衆も「今のはイエローだろ!」というプレイでした。しかし主審はホイッスルは吹くものの、カードは出ないという状況がありました。すると選手の中には「これくらいの接触ではカードが出ないなら」ということで、そのあとラフなプレイが続いてゲームが荒れることがあります。

同性婚を認めることはそういう基準を作りかねないから慎重を期すということを考えてしまいます。

じゃあ、同性婚を認めるとどういうことで社会が荒れるのか?どんな不利益があるのか?

と問われても、それが分からない、そのことをうまく説明できる人が誰もいないという状況に私は恐ろしさを感じます。

同性愛者は子どもを設けられないという話はありますが、マイノリティの人たちが生殖によって子どもを設けられないというのは、日本全体の少子化からすれば大した問題ではありません。現に、同性婚を認めていない現状でもどんどん子どもの数は減っているし、子どもがいない夫婦も割と多いです。問題はそこではないと思います。

その後どんな問題が派生するのか、同性婚を認めたことで社会にどんなインパクトがあって、それに付随して何を認めていく必要があるのかが分からないところが、なんとも不気味でしかありません。

認めていく方向というのは大事だと思いますが、そこに何が想定されるのか?を予想していく必要はあると思います。

コロナの緊急事態が実質的な効力を失っていたように、一度ゆるめたら、再び規制するのはほぼ不可能です。

同性婚を認めた社会の良い面、悪い面を精査して、今見えていないこの先どうなるかを考えていく必要はあると思います。


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