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立誠小学校「おもいでのよせがき」

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元・立誠小学校では、小学校跡地活用プロジェクトとして、立誠・文化のまちプロジェクト〜立誠・文化のまち運営委員会を組織し、芸術・文化発信の場として活動を続けて参りましたが、ここで現…
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#さ行

千賀 康利(京都アートカウンシル副代表)

京都市民の地域文化は、番組小学校に始まりそれを基盤とした学区によって育まれてきました。つまり学区にある小学校は母校として市民それぞれの故郷の役割を担ってきました。故郷には、幼馴染がおりなじみの店があり、助け合いや協力の町内意識が育ちます。閉校は母校がなくなるということで、帰る故郷がなくなることでもあります。子どもを育て文化を継承するという仕組みを失うことにもなります。閉校後もこれら人の繋がりの文化を担ってゆく仕組みを残すことは市民文化として重要であります。地域文化の創造と継承

斎藤 浩一郎

自分の母校ではないのに、「懐かしい」空間でした。演劇やイベントのスタッフとして、講堂・音楽室・自彊室(立誠シネマになる前の)などにお世話になりましたが、どの空間も「ここで小学校時代を過ごせたら面白かっただろうな」と思わせる個性的かつ歴史的な空間でした。イベント撤収が終わって、ふと通りすがる廊下の奥が真っ暗だと、子どもの頃に肝試しをしたような懐かしさをおぼえたり…… これからもこの場所は、古くて新しい、文化的に豊かな場所であり続けるのだと思います。今から改修後の姿が楽しみです。

沢 大洋(全国学生演劇祭実行委員会)

最初の出会いは2011年。京都ロマンポップという劇団で役者として。真夏の講堂で、部屋を閉め切ってダンス・殺陣をして、大量の汗を流し役を演じました。次の出会いは2013年。プロデューサーとして関わっていた京都学生演劇祭。150人超の学生が学校内に入り乱れ2会場で上演。数えてみると2年間で35団体、132ステージ。沢山の学生の思いが染み付いている場所です。私自身も、役者として生きるのか、プロデューサーとして生きるのか悩み多い時期に関わることが多かった場所です。学生演劇祭から多くの

清水 はなこ(フリーペーパー「めぐれる」編集長)

京都で生まれ育った私は、子どもの頃から立誠小学校のことをレトロでかっこいい建築物として認識していて、ずっと憧れていました。 当時はいつも門が閉ざされていましたが、10年ほど前から文化スペースとして解放されるようになり、学校の中に入れる機会を得ました。 外観だけでなく建物内も素敵だなぁと、ひっそりとうっとりと愛でたものです。 それがひょんなご縁で、イベントをお手伝いさせていただいたり、果てには主催させていただいたりと、いつの間にやらとても身近な存在になり、素敵な時間を共有させて

杉原 邦生(演出家、舞台美術家/KUNIO)

文化施設としての元・立誠小学校しか知らない僕にも、たくさんの思い出があります。演劇やダンスや映画を観に行ったり、稽古場として利用したり、演劇公演や演劇イベントをやったり。どの思い出も、素敵にジメッと寂れたあの校舎の面影とともに、鮮明に残っています。新しい「元・立誠小学校」の姿、超楽しみにしています!

さとうひさゑ(NPO法人アート・プランまぜまぜ)

元立誠小学校に出会ったのは90年代中頃でした。「芸術計画ZA」という展覧会に参加したのがきっかけです。反省会で作家が場所の記憶とどう向き合うか、ということが議論されたのを印象深く覚えています。 その後、NPO法人を立ち上げ、まなびやなどで、企画を何回か担当しました。中でも思い出深いのは05年に開催したシンポジウム「木屋町高瀬川のこれから」での話題が市に届き、「学校施設としての再活用」が決まったことです。これにより風俗店の出店に歯止めがかかりました。微力ながらまちづくりに貢献で

DJ SHIOTSU(CartoonMafia / しおつ工房)

いつ訪れても古き良き時代にタイムスリップさせてくれて、安らぎを提供してくれた立誠小学校。たくさんの思い出がありますが、やはり1番の思い出はトラベリングコーヒーでNWAのEAZY-Eのドキュメンタリー映画のタイアップ企画でしおつ工房展示会をさせてもらった時です。僕にとって初めての展示会だったので足らずなことが多々あったけど、心に残る貴重な経験をさせて頂きました。立誠が無くなるのは本当に残念ではありますが、少しでも携われたことを本当に光栄に思います。校舎は無くなっても僕の記憶には

柴田 尚(北海道教育大学教授)

「廃校の芸術文化活用調査」にご協力いただきありがとうございました。京都の閉校はとても立派で全国的にみても特別だと思います。立誠小学校の建築もとても風情があって強く記憶に残っております。再スタートを楽しみにしています。

杉山 準(NPO劇研)

この小学校で行われた様々な行事に関われたことは、とても幸せでした。そして、地域の皆さんの「この小学校への思い」と、ここに息づく「芸術や地域文化を愛する風土」が合わさって、歴史ある校舎とともに、そうした「思い」を残そうという力となったことは、本当に素晴らしいと思います。それらが長く継承されていくことを心から願っております。