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立誠小学校「おもいでのよせがき」

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元・立誠小学校では、小学校跡地活用プロジェクトとして、立誠・文化のまちプロジェクト〜立誠・文化のまち運営委員会を組織し、芸術・文化発信の場として活動を続けて参りましたが、ここで現… もっと読む
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記事一覧

諸井 誠一(立誠自治連合会会長)

私と「新洗組」について書こうと思います立誠校を卒業したのは今から60年前の昭和32年で、沢山の思い出があります。30代の頃、先輩から地域活動への誘いを受け、「いいよ」と軽く返事をしたことから地域活動にはまりました。今では立誠自治連合会会長として地域活動に日々取り組んでいます。立誠校は日本で初めて映画の試写実験が成功したことから「日本映画原点の地」と呼ばれ、映画好きの父を思い出します。正面橋の美化活動の必要性から、地域の清掃活動を行う新洗組には毎週土曜日朝5時半から、息子と孫と

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A.S (福祉職)

飲み歩く中でも、憩いの場でした。

稲森 明日香(夕暮れ社 弱男ユニット)

立誠小学校を会場にたくさんの演劇に出演し、演劇を観て、過ごした時間、そのどれもが忘れがたいものばかりです。まさに学舎。感謝です。新しくなった立誠に行くのも、たのしみですッ!

村上 慎太郎(夕暮れ社 弱男ユニット)

劇団として12回ほど公演をさせていただきました。それ以外にもイベントやなんやかんやで関わらせてもらったことを含めるとほんとにいろんなことが駆け巡ります。本多力の俳優修行という企画で演出して、そっから家族劇やら俳優が転がりまくる演劇とか夕凪の海辺を歩く恋愛情緒溢れる作品やら音楽室全面にブラックシート張り巡らせてサスペンスホラーな公演したり。ここで上演した作品はね今にもつながっているんですよね。ここが自分的にはベースとなる場所がここやったんすよ。まだまだ寄せ書きたいことはあります

イチハラ ヒロコ(美術家)

京都国際映画祭では大変お世話になりました。安斎肇さんとの二人展はたいへん楽しいものでしたし、MKタクシーさん・フェリシモさんとコラボしたことばタクシーで京都の街なかを走ったことは貴重な体験でした。京都ふるどうぐ市も骨董好きのわたしには大好きなイベントで、立誠小学校で復活してほしいと思っています。

タムラ タケシ (P-hour )

P-hourでの初めての開催は2009年のことだから10年も前になる。それから大小様々な企画を講堂や職員室、自彊室、2階の廊下などで開催した。ここでしかできないことが沢山ある特別な場所だった。それが実現したのは地域の人たちと管理をするスタッフの場所を大事にしている気持ちがあるからこそだったと思う。特に講堂にあるピアノに焦点を当てた企画は、アーティストにも好評で「あの曲はこのピアノだったからできたんだ」と後日聞くこともあったほどだった。講堂は意外なほどアコースティックな音がよく

山本 訓三(一般社団法人文まち 代表理事)

「うっへ。こんなに?」会議室は黒い服を着たまちづくりに熱心な男たちで溢れかえっていた。「まちづくり委員会木屋町部会」での一幕ですが、懐かしい思い出になっています。学童時代の私は実に出来の悪い生徒でした。勉強しない、落ち着きのない、遊びまくり、喧嘩ばっかり。授業中も先生によく叱られました。あんまりこたえませんでしたが。40年後、娘2人が立誠小学校にお世話になることで、再び関わることに。不思議なことに、かなりの愛着を持って。祖父や子ども達が世話になっているが、多分色々な気持ちが綯

西村 良子(高瀬川会議)

立誠小学校で、誰にでも開かれたオープンな場所の魅力とパワーを学びました。番組小学校という京都の先人たちの素晴らしい想いと、閉校してもその精神を貫き続けられた立誠学区の人々に心から敬意を表し、さらに次のステージに進む立誠小学校に関わっていられることをうれしく思います。高瀬川沿いの新しい景色、楽しみにしています!

望月 茂徳(立命館大学映像学部准教授)

『月に足つけて考えて展』というメディアアートの展覧会を立命館大学映像学部望月ゼミの学生と共に2014年から2017年の4年間において開かせていただきました。沢山の学生や観覧のお客さまを長い歴史を持つ小学校の佇まいが暖かく包み込んでくださり、文化や芸術、なにより人を育む素敵な場所でした。小学校というしつらえが作品展示の妨げになったことは決してなく、むしろそれを取り込みたいという気持ちに自然とさせられることに、創立に関わられた方々の深い思慮を感じておりました。ありがとうございまし

きたまり(振付家)

2012年にWeDance京都、2013年〜2015年にDanceFanfareKyotoで立誠をまるごと使わせてもらいました。忘れられない沢山の作品と共に、一階から三階まで効率よく階段を上り下りする方法。瞬殺できく虫除けスプレー。頑固な汚れをとるための雑巾がけの仕方。等もしっかりと学びました!暑かったり寒かったりと、いつもちょっと大変だけど楽しかったのは場所がもつ空気が素晴らしかったからだなーとシミジミ。新しくなってもなんとも安心する、あの空気が消えないことを願いつつ、また

千賀 康利(京都アートカウンシル副代表)

京都市民の地域文化は、番組小学校に始まりそれを基盤とした学区によって育まれてきました。つまり学区にある小学校は母校として市民それぞれの故郷の役割を担ってきました。故郷には、幼馴染がおりなじみの店があり、助け合いや協力の町内意識が育ちます。閉校は母校がなくなるということで、帰る故郷がなくなることでもあります。子どもを育て文化を継承するという仕組みを失うことにもなります。閉校後もこれら人の繋がりの文化を担ってゆく仕組みを残すことは市民文化として重要であります。地域文化の創造と継承

岡見 弘道(京都 裏寺 稱名寺 住職)

今から91年前、昭和2年(1927)、立誠小学校が木屋町高瀬川のほとりに建った時、この地のひとびとはどんな思いで校舎をみあげたんやろ?地域の子どもたちが学ぶあらたな教えの場として、誇らしく期待に満ち光り輝いてたんちゃう?そして今またこの校舎は新しい出発にむけて準備に入るんやな。国の内外からさまざまな人々が訪れ安息を得る場(ホテル)として、また刺激的な知と文化を提供する場(図書館&ホール)として、さらには地域コミュニティ活動の場として、なんだか想像するだけでワクワクさせられます

中川 富雄

小学校時代の思い出は余り鮮明ではありませんが、殆ど学校を欠席しなかったように思います。楽しいとかでなく当たり前のように学校に登校していました、そんな私ですので、京都市のプロジェクトで文化のまちの発信に感銘を受けこのまま絶やしてはいけないと思い、自治連合会の方と一緒にまちづくり続けていこうと立誠 文化のまち運営委員会を立ち上げました、それを続いて出来た一般社団法人文まちが引継ぎそれを新しく出来る宿泊施設を備えた総合文化施設として生まれ変わることを大いに楽しみにしています。

けんご

子どもの頃にこの学区に住んでおりました。高瀬川の夏の灯篭流しなどの学区の催し物などにもよく参加しておりました。大人になってからは立誠シネマで映画を観たり、TRAVELING COFFEEで一杯のコーヒーを飲んだりと素敵なひとときをすごさせてもらいました。ありがとう立誠小学校、これからもよろしく!