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広末涼子さんと青春の輝き

本日も私の記事を読んでくださり、心より感謝申し上げます。


長らく更新が途絶えておりましたが、ご安心ください。私は元気にしています。😅


最近、広末涼子さんが不倫の噂で話題になっていましたね。私と広末さんは同世代で、ある種の感傷が湧いてきます。

ただし、彼女が不倫をしたかどうかは私にとってはどうでもいいことです。(一部のみなさん、気を悪くしないでくださいね\(^o^)/)


そこで問題が生じます。不倫は許されるべき行為でしょうか?


この深遠なる問い??については、じっくり考え、200年後にでも答えを見つけてみましょう。😅(テキトー)

それにしても、不倫疑惑が浮上した彼女に対して、スポンサーとなる大手企業が次々と距離を置いていったことは注目する現象かもしれません。

恐らく、これは不倫が現代日本社会において受け入れられていないことの現れなのかもしれません。

不倫に否定的な人が大多数を占め、不倫をした人々は少数派、、、、、、

さて、皆さんは少数派になったことはありますか?(人生の中で一度くらいは経験があるかもしれませんし、これからもそういう経験をするかもしれませんね。)

話題を変えて、コロナワクチンについて考えてみましょうか?

コロナの初期状況は皆さんの記憶に新しいはずです。振り返ってみれば、初期のワクチン接種者は約80%(正確な数値は忘れてしまいました)でしたので、ワクチンを受けた人々は多数派だと言えるでしょう。

私自身はワクチンを一度も受けていません。接種の案内が届いたその日に、すぐにそれを処分したのを覚えています。(たった10分でゴミ箱行きでした)ワクチンを一度も受けなかった私は、その時点では少数派だったかもしれません。

そして最後に、最新の時事問題としてロシアとウクライナの状況について、考えを述べてみたいと思います。

この問題についても、私は少数派の意見を持つかもしれません。具体的な国名を挙げることは避けますが、この問題の初期から、ある特定の指導者に対して信用を置くことは難しいと感じていました(具体的な人物については、読者の皆様の想像にお任せします😂)


日々私たちは様々な意見や思想に直面します。それらは多数派の意見であったり、少数派の意見であったりします。

しかし、多数派が常に正しいと言えるのでしょうか?また、少数派が間違っていると断定できるのでしょうか?

そして実は、このような二元論はそれほど重要ではないかもしれません。


今回この記事を書くきっかけは、皆様に「多数派、少数派といった枠組みそのものがそもそも重要でない」という視点を提示したかったからです。

もし私たちが全ての出来事を公平に、中立的な視点で捉えられるなら、高い視点から世界を見下ろし、人生に深みを感じることができるかもしれません。

そして、もしあなた自身や大切な人が社会の中で少数派になってしまった場合、この考え方がある程度の寛容さをもたらすかもしれません。自分自身に対しても、他人に対しても。


「何かを伝えるとき、言葉だけではなく、感情や魂が必要な場面があります。だから今日は、ある特別な歌でその感情を共有したいと思います。

1976年に発表されたカーペンターズの名曲「青春の輝き」。ここでその一部を抜粋してみましょう。


I know I ask perfection of a quite imperfect world
And fool enough to think that's what I'll find

「私は、不完全な世界に完全な世界を求めています。そして、私が見つけるのがそれだと思うほど、私は愚かなのかもしれません」

ごめんなさい、著作権の都合上、YouTubeのリンクは貼れませんが、聞いてみてください。この歌詞の意味は私にとって当初は不明でしたが、今ではそのメッセージが心に響いてきます。

私たちは完全な世界を夢見ますが、それは不完全な世界の中にしか存在しない。それを追求する愚かさと、それでも追求し続ける情熱が、私たちの生きる世界を輝かせるかもしれません。

今日も見ていただいてありがとうございました。


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