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説明のつづき~深海魚的な面持ちにて~

先のチラシにあるように、コミュ障だと自ら言う事で、なにを避けているかを考えたんですけれども。
たぶん、心の境界線(バウンダリー)を踏み越えたくない、踏み越まれたくない…ということの牽制、だと思います。

『「コミュ障」の社会学 』(青土社 貴戸理恵さん著)をぽつぽつ読んでいて、そう思いました。

事象ではない内面を表現するにあたり、文章を書く時には避けろと言われがちな、〇〇だと思う、みたいな言葉を使わざるをえない…。思い思い迷宮(考えごとぐるぐるコース)。
そんなのは感想文だと言われることもあるのですが、自分を生きた感想を書けるのって自分だけですよな。なので書きまうす。
不快に感じる方は、読むことを避けてください。タイパタイパ(退け呪文)。

 私たちは、いろんなものの境界がゆらぐ時代を生きている。大人(成熟)と子ども(未熟)。支援者と被支援者。研究者と研究対象。専門家と素人。主流と傍流。指導者と大衆。教師と生徒。「社会参加している人」と「社会から撤退している人」。……前者の方が後者より「正しい」なんて、もう誰にも言うことはできない。同じ立場だから、同じ属性を持つから、同じコミュニティの出身だからといって、「これ」という核を共有してまとまる、ということが成立しなくなっている。その結果、カテゴリーは流動化して当てにならないものになっている。

貴戸理恵『「コミュ障」の社会学』(青土社、2018年) 

急に引用をぶっこんでしまいましたが、今回、私(コミュ障)が映画をごちそう云々言い出したことに関して、こういう意識が通底している気がします。
お金を出すっていう側面だけを見ると、支援者ぶっている気もするのですが、あながちそうでもない。成熟しているかといえばしていないし、自認するものはだいたい後者側にある。ので、これが正しいこととは思っていないです。

今まで生きてきて、紀里谷監督のお話を直接聞く機会に恵まれましたし、考えを聞くと頭の中ですっきりする部分も多く、そういうことが、この、頭こんがらがり人生にとっての恩だといえば恩でもあり、じゃあ恩返しでやってます、と言ってしまえば、わかりやすいストーリー
でも、そうしたくないのは、やっぱりなんか、自分の立ち位置を明確にしたくないから…なのかなぁ。

で、なぜそこを避けるのか。そこがはっきりしている方が、たぶん色々わかりやすくなるし、安心してくれる方もいるかもしれない。人が集まってくれるかもしれない。関心を持ってくれるかもしれない。
でも、そうしたくない…責任を負いたくないからか、ちがう。
少なくとも(勝手に)自信をもって観て欲しいと思うから企画をしたし、お金も出す。責任は、鑑賞代金立替え分は負うつもり満々でいる。

たぶん、そこを私のストーリーにしてしまうと、たのしくなる可能性が減るから…ですかね。未知がない、というか。未知が減る。

私にとっての未知もそうだし、参加してくれる人にとっての未知も減ってしまう…気がする。あと、宣伝広告の可能性とか、人と人の出会いや、機会の可能性とか。保証されまくった(予測可能)体験て、あんまりおもしろくなくないですか(当社比)。誰が参加しても同じくらいの結果が保証されていることなら、自分じゃなくていい、というか。

何がその人にとっての未知の扉、きっかけになるかなんて、わからない。
わかっていない、そういうところからちゃんとスタートしたい。
なんかもっと、偶然でいいのかなぁ、と。
偶然て、ものすごくおもしろいです。そのおもしろさに名前をつけたら、運命になるのかな。違うかもしれない。てきとうなことを言う癖。

そして、なんでそんな回りくどいことをしたいのかというと、これもやっぱり映画におけるハラスメントの話に起因するような気がします。

というのも、ある程度限られた人間関係の中で(いわゆるギョーカイ的な)、権力勾配、利害関係がガチガチにあるから、起きてるんですよね。たぶん。いろいろ。というか、全部。貸し借り、恩だとか、売れたきっかけだのなんだのも含めて。人脈、パワーゲーム、出資、投資、紹介、機会、仕事の提供、諸々。

そういうのがあるから、性的な斡旋や加害も含めて、利用する・されるの環が止まらない…
それって映画館や、観るだけの人には関係ないように見えるけど…
いや?むしろその仕組みを維持させてるガッチガチの不動の山って、私たちなのではないかな、と。
正確には、私たち…のいる社会、世間、空気、価値観、そういうの全部。予測可能な安心を求める、潜在意識的な。
(そのくらい不安がつきまとっているような気もするし…それが引用したような、境界のゆらぎなのかもしれない。個人として立たされ、サポートもなく…不安定社会)。

そういうのを変えるって考えたら、コミュ障には恐れ多いんですけど。
逆に、コミュ障だから無謀なことをしちゃってもいいかな、ていう。
(どっちやねん)。
…ガチガチな価値観を崩すには、計画より偶然がいいかなぁ、作戦。

ハラスメントをするな、やめろーって、本当はもっと1万回くらい言った方がいいのかもしれないです。でも、それを心から願っている人がずたずたに傷ついて、自死にまで至ってしまった経緯を見て、二次加害などもたくさん見て、私は正直なところ、どうすればいいのか、ちょっとわからなくなっています。
それも逃げかもしれないし、ていうか逃げなんだろうと思います。自覚。

そのなかで、何もしないのが、本当に一番ラクです。
傷つける可能性も生じない。言及もしない。変えようともしない。流して、当事者に任せて、なるようになるだろうと決め込んで、自分は楽しいところだけでいい…なんなら、そうする権利があるとさえ、言えるかもしれない、ただの客(私)。
でも…それが資本主義的な権力勾配の構造なんだとしたら、客が一番黙ってちゃダメなのではないかなぁと思うんです。民主主義で一番黙ってちゃいけないのが民であるように。

で、映画に関しては一応文化の畑。
必ずしも不買運動やクレームを入れればいいってことでもなくて、言うだけに留まらず、知ろうとする、知る。動く。一人ではあまりに小さいなら、少しずつでも広げながら、つながりながら、支えながら。

というのも、映画に関するハラスメントをよく見ると、加害をするときは「文化」を盾にしている。人を感動させるにはこのくらいできなくちゃだめだとか、なんだとか。アーティストはそういうもんだとか。利益じゃなくやりがいだとか(搾取)。
でも、それに対して不買(上映しない・観に行かない)などのキャンセル行為を行うと、制作システムの構造上先行投資なので、告発した側に責任や圧がかかってしまう。そっちに関しては文化じゃなくて「商売(収益・ひいては関係者の生活)」の邪魔をした扱いになる。

これが、加害側に利する人が多い(というか減らない)=ハラスメント(や、搾取)が温存されてしまう構造、だと思います。だって商売ってなってしまったら、一人では完結しない。
作り手×売り手×買い手←ここの末端にいるのが私。
文化で殴って、商売(金…場合によって法)を理由に黙らせるというか。

そんなことに加担するの、私はもう本当にいやなんです。
だってこれ、私(末端享受者)も、じゅうぶん加害だもの。二次加害じゃないのだとしたら、三次か四次かわからないけれども、加害の加担だもの。
というわけでこれは、映画の問題でありながら、社会の問題であり、社会の問題ということは、私の問題のひとつでもあるわけで。
うーん…結局私のストーリーをめっちゃ語っている…(´・ω・)

だから、正しいと思ってやるというよりは、正しい方を向いてほしくて…いや、正しい方を向きたいからやる…やってみる…そんな感じです。弱々しい一歩です。が、ちゃんとエゴがある。向きたいからやる。うむ。

で「世界の終わりから」を人にすすめたら正しい方を向けるのか。
正しいという言葉を無意識で書いて、自分に問うのですけれども。
正しいって何か。
個人的には、生きられる方、だと思います。生きるって、命って、可能性。
だから、自分を生かすのと同時に、人の生きることを奪っちゃいけないと思います。それを両立させるのが…両立させようと考え、その可能性を探し、もがき、変えてゆく、変わってゆくのが、社会における正しさ、だと私は思います。
(だから、加害側の命も否定はできない…そういう矛盾や煮え切らなさを抱えないといけない。でも媚びないし、他人(私)が勝手に赦しを与えたりもしない)。

映画「世界の終わりから」の中では、常にそのどちらかの選択を迫られた、と言いますか。むしろ、ハナさんは選択を奪われていくという絶望を突き付けられる。
でも、生きるって本来、選択主体は自分のはずで。
社会はもっとそれ(選択肢)を人に与え、人と人はもっとそれを与え合っていいはずで。
あの映画を架空のこととして終わらせるか、自分事として引き受けるか、私は選択を迫られたとして、それに応えたい、のだと思います。

今回も長いうえにまとまりがない…すみません。おわり。

(長く説明すればするほど、矛盾点がたくさん見つかるかもしれませんが、それも生きていればこそなので、ご容赦ください)。
(ちなみに、問題を本気で解決しようと思うなら、問題が作られたのと同じくらいの時間を要すると思っているので、これは本当に微かな、微かな一歩であると、自覚しています…焦らない。その点に置いて、被害に遭った方を尊重していないように感じられたなら、傷つけましたら、本当に申し訳ありません。立ってる場所は違っても、その痛みも苦しみも、無いことにしないように努めます)。

なんか、これも映画と絡めて考えるなら、私は『無限』にも応えないといけない気がする感覚…に近いです。

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