記憶描きの悲劇

僕は物心が着いた時から人の記憶を見ることができる。
相手の瞳を見つめて意識を集中すると、その人の思い出に強く残っている記憶がまるで自分がその場にいて見ているかのように頭に浮かんでくる。

そのことに気がついたのは、子供の頃だった。
子供の頃は今ほど上手くコントロール出来なくて、相手の目を見て話を聞いているといつの間にか相手の記憶の映像の中に入り込んでしまい、ぼんやりした子供だとよく怒られた。

時が経って大人になるにつれて、集中し過ぎないことや相手の目をまっすぐ見ないなど工夫をすることで少しずつ能力をコントロール出来るようになった。
さらに能力の扱いが上手くなって、今では相手の感情に強く結びつく記憶だけを見ることができるようになった。

大人になった僕は、この能力と昔から好きだった絵を描くことを組み合わせて記憶描きをしていた。
相手に描いて欲しい記憶のリクエストを貰って、僕がその記憶を絵にするのだ。


ある時、立ち寄った御夫人から「亡くなった夫との思い出を描いて欲しい」と言われ夫人の瞳を見つめると夕方の海の風景が浮かんできた。
それはとても鮮やかな記憶で、潮の香りや耳心地のいいさざ波の音まで聞こえてくるようだった。

出来上がった絵を夫人に見せると、目を丸くして驚きすぐにその瞳が潤み始めた。
これはプロポーズをされた時の記憶だったそうで、人生で最もかっこいいと思った夫の姿だと懐かしそうに僕に語ってくれた。
何度もお礼を言う彼女の姿を見て、とても良い仕事が出来たと自分を誇りに思った。


いつものように、客を待っていると老紳士がやってきた。
高級そうな清潔感のあるスーツに、ピカピカに磨かれた革靴。
白髪ではあるが、ピシッとした背筋から若々しさを感じた。

何をしているのかと尋ねられて、僕は人の記憶の絵を描いているということをもう少し丁寧に説明した。
僕の説明に彼は興味を持ったようで、ぜひ描いて欲しいと申し出た。
温かく落ち着いた渋みのある声で彼は

「私が1番幸せを感じた時の絵を書いてくださいませんか?」

と丁寧に言った。


この日は客足が遠のいていたこともあって、僕はいつにも増して快く言った。

「もちろん、描かせていただきます。」

彼の注文を受け、目の前の椅子に座らせる。
腰掛けた彼は柔らかい笑顔をこちらに向けてきた。
この人の良さそうな老紳士は一体どんな美しいものを見てきたのだろうと、僕はワクワクしながら意識を集中して彼の瞳を見つめた。


彼の瞳を見つめていると、記憶が少しずつ見えてきた。
見えてきたのは美しい景色でも彼に似合いそうな荘厳な屋敷でもなく、薄暗い部屋。

「えっ・・・」

思わず声を漏らした。
彼は僕に1番幸せを感じた時の絵を書いてくれと言った。
僕はその言葉通り、彼の記憶を見ようとしたはずだ。

「すみません、よく見えなくて。」

そう言葉を濁して1度意識を戻す。
老紳士は変わらない笑顔で

「ゆっくりで構いませんよ。」

そう僕に微笑みかけてくれた。
今のは何かの間違いだ、しっかりしなければと今一度集中力を高めて改めて彼の瞳を見つめた。

しかし、やはり先程と見えてきたものは変わらない。
むしろ、意識を集中し直したことで先程よりもはっきりと見えているものが部屋ではなく、薄暗く粗末な小屋の中であるというのが分かった。

チカチカと吊るされた電灯が着いたり消えたりしている。
一体どういうことなんだと心の中で呟くと、小屋の中が窓からの月明かりで照らされ始めて更にその中の様子がよく見えてきた。

「ヒッ・・・」

見えたものに僕は思わず、悲鳴を上げた。
男が人間を解体している。
想像もしなかった事に激しく動揺したが、恐怖はそれだけでは終わらなかった。
その淡々と刃物を振るう男は、今よりも若く見えるが顔立ちは間違いなく目の前の老紳士だった。

彼の周りに体の部位が転がっている。
それも1人分のものでは無い。
腕や足、元が何かも分からないものまでがそこらじゅうにある。

僕は自分の見ているものが信じられなかった。
こんなものは描けない。
だが、この常軌を逸したことを行っている男は今まさに目の前にいる。
逆らえば自分は一体どうなるのだろう。
そう考えた時、僕はこの凄惨な光景を描かざるを得なかった。

血溜まりの中で口元だけ柔らかい笑みを浮かべながら、人間を解体する彼。
僕は吐き気を催しながら、震える手でこの悪夢のような記憶を描ききった。


「お、お待たせいたしました。」

なんとか、動揺と恐怖を押し殺して自分が描きあげた絵を老紳士に見せた。
彼は僕から絵を受け取るとじっくり眺めた。

僕は心のどこかで、こんなの全て間違っていると怒り狂ってくれることを願った。
彼はひとしきり絵を眺めてから、僕に顔を向けた。
その顔は変わらない、記憶の中で見た柔らかい笑みだった。


「本当に絵がお上手ですね、ありがとう。」


もうその落ち着いた声からは温かさなど感じず、得体の知れない猟奇的な恐ろしさに僕は何も言えなかった。
彼は提示している金額よりもずっと多くの額を僕に渡して、何事も無かったかのように帰って行った。

その日を最後に僕は記憶を絵にすることを辞めてしまった。
それでもあの日見たものは忘れたくても忘れられない記憶として、未だに僕の記憶に焼き付いてしまっている。

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