知らなすぎた男

芝居と思えば怖くない

 おもしろい映画は、始まって0.7秒くらいでいい匂いがする。そんなわけあるかと思って、3秒、3分、と自分の直観を疑いながら見ていくが、たいがい最初の印象は間違っていない。おもしろいの判断基準は、良い悪いでなく、好き嫌いだから、映像と音を感じるのに1秒はかからないということか。

オープニング・ロールが、ピンクパンサーを思わせた。コミカルでおしゃれな感じ。

 ビル・マーレ―の主人公は、ロンドンの町を舞台にした芝居体験をするが、東西冷戦の暗殺事件に間違って入り込んでしまい、それを芝居と勘違いしたまま、なぜかうまいこと事が進んでいく。

主人公は役者志望だったが、今はレンタルビデオ屋の店員で、自分の誕生日を祝いにアメリカからロンドンの弟のところに押しかけるような人。映画なんてしょせんは全部つくりものだから、ご都合主義なところがあるのはしかたないが、ビル・マーレ―のふてぶてしく厚かましい表情を見ていると、嘘の世界にすんなり入れてしまう。芝居体験と東西スパイ戦の違いに気づかないなんて、設定に無理がありすぎると思うが、自分でも不思議なほどすぐに引き込まれてしまった。

 芝居体験を楽しむ主人公は、役者志望だっただけあって、その場に応じて巧みにアドリブを繰り出す。危機の連続だが、その都度なんでかうまいこといって、次第に敵たちは、すご腕のスパイだと思うようになる。

 この主人公が、人生は舞台だ、と言う。

役者として芽の出なかった主人公だが、レジャーでした演技は周りを見事に取り込んでしまった。役者を目指してする芝居は本物の自分。芝居体験でする演技は作りものの自分。この場限りの遊びだと思うことで、肩の力も抜け、いろんなことがうまく回っていく。

 人生、そんな感じでいいのかもしれない。いや、そんな感じの方がいいのかもしれない。ストーリーは思わぬ方向に進むかもしれないが、そもそも脚本を読んでいない。どんな場面でもアドリブでセリフを作るのだ。

とかく、あしたのために頑張ってしまう。誰かに迷惑をかけないように気を使ってしまう。かっこ悪くならないようにと委縮してしまう。それで納得のいく人生が送れているなら全く問題ない。が、実際のところ、小さく縮こまって生きていて、せっかく頂いた一生を無駄にしてはいないだろうか。

 そんなことを思った時に思い出すべき言葉が、人生は舞台、だ。胡蝶の夢でもいいが、舞台に立っていると思う方が、より主体的に生きられる気がする。セリフだと思えば、気恥ずかしい愛の言葉や感謝の気持ちも口にできる。それで誰かに迷惑がかかるなら思いとどまるべきだが、どう控えめに考えても、迷惑より幸福の方が多いように思う。

人生は舞台。自分が主役で演出家。主役の演技に文句をつける奴は、みんな端役ですぐに消えていく。主役は自分の思うように演じることができるし、自分が思うようにしか演じられない。厳しいけど、自由だ。主役が楽しんでこそ、その芝居は傑作になる。


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