スウィングガールズ

関係に振り回されてる

 高校で夏休みに補習を課せられている女子高生たちが、ジャズバンドを組むことになる。補修を受けている女たちの様子が目に入るだけでイライラしてくるようなクソ女たちだ。補習をさぼるために吹奏楽部の弁当を届ける役を買って出る。列車内でみんなが寝て乗り過ごし、歩いて弁当を持って行くが、そんなやつらだから途中でこぼしたおかずをもどしたりする。

案の定、弁当を食べた吹奏楽部員たちは全滅。代わりに野球部の応援をする楽団を、このダメ補習チームが組むことになる。当然、音も出せないが、なんかしてるうちにできるようになって、ラストの演奏会ではちゃんとできて、すごい盛り上がりになる。

 主人公は、補習メンバーの女子高生か吹奏楽部で落ちこぼれの男子高生か。見る人によって、どっちにでも感情移入できる。自分は当然、男子の方に感情移入した。こいつは退部届を出しそびれていたところに食中毒騒ぎが起き、ダメ女子高生たちのリーダー的な立場に追いやられる。野球部の試合日は決まっているから、それまでに演奏できるようにしなければならないが、女子高生たちは人の言うことなど聞きはしない。

そんな女子高生たちも、もともとは夏休みを補習にいやいや費やしていた人たちだ。目前の嫌なことである補習から逃れようとしたことから、音楽をやることになった。男子も女子も、何の因果かジャズをやるようになり、そしてやっていると、それが楽しくなっていた。

 人生って、そんなもんかもしれない。自分で選んでいるようで、実はその選択肢も周りの環境が用意したものだ。自分が選べる範囲なんて、たかが知れている。

わがままいっぱいに生きている、このクソ女子高生たちは、何も考えずに与えられた環境を楽しみ、その環境の中で腹も立てている。生きるって、おそらくそういうことだ。自分で選んでいるように思いながら、その実、周りの人や物との縁に突き動かされている。納得しがたいことだが、おそらく事実はそうだ。

その結果、この女子高生たちは素晴らしい演奏をした。それは聴衆を立ち上がらせ、手拍子しスイングして、楽しい時をともにすることになった。自分で選択したつもりで、実は環境に流された行動で、それで結果、みんなが楽しい。素晴らしいことだ。大切なのは、自分が主体的に動いたかどうかでなくて、みんなが幸せかどうかだ。思いと違うことをしたとしても、それでみんなの喜ぶ顔が見られるなら、最高の生き方になる。偉人と言われる人たちも、流される場面ではうまく流されたから、偉業を残せたのだろう。


 なんにしてもいい音楽があればいい映画になる。「べした」という語尾が、『エデンの東北』を思い出させた。川原で自転車で転ぶシーンが、間に挟まれた「あ」と言うカットで、違和感なく見れた。

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