のだめカンタービレ


 主人公ののだめが他人と思えない。部屋はいろんなものがあふれて散らかり、精神年齢が非常に低い。普通にダメ人間だけど、なんかかわいらしい。

一般社会ではあまり高く評価されない人だけど、指揮者の先輩に厳しく言われて、ピアノの練習は頑張る。外国の音楽学校に留学できるくらいだから、努力しなかったわけではないだろう。それよりも、初めて聞いた曲をすぐに演奏できたりする天賦の才に恵まれている。

これに比して、指揮者の先輩は、努力を怠らない秀才だ。のだめよりピアノがうまいくらいなのに、指揮者として一流を目指し、勉強ばかりする。こっちの方が、天才でない自分には、感情移入しやすい。

 のだめは天才だけに自由奔放に演奏し、あまり先生の言うことを聞かない。もっと音楽と正面から向き合えと指導されるが、自分は十分頑張っているから、これ以上努力しなくていい、みたいなことを言う。このままの自分を認めろ、努力などしたくない、という主張がうちの妻の言い草と全く同じだ。どのレベルで言っているかは大きく違うが、努力しないという姿勢、人の意見を聞こうとしないところは、架空の存在と思えないリアリティがある。

 のだめは、そもそも幼稚園の先生になりたいと思っていて、ピアニストとして活躍しようなどとは1ミクロンも考えていなかった。その思いは留学してすごい人たちと交流しても変わらない。指揮者の先輩は、幼稚園で子どもたちに囲まれてピアノを弾いているのだめの姿を見て初めて、その思いを大切にすることの意味に気づく。

人から羨まれるほどの才能に恵まれている奴が、努力せず才能を無駄にしているのを見ると、人はどうしてもいらだってしまう。でも、その努力を強いられることが人を不幸にするのだとしたら、人類全体としてはマイナスだ。いやいや才能を生かして高名なピアニストになるより、子どもと一緒に本人も楽しむ幼稚園の先生でいる方が、世界全体としてはどれほど利益になることか。今現在も、東大に入れるくらい賢かったり、プロ野球選手になれるくらい体が動いたりする人が、無理やり勉強やスポーツを強いられて不幸になっているのかもしれない。

この作品では、後半でピアノの先生が、のだめはもう少しで本物のピアニストになるところだったのにと残念がった。が、幸福という視点からは良い方に進んだ。社会的地位やお金が一般的な人生の物差しになっているけど、楽しく生きることこそ重要だ。それに指揮者の先輩が気づいて、のだめの思いを受け入れた。そしたら、のだめは先輩の指揮で演奏することを受け入れ、今後も最高を目指していこうと、考え方が前向きになった。

 ラストは、ラプソディ・イン・ブルー。作品の舞台はパリやウイーンなどの古都だが、ニューヨークをイメージさせる曲が最後に流れて、のだめと先輩がこれからも伸びていくだろうと感じさせてくれて心地いい。プリごろ太とか、あらいぐまみたいのとか、かわいいのが時々出てくるので、すごくなごむ。

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