その男、凶暴につき

凶暴なのは、その男だけじゃない

 冒頭が何より衝撃的だ。確かあの頃、子どもがホームレスのおじさんを襲ったというニュースがあった。無抵抗だと分かってるから暴力を振るうという卑怯さに、無性に腹が立つ。ムカムカが募ったところに、たけしが子どもの自宅に行って制裁を加える。

 たけしが暴力を振るう時、無表情で殴ったり蹴ったりする。それが狂気を感じさせる。見た目が怖くて暴力を振るうより、よほど怖い。怖いのは、暴力そのものより、この暴力がどこから湧いてきているのか分からない不可解さだ。

 たけしは、女にひどいことを言うヒモ男にも暴力を振るう。犯罪者にも暴力を振るう。殴ったり蹴ったりする姿は不可解だが、暴力を振るう対象は、振るわれて当然と思う相手だ。凶暴ではあっても、理不尽ではない。

たけしが暴力を振るうと、胸がすっとする。たけしのキャラの残る演技で、役柄もはぐれ者という設定ではあるが、いわゆる勧善懲悪だ。悪い奴をやっつけるのだから、気持ちよくて当然だ。

と思ったが、あれっ、これを見てて、嫌悪感が湧かないということは、自分も凶暴なんじゃなかろうか。暴力振るうたけしを見てて、凶暴だなあとは思いながら、悪い奴を懲らしめるには当然の暴力だと思う。悪い奴がやられて爽快感さえ感じる。自分に同じことができるかどうかは分からないが、少なくとも見ていて、麻薬犯よりたけしが勝て、と思ってしまう。たけしの凶暴さは、決して他人事じゃない。

 いまテレビで、爆撃で怪我したパレスチナの子どもの映像を見たりする。かわいそうだと思う。無責任に、かわいそうだと思う。かわいそうだと思ってるうちは、他人事だ。遠い国の縁なき出来事であることには違いないが、状況さえ用意されれば、自分が子どもを殺す側に立っていることだってありうる。たまたま今、殺す環境に自分が置かれていないだけだ。この映画を見て、たけしに嫌悪感を抱かないでいられたのだ。そんな人間が何をしたって不思議はない。この自分も、凶暴につき、だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?