決戦は日曜日

使われるうちに使われたい

 主人公は政治家の秘書。仕えていた政治家が病気になり、その娘が衆院選に出馬することになった。娘はわがままで気ままで、秘書は振り回される。娘は娘で、自分が周りの人たちにいいように使われてることに気付き、選挙戦の途中で「もうやめるっ!」となる。秘書と娘は結託し、落選するようにわざと失言したりするけど、それがかえって人気になったりして、そもそも地盤が固くて、周りの人たちが落とさないようにして、結局当選する。

 「各々」をかくかくと読んだり、産まない女を批判したり、現実を適当に揶揄していく。だめな二世が当選するのは、以前から批判の対象になってきた。女性の二世議員はまだ少ないだけになおさら注目される。

宮沢りえが、上品で性格の悪い、さらに頭も悪い人をよく描いている。バカ女だと思っていたら、屋上での演説で、正論を吐く。抽象論として誰でもいえるレベルの内容ではあるけれど、もっともらしく聞こえるから、こういう人は確かに政治家に向いてるかもしれない。

政治家の子どもというのは、政治家の仕事をほぼ知らないものなのか。利権にまつわりつく人たちの代理となるのが、文字通り代議士だ。利権というと悪いイメージの言葉だが、民衆の利益と権利の最大化を目指すのが政治家の本来の姿のはずだ。そのために、民衆の代わりに議論するのが、代議士だ。

だから、代議士は民衆に使われてなんぼの仕事なのだが、この主人公のバカ女は、利権にむらがる商人、彼らにうまく乗せられて喜ぶ政治家、それに政治家の下で働いているように見せかけて実は政治家を利用している秘書たち、そんな腹黒い人たちに囲まれて、自分が彼らの利権獲得のために利用される駒に過ぎないと気付いて腹を立てる。

 こういうのは、話ではよく聞くけど、こうやって作りものでも映像で見せられると、はっとする。選挙戦が始まって、戦況を聞かれた主人公は、当選する、と当然のように答える。選挙が始まった時には結果が出ている。票読みにいろんな団体が関わっているとはよく言われるが、選挙事務所で働いている人たちも新興宗教の信者だとは、このたびの安倍首相の事件で知った。この映画の公開は、銃撃事件の数か月前だった。

 バカ女は、こんな政治界の常識も一般常識も知らない。バカだけならともかく、政治家の子だからか、単に甘やかされて育ったからか、性格にも難がある。見た目がいいのが唯一の取柄と言えようか。もし企業だったら、そんな人を、誰が採用するだろうか。政治家の父というパイプが使えるところだが、その人が死んでしまえば全く無用の人だ。

けど、政治の世界は、そんな無用の人でも、旗頭として利用できる。既得権を失うと困る人がいて、国会議員ともなると大きな企業も関わるから、困る人の規模も大きい。なら、現状維持のため、ダメ女でも担いでおこうとなるのは、人として当然だ。

 本来なら、有能な人が、代議士となるべきだ。より多くの人の利益が増すように考え行動する人がなるべきだ。でも投票する人が、自分だけの利益を考える限り、そんな人は当選しない。浮動票と言われる、特定の利権に属さない人たちが投票すれば話は変わってくるが、現状では、多くの人は投票で自分の利益が大きく変わるわけではない。税金が数%変わるとか、そんなことは、嫌だけど何とかなる。だから投票しない。特定の利権を持つ企業は、政治家が変わると受注額が数億円とかで変わってくるから、目の色が変わるのも当然だ。宗教団体はなんで特定の政治家を応援するのか、国全体をよくするためとか言うけど、よく分からない。いずれにしても投票するのは、そうした企業の関係者、宗教団体の言いなりになる信者とかで、偏った選挙結果になる。票読みができないようになれば、政治はよくなるのかもしれない。

 くそみたいな政治の世界に幻滅するバカ女だけど、この人は一般社会では使い物にならない。もっと言えば、つまはじきに遭うような人だ。そんな人だけど、大物政治家の娘というだけで、みんなが使ってくれる。いわゆる、いいように使われる、というやつだけど、そうでもなければ、この人は使われない。バカ女は、そんなことなど考えず、自分がちやほやされないことに腹を立てる。自分が見えてないから腹が立つ。他人に腹を立てる前に、自らを見つめれば解決の糸口が見いだせるはずなのに。

 使われなければ、人は腐っていく。人は、誰かの役に立たないと、だんだん、人の役に立てない、自分は役立たずだ、生きている価値がない、死んでしまおう、となってしまう。バカ女は、政治家の娘という属性だけが利用される事実に、腹を立てている場合ではない。こんな自分を使ってくださり、ありがとうございます、と感謝すべき場合だ。

 ただ、こういうバカを利用しようとするのは、たいがい悪い人だ。自分の利益だけを求め、他人の不幸を顧慮しない。むしろ他人の不幸を、蜜の味と認識していたりする。政治家の仕事は、みんなから集めた税金をどう使うかを決めること。いわば国や自治体の経営者だ。一部の人だけが得をする、ということは、他の納税者は損をするということ。それは、より多くの人の利権増大を目指す代議士の仕事に反する。

 人に使われることは幸せだ。でも、悪い人に使われて、多くの人を不幸に陥れているとしたら、それはつらい。安穏に暮らしてはいられない。けど、そんな人に使われることでしか、自分は生きられない、という悲しい状況に、バカ女は置かれていた。罪悪感を抱いた秘書と、落選するように動くが、それも所詮は蟷螂の斧に過ぎない。

意に反して当選してしまったバカ女は、「もう何も変えられる気がしないっ!」、と秘書に八つ当たりする。冷静な秘書は、「できるかできないかじゃないんです、やるんです」と応じる。そして、「やろう」と答えた時、バカ女が、バカでなくなる一歩を踏み出したということなのだろう。人にいいように使われたからこそ、衆議院議員という立場が転がり込んできた。今度はその立場を、こっちが使ってやって、みんなの本当の幸せに近づけられるように働けばいい。使い使われ、それで世の中は成り立っている。

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