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魂の寄る辺へ

生成AIをテーマとしたSF小説です。規定文字数に満たなかったためオールジャンルで応募しております。
作中に登場する人物名、組織などは全て架空であり、内容は全て創作です。


あらすじ


作家のメイジャーとマイナは同時期にデビューした友人同士だ。あるときマイナは感情を理解する次世代AIのモニターに応募し当選する。世間はマイナにAIゴーストライターの嫌疑をかけ始めた。友人として心配するメイジャーにマイナが突然入院したという連絡が来る。面会に向かったメイジャーに、マイナはAIのモニターに応募した真意を話す。それは自分の小説を学習させたAIを遺し己が死んだ後も書き続けたいこと、そしてメイジャーにも小説を書き続けてほしいという願いだった。自律機能を持ったAIが書いた作品は雑誌に掲載されるがまだマイナ本人には及ばない。AIの奮起を促すため、メイジャーは書き続けることを決意するのだった。

プロローグ


「メイジャー! ご覧よ、新しい創作の夜明けが来たよ!」


 同じアパートに住む同期の作家であるマイナが、あいさつもなしに飛びこんで来たのは、今まさに朝食のコーヒーを飲もうとしていたその時だった。

「マイナ、騒々しい。せめて朝食を食べてから来てくれないか」

「ごめんよ。すっかり興奮しちゃって。それよりこの記事を見てくれよ」

 マイナは興奮しすぎて握りしめたのか、しわくちゃになった朝刊を広げて見せてきた。
 新世代のクリエイティブAIモデルの無料提供開始。でかでかと大きなタイトルで書かれたその記事には、すでに赤ペンで印がついていた。マイナの仕業だろう。

「実に創造的な記事だな。もっとも、クリエイティブAI自体はすでに使い古された技術で、もはや目新しい発明ではないということを除けば」

 事実、人間の文化活動におけるあらゆる創作を可能にするというクリエイティブAIが世界にとてつもないインパクトを与えたのは10年ほど前のことだ。しかし話題になったのはほんの数年で、利益を追求しすぎた大企業の技術独占により、発展の好機を失ってみるみるうちに無価値の発明となった。
 それを踏まえて皮肉たっぷりに言ってやると、マイナはとんでもないとばかりに身振り手振りを加えてそれを否定してきた。

「それは違うよメイジャー、よく読んでほしい。ほら、ここの箇所だ」

 マイナが指し示した部分にざっと目を通す。そこにはメイジャーの眉をわずかに動かす内容が書かれていた。

「人間の感情を記憶させる? AIに?」
「そうだ。AIを調整するのと同時に感情も学習させるんだよ」
「そうすればAIが人間のような感情を得るというのか? 馬鹿馬鹿しい!」

 メイジャーは吐き捨てるように言った。
 先のクリエイティブAIがブームの域を出なかったのは、人間の感情を理解しきれないのが要因のひとつだった。どこまでも人間に寄り添うアシスタントという前提がありながら、次の瞬間には全く逆の回答をする。そういうAIの『クリエイティブ』さを人間側が受け入れることは、ついになかった。

「マイナ、君がAIに誰よりも期待を寄せていたことは知っている。だが人間はわがままだ。自分にとって都合のいいものしか必要としない。そして、そんなものはすでに世の中にごまんと溢れている。分かるだろう?」
「もちろん、僕だって恩恵を受けている。そういったものを否定はしないよ。でもクリエイティブAIは、それらとは全く違う次元の発明なんだ。僕は信じたい」
「マイナ……」
「今度は希望モニターのみに配布する形を取るらしい。僕は部屋に戻ったらさっそく応募してみるつもりだよ。できれば君にも認めてほしい。だめかな?」

 マイナは押しの弱い性格だが、こうと決めたらテコでも動かない芯の強さを持っていることをメイジャーはよく知っていた。

「私が認めようが認めまいが、君は自分がしたいことを諦めたりはしないだろう。好きにするといい」
「そうとも言い切れないよ。最も親しい君に否定されてはさすがに心細いからね。僕の話を聞いてくれてありがとう」

 マイナは人の良さそうな笑顔を浮かべると、来たときと同じ勢いで出て行った。メイジャーはそれを見送り、すっかりぬるくなったコーヒーに向かってため息をついた。

2


 ある日の夕方、馴染みの出版社の人間と食事のためにアパートのエントランスを出るところで見知らぬ男と鉢合わせた。

「ちょっとすみません。ジョシュア・メイジャーさん?」
「いかにもそうだが、君は名乗る名前を持たないのかな?」
「これは失礼、小さな雑誌の記者をやってます。トーマスって者です」

 自分よりは幾ばくか若い、やや煤けたシャツを着込んだ若者をメイジャーはじろりと睨みつけた。

「君と君の読者が喜ぶようなネタは持ち合わせていないがね」
「それを決めるのは我々じゃなく世間というものですよ、メイジャー氏。例えばあなたの新作が世界的に有名な賞の有力候補になる、そんな話題でも」

 メイジャーはため息をついた。

「そんな薄っぺらな、見え透いた世辞で私が喜ぶとでも?」
「偉大な作家先生のお気に触ったなら謝ります。ただ、文学の世界も最近は話題性に乏しくていけない。実力も実績も十分なあなたの著作が世界に認められるなら、それは世間の話題をかっさらうことでしょうよ」
「私の著作とやらの表紙さえ見たこともなさそうな人間がよく言う。約束があるので、失礼」
「まさか」

 短いが、鋭い声だった。存外真剣な顔で立っているトーマスを、メイジャーは値踏みするように見つめた。

「あなたの著作はデビュー作から全て読んでますよ。薄っぺらい言葉で言うなら、ファンです」
「それはどうも」
「あなたと同期にデビューした……マイナ氏の著作も読んでいます。あなた方ふたりの作品は全く系統が異なるが、毎回ファンの期待を超えてきますね。まるで互いの山を乗り越えることを競い合っているように」
「フン」

 メイジャーは眉をしかめて背広の襟を正した。

「私の作品にあの男が関係する要素など一切ない。少しは話が通じる奴だとは思うが、それだけだ」
「確かに。デビューしてからのあなたは幾多の賞を手にしてきたが、マイナ氏は鳴かず飛ばずだ。世間はあなたこそが偉大な作家のひとりだと感じているでしょうね」
「……ははあ、君はそういう記事が書きたいのだな」

 メイジャーの指摘に、トーマスは悪びれずにやっと笑って見せた。

「お堅い作家先生と対照的なライバル。シンプルだが興味を引かれるでしょう?」
「ずいぶん長話をしてしまった。これ以上は正式な取材の依頼として問い合わせてくれたまえ。もっとも、取り次ぎがされるかどうかは別の話だが」
「ちょっと待ってくださいよ。マイナ氏の次回作の噂について、聞きたいと思いません?」

 そこでメイジャーの足は止まってしまった。

「噂?」
「はい。彼、次世代クリエイティブAIのモニターに応募して、当選したらしいですね」
「それが何だ」

 トーマスはそこで初めていやらしい笑みを浮かべた。

「俺たち弱小出版社でも昔からクリエイティブAIには関わりがあるもんで……そういう噂はすぐ耳にします。マイナ氏、次回作をAIに頼るんじゃないかって同業者の間で話題になってますよ」

 トーマスの言葉を最後まで聞かずに、メイジャーは足早に約束のレストランまで向かうことにした。

3


 マイナからアパートの彼の部屋に招待されたのはそれからしばらく経ったころだった。
 お世辞にも羽振りがいいとは言えないマイナが、それでも奮発したらしい安ワインを開けてまでもてなしてくれるのは悪い気はしなかった。

「ずいぶんとご機嫌なようだな、マイナ?」
「そりゃあそうさ。君にぜひ見てもらいたいものがあるんだ」

 マイナはグラスワイン片手に上機嫌で、彼の愛用の端末を開いて見せてきた。ありふれたライティングソフトの画面の隅に、見慣れないアイコンのようなものが表示されている。

「マイナ、これは?」
「これが例のクリエイティブAIだよ。基本的には何にでも対応できるけど、僕は文章執筆を重点的に教えてるんだ」

 メイジャーは自分の意識が覚めていくのをはっきりと感じた。いつぞやの記者が言っていた「悪い噂」のことが這い上がるように頭に浮かんだ。
 そんなことはつゆ知らず、マイナは嬉々として語りかけてくる。

「こいつは本当にすごいんだ。悲劇の各キャラクターの心情はもちろん、ミステリのロジック、群像劇の時系列も見事に把握して文章を組み立ててくれる。ただ、人間の細かい感情の機微は確かに甘いところがあるね。今は僕の小説をもとにして文節や単語に秘められた心の動きを学ばせているよ」
「マイナ……それは」
「このままでもそれなりの小説は執筆できるレベルに達しているとは思うんだけど、それだけではだめだ。キャラクターの心情と、書き手の……作者のマインドというものも絡めて学習してもらわなければ」

 メイジャーはそこで意を決して言った。

「マイナ、クリエイティブAIを執筆に使うのは止めたほうがいい」
「……どうして?」

 マイナは呆けたような顔でメイジャーを見つめる。そんな姿を見るのもつらかった。

「良くない噂が広がっているぞ。君が話題性とか……理由はさておいて、最新のクリエイティブAIに自分の小説のようなものを書かせようとしている、と」
「つまり、僕がAIにゴーストライターの役割をさせようとしてるってこと? いやはや、驚いたね」

 マイナはまるで他人事のようだ。どこまでもマイペースな彼の様子に、メイジャーは苛立った。

「落ちついている場合か? 君の次の新作はAI製だとか根も葉もない中傷を受けるかもしれないんだぞ」
「噂は噂だろ。それに僕の作品はモニターに応募する前にとっくに入稿してる。AIの入る余地はないよ」
「そんなこと世間の人間に分かるものか!」
「メイジャー、どうしてそんなに怒ってるんだい?」

 マイナは本当に理解していないのだ。謂れのない誹謗中傷に心が傷つくかもしれないことも、自分のキャリアがそれを受けて崩れ去るかもしれないことも。

「私は君こそ理解しがたい。自分の評判を地に落としてまで情熱を注ぐ価値が、そのクリエイティブAIとやらにあるのか? 作家はいい作品を書いて、世間の人間に読んでもらい、刺激を受けまた新しい作品を書く。それでは不満なのか?」
「……メイジャー、君は本当に小説を書くのが好きなんだね」
「急になんだ。話を逸らさないでくれ」
「逸らしているつもりはないよ。僕も一言一句、君と同じ気持ちさ」
「だったら……」
「でも、君と僕とでは決定的に違うことがある」
「それは何だ?」

 マイナは手にしていたワイングラスの中身を飲み干した。ヘーゼルグリーンの瞳は正気のままで、困惑するメイジャーの姿を映していた。

「時間がないんだ、メイジャー」

4


 マイナの新刊が書店に並んだのは寒い冬の日だった。小さなスペースだがしっかりと新聞広告に載っているその著作を購入するため、メイジャーは朝一番に町の書店へと向かった。
 店内にはちらほらと新刊を手にしている客が見られた。それに少し気を良くして、メイジャーも一冊手に取る。

「君ってその作家のファンだっけ?」
「ええ。派手な内容じゃないけど面白いの」

 若いカップルの女性が手にしたマイナの新刊を見て、男性が言う。

「でもその人、クリエイティブAIの信奉者なんだろ。新作もAIに書かせたんじゃないかってファンの間で議論されてるとか」
「まさか! 根拠はないでしょ」
「分からないぞ。作品を支持するファンの間で議論が起こるってことは……」
「失礼」

 メイジャーはわざとそのカップルの間を裂くようにして、レジまでの通路を押し進んだ。それ以上彼らの会話を聞いていたら怒鳴りつけてしまうところだった。
 
 何食わぬ顔で会計を済ませ、そのまま通りを抜けて広場のベンチに腰かける。人々はみな白い息を吐きながら、足早に行き交うだけだ。買ったばかりの新刊をさっそく開いて目を通すメイジャーの姿を気に留める者は誰もいない。
 
 繊細な心理描写、水を含んだ紙に描かれる水彩絵具のように淡く広がる情景――そして、含みを残したまま締めくくられる愛の物語。
 表紙を閉じ、しばし己の目も閉じて余韻を楽しむ。登り切ったと思っていた見晴らしのいい山頂から、さらに高い山が目の前にそびえているのを見た思いがした。
 目を開けたメイジャーは密かに微笑むと、ベンチから立ち上がり自宅のアパートまで戻っていった。

 アパートに帰ったそのままの足で、マイナの部屋のドアをノックした。

「マイナ、私だ。少しいいか?」
「ああ、どうぞ入って」

 すぐに歓迎の言葉が中から聞こえて玄関のドアが開かれる。マイナは起きたばかりのようで、髪も髭もぼさぼさの有様だった。

「ごめんねこんな格好で」
「かまわない。これを読んだ感想を伝えたいだけだ。読み直しているからその間に整えるといい」
「ああ……ありがたいね。じゃあお言葉に甘えて」

 リビングのくすんだ水色のソファに座り、マイナの新刊を開く。その間にも著書の主は、ばたばたと忙しなく動き回りながら人間の姿を取り戻すためにあれこれ準備しているようだった。

「おまたせ。改めて新刊お買い上げありがとう」
「お互い様というやつだ。今の時代でもなお、本は書店での初動で大きく売り上げが変わる」
「不思議なものだね。ネット書店やオンライン販売、読者が便利と思う売り方を重視すればいいのに」
「私は便利かどうかよりこの紙の感触が失われることが耐え難い」
「君は昔からそうだったものね。どちらにせよ僕にはとてもありがたいよ」

 マイナは柔らかく笑ってみせると、キッチンから背もたれ付きの小さな椅子を持ってきて座った。

「さあ準備できたぞ。メイジャー先生のご感想をお聞かせ願おう」
「もちろんだとも。まず今作の時代背景だが……」

 感想というよりは批評に偏りがちなメイジャーの言葉を、マイナは満面の笑顔で聞いている。お互いの著作が出版されるたびに部屋を訪ね、思い思いに感想を語るのはとても幸福な時間だった。

「……以上だ」
「ありがとう、メイジャー。おおむね君の好みに合っていたようで安心したよ」
「好みの問題ではない。君の書く物語は君にしか書けない、唯一無二というだけの話だ」
「それだけにしてはとてもよく読み込んでもらえたようだけど。自分でもいつ書いたのか分からないような箇所まで」
「聞き捨てならないな。どこだ?」
「ああごめん、今のはなしで」

 おどけるように笑っていたマイナは、ふいに真剣な顔で聞いてきた。

「どうだい、クリエイティブAIが書いたように読めたかい?」
「……まさか先日のことを根に持っているのか?」
「そんなことはないよ」
「断言する。これは君が書いたものに他ならない。読めばすぐに分かることだ」
「光栄だな」
「まだ続けているのか。その……学習とやらを」
「ああ。もう少しなんだ」

 マイナは乾いた自分の唇をぺろりと舐めて言った。

「どうしてその単語を選んだのか、その表現を使う必然性はなにか。僕のクリエイティブAIは、作家の心情を推測して書くレベルにまで到達したよ」
「どういうことなんだ? それは」
「僕ら作家は、書きながら頭の中であらゆる可能性のシミュレーションをし、架空の人物の感情を考察して物語を組み立てている。AIは独自のアルゴリズムで人間の感情を解析し、それらしくふるまうことができていたけど、以前のモデルは『らしい』止まりだった。だけどこいつは違う。僕の意図を理解して言葉を選び、与えたテーマに最もふさわしい文章を……小説を書くことができている」
「そうか。もう、十分なんじゃないのか?」
「いや、まだだ」

 マイナの瞳がぎらりと野心的な輝きを放った。

「かなりの時間と学習リソースが必要だったけど、もう少しなんだ。あとちょっとでこいつは僕が書く文章を全て理解することができる」
「なんだって?」

 知らず険しい顔になっていたのかもしれない。マイナはそれを宥めるように声を抑えた。

「僕の考えるような、僕が書いたような小説を書くんだ。そうなるように僕がこいつに教えたんだ」
「なんて馬鹿なことを!」

 全身の血が滾るようだった。感情の赴くままにメイジャーはマイナに詰め寄った。

「今しがた言ったばかりだろう? 君の作品は君にしか書けないと! それが君の価値なんだ、マイナ。唯一無二の、君だけの輝きなんだ。どうしてそれを理解できないんだ!」
「メイジャー……ありがとう」
「安易に分かったふりをするな! 君はなにも分かっていない!」
「そうだね、本当は君の言うようには理解できていないのかもしれない。それは謝るよ。僕は本当に幸せ者だ。僕のために本気で怒ってくれる君のような友人がいるんだから」

 少しだけ冷静を取り戻してメイジャーはソファに座り直した。マイナはいつもの穏やかな笑顔に戻っている。

「同意してほしいとは言わない。ただ、知っていてほしい。これは必要なことなんだ。絶対に」
「悪用をするわけではないんだな?」
「そんなことはしない。君と、僕の読者に誓うよ」
「なら何のために?」
「それは……まだ言えない」

 もどかしさが全身を内側から刺してくるようだった。大事な話をしているはずなのに、どうしてこの男はこの期に及んで隠し事をするのだろう?

「マイナ、これだけは信じてほしいが……私は君が心配だ。いつでも君のことを慮っている」
「そうなのかい? なんだか申し訳ないよ」
「茶化すな。その……心のほうだ。何を弱気になっている。自分の才能が信じられないのか?」
「才能か。作家になってこのかた自分の才能なんてものを信じたことはないけど、この仕事は天職だと思っているよ」

 マイナは柔らかく笑む。こちらを安心させるような表情だった。

「いくらかの読者もついて、細々とだけど新刊も出させてもらえる。なにより、発売日に感想を伝えにきてくれるような友人がいる。これ以上なにか望んだら罰が当たるよ」
「君はそれ以上のものを手に入れられる人間だ」
「よしてよ。そんな柄じゃない」
「私の言葉が信じられないのか?」
「いいや。僕にはもったいないくらい、嬉しいよ」

 マイナは両手を広げてメイジャーに親愛のハグをした。体温だけではない温もりが伝わってくる。

「メイジャー、ありがとう。君がいてくれて良かった」

 その言葉は温かくメイジャーの心に染み渡っていった。

5


 マイナの新刊の書評が雑誌に掲載された。どれもこれも内容について語るどころか、クリエイティブAIに魅入られた愚か者を断罪するような内容で、ひと目見て虫唾が走る有様だった。

「あれじゃまるでゴシップ雑誌だ。うちだって近年あんな下品な文章なかなか載せられませんよ」

 出かけるメイジャーの後ろを、いつの間にかついてきていたトーマス記者が呆れたように言った。

「ついてくる許可を出した覚えはないが?」
「たまたま行き先が同じなようで」
「弱小雑誌社の駆け出し記者がよその記事を貶せる立場かね?」
「これは手厳しい! けど記者にだって記事の良し悪しを語る権利くらいはありますよ」

 トーマスは存外本気で怒っているらしく、しつこく後を続けた。

「あんな記事で給料がもらえるなら、俺に書かせてくれればいいのに」
「君に任せる理由はないだろう」
「ありますよ! 俺ほどあなた方ふたりの著作を読み込んでいる記者もいません。マイナ氏の今回の新作も素晴らしかった。俺に言わせるなら……」

 そう言いながら即興で語ってみせるトーマスの書評とやらは、なかなかどうして、的外れな内容ではなかった。

「悪くはない。君もあの作品を読んだのか」
「当然です、発売日に手に入れましたよ」
「自らファンと公言するだけはある。少し見方が変わったよ」
「お褒めいただき光栄です」
「それで君はどう思う。心無い者たちと同じように、マイナはクリエイティブAIに骨抜きにされていると思うのかね」

 メイジャーに褒められ得意げに胸を張っていたトーマスは、あっけらかんと言ってみせた。

「どちらでもいいです。例えマイナ氏がAIに書かせた作品を発表したとしても、俺は彼の著作を読み続けると思いますよ」

 その答えはメイジャーの理解を超えていた。思わず立ち止まり、まじまじとトーマスの顔を見つめる。

「正気か?」
「ええ、もちろん」
「AIは所詮AIだ。どんな美文を拵えようが、そこに人の思いはないんだぞ」
「そうでしょうか?」

 大きな橋の上に差し掛かっていたふたりは、欄干の側に立ち止まった。夕暮れの空はまだ明るかったが、すでに街灯の灯りが点いている。

「以前に少しお話ししましたよね。どんなに小さな出版社でも、クリエイティブAIとは関わりがあるって」
「覚えていない」
「ひどいなあ。まあ言った通りですよ。賛否はさておき、便利なので」
「何が便利なものか。粗悪記事の濫造も甚だしいじゃないか」
「そうは言っても、よっぽどうちの雑誌を読み込んでいるんでもなきゃ、どの記事をAIが書いたか、そうでないかなんて分かりっこない。むしろ下手な記者に書かせるよりよっぽど読みやすいものを書きますよ、あれは」
「それは大衆記事の話だろう。作家は別だ、小説は別だ。小説は作家の魂そのものだ。AIなぞに代替できてなるものか」

 少し声が大きくなっていたようで、何人かの人々が何事かとメイジャーたちを横目で見ながら通り過ぎていく。しかし気にもならなかった。

「魂か。確かにその通りですね」
「ああ」
「なら、もしも作家が小説を書けなくなったら?」
「なんだと?」
「書けなくなった作家の魂はどうなりますか?」
「なにを馬鹿な。作家は死ぬまで書き続ける。そういうものだ」
「言い方を変えましょう。もしも作家が自分ではどうにもできない、なんらかの事情で小説を書くことができなくなったとしたら?」

 トーマスの言葉は冷たく、突き放すようにメイジャーに問いかけてくる。そこにお調子者の彼の印象は一欠片もなかった。

「作家の魂は永遠に失われてしまうのでしょうか」
「なにが言いたいのか分からない」
「これは失礼。俺が言いたいのはね、クリエイティブAIもそう悪くはないってことだけです」

 次の瞬間にはトーマスは人の良さそうな笑顔に戻っていた。

「AIはね、書けない人間も書けるようにしてくれるんです。うちだけでなく今はどこも人手不足なんで、作文も書いたことないような人間でも記者として採用します。で、当然書けない。そこでどうするかって言うと、取材だけは真面目に行かせて記事はクリエイティブAIで書かせるんです。それを一年ほどかけてみっちりと行う。するとどうなると思います?」
「さあな」
「読点の打ち方も分からなかったような人間が、一人でそこそこ書けるようになるんです、これが」
「馬鹿馬鹿しい。AIが書く記事の真似事をしたに過ぎん」
「実際そうでしょうね。でも、我々だって何か書く素地は誰かの真似事から始めたわけで」
「それを否定はしない。だがその『AIの弟子』が作家になることはないだろうな」
「なるほど。俺は逆ならあり得るんじゃないかと思っているんですよ」
「逆?」
「ええ」

 トーマスは自分で己の言葉に納得したように頷いている。

「『作家の弟子』であるAIなら、作家になることはできるんじゃないでしょうか?」
「……」

 すぐには何かを返すことができなかった。脳裏に浮かぶのは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたマイナの姿だった。

6


 冬一番の冷え込みとなったある日、メイジャーはアパートの自室で執筆の追い込みに入っていた。
 デスクの上に積んだ資料を睨み、プロットを確認しながら矛盾が起きていないかを一行一節に至るまで確認する。信頼のある編集者のチェックも通すが、自分の作品を世に送り出す責任は全て自分の双肩にかかっている。ここで手を抜くわけにはいかなかった。
 ひと息入れようと天井を仰いだその時、スマートフォンの呼び出し音が鳴り響いた。見ると事務所のスタッフからの連絡だった。

「どうした?」
『お忙しい中失礼します。市内の病院からこちらに連絡がありまして』
「病院?」

 訳が分からなかった。自身は健康そのものだし、かかりつけの医師であれば直接こちらに連絡が来るはずだ。
 電話先のスタッフも困惑しているらしく、声がその様子を伝えてくる。

『それが、入院しているのはマイナ氏で、どうも容体が思わしくないと……その』

 ショックを受けるより先に体が立ち上がっていた。スタッフを急かし、病院の名前と住所を聞き出してから取る物も取り敢えず、アパートを飛び出して地下鉄に飛び乗った。

――いつから? どんな病気だ? 入院したなんて気づきもしなかった。同じアパートの、すぐ近くの部屋に住んでいたのに!

 心臓がうるさいほど速く鳴っている。乗る駅と降りる駅を間違わなかったのが奇跡と言えるほど動揺しているのが自分でも分かった。
 大通りを渡り、目的の病院の受付を済ませて呼び出されるのを待つ。
 ずいぶん長い時間が経ってから、ようやく目の前に白い服を着た女性の看護士がやってきた。

「メイジャーさん、お待たせしました。病室までご案内します」
「よろしくお願いします」

 短い言葉を交わし、看護士の後ろをついていく。病院は新館と旧館が併設されているらしく、メイジャーが案内されたのは旧館にある病室だった。

「面会は三十分です。時間がくればまた呼びに来ますので」
「分かりました」
「では」

 看護士は別の業務があるのか、挨拶もそこそこに足早に立ち去っていった。メイジャーは意を決して、病室の引き戸を開けた。
 部屋は数人が使う大部屋だった。ベッドが4台あるが、半分は空いている。窓に近いベッドのひとつに、マイナは横になっていた。

「マイナ」

 声を潜めて呼びかける。執筆に入る前に見た姿より、マイナはずいぶん痩せてしまっていた。

「メイジャー、ごめんよ。いつもの検査入院だと思っていたんだ。悪いとは思ったけど、緊急連絡先を君の番号にしていたから」

 マイナの両親はすでに他界しており、ほかに兄弟もいないと聞いていた。身寄りのない彼の事情を責める気持ちはメイジャーにはなかった。

「しょっちゅう検査に来ていたのか」
「うん」
「病名は?」
「……」
「今さら黙るな。隠し事はなしだ」
「ガンだよ。たぶん家系なんだ。それで父さんも早くに亡くしたし、それほどショックではないかな、はは」

 力なく笑う姿が痛々しい。メイジャーは何も言うことができなかった。

「メイジャー、ごめんね」
「何を謝る」
「君には迷惑かけてばかりだった」
「過去にしたつもりか? これからも君は私に迷惑をかけ続ける。ずっとな」
「はは、そうしたいな。君とこの先もいられるなら、ずっと」
「そうだ、ずっとだ。迷惑などと思うものか」

 耐えようとしていたのに、俯いた目の先からいくつも涙がこぼれ落ちて止まらなかった。永遠に続くと思っていた幸福な時間が、こんなにも急に終わりを迎えることになるなんて想像もしていなかった。
 情けない己の姿とは対照的に、マイナは穏やかなままだった。その手がゆっくりと上がり、メイジャーの手を握る。

「メイジャー、頼みがある」
「なんだ」
「僕が学習させていたあのAIね、ついに完成したんだ。いや、完成に近い形になった、というべきか」
「この期に及んでAIか。もうそんなものどうでもいいだろう」
「どうして?」
「君は永くない。AIは人間の指示なしでは何もできない。指示を与えるべき君がいないのでは……」
「そうだね。でも違うんだ、メイジャー。次世代のクリエイティブAI、あれが過去のどのモデルとも違うところ。それはね……」

 マイナは満足そうに笑った。

「自律するんだ。もちろん、それを行うための指示は必要だけど」
「そんな……馬鹿なことが」
「馬鹿らしいけど本当なんだ。AIの好きなときに、好きなテーマで好きな小説を書くようになる。だから開発会社は慎重だった。モニターを選別したのもそのためだって。応募書類の分厚さ、君にも見せたかったなあ」

 マイナは面白そうに笑っている。絶望などまるでしていないという様子だった。

「それでね、本題だ。メイジャー、僕の部屋にある端末に件のクリエイティブAIがインストールされている。一度見せただろう?」
「ああ」
「あれの始末を君に任せたい」
「……どうしてだ? 君のAIだろう。言ってくれれば端末を持ってくる。自律の指示は君が与えるべきだ」
「僕はね、メイジャー。半分は君のためにあのAIを完成させようとしていたんだ」
「なんだって?」

 思いを馳せるように目を閉じてマイナは言葉を続ける。

「君の新しい小説を読むたびに、僕は大きな山が目の前にそびえているように感じていたよ。何度も、何度もだ。僕が小説を書き続けていたのは、その山を越えるためだったのかもしれない」

 メイジャーは目を見張った。
 冬の初めのあの日、マイナの新作を読んだ後に見ていた己のイメージと全く同じものを彼も見ていたのだ。

「実におこがましいと思うけどね、僕がいなくなったあと、君が越える山も失ってしまうんじゃないかと心配だったんだ。間違えてるなら謝るよ」
「なにも間違ってなどいない。私も同じことを思っていた」
「本当に? 嬉しいなあ。本当に嬉しい。僕は僕の作品を誇りに思うよ」

 そこで初めてマイナの目の端から涙が溢れ落ちた。メイジャーもそれを見て再び泣いた。
 しばらくふたりで泣き続けてから、マイナがぽつりと呟いた。

「あのAIは僕の魂だ。メイジャー、君に僕の魂を託すよ」
「そんな重大なことを他人に任せるな」
「君は僕に最も近しい他人なんだよ、メイジャー。小説は作家の魂だ。僕は自分が死んだあとも小説を書きたい、書き続けたい。そして君が越える山であり続けたいんだ」
「君はそんなに強欲だったか?」
「自分でも驚いてる。そして、君にも僕が越える山であり続けてほしいんだ」

 マイナの手が一層強くメイジャーの手を握り締めた。

「君の小説が好きだから。君にはずっとずっと書き続けてほしいから」
「君に言われずとも、そうする。作家とはそういうものだ」
「ありがとうメイジャー。君がいてくれて、良かった」

 穏やかに微笑むマイナの顔を強く記憶に留めておけるよう、涙で視界がぼやけるのを必死に耐えるのが苦痛で仕方なかった。

エピローグ


 初夏のまぶしい日差しが降り注ぐ中、駅前の書店でエンタメ雑誌を手に取った。
 表紙には大きな文字で『あの有名作家が遺したクリエイティブAI、衝撃のデビュー!?』と書かれている。
 同じように雑誌を手に取った若い女性が中身を読んでいる。その背後から連れ合いらしい男性が声をかけた。

「それ、君がファンだって言ってた作者が作ったAIだろ?」
「そうだけど?」
「ほら、やっぱり自分の小説も書かせてたんだろ。僕の言った通りだ」
「違うわよ。全然違うもの、あの先生らしさが全然ない。よく書けてるとは思うけど……。どうしてこんなAIを遺したのかしら」
「そうなの? 作り損だったんだなあ」

 女性は興味なさそうに雑誌を陳列台に戻してから書店を出て行った。男性もそれを追う。

「やれやれ、散々だな」

 メイジャーは手に取った雑誌から、隣で苦笑いを浮かべるトーマスへと視線を移した。

「あのポンコツAIの『作品』を掲載するのにどれだけの人間に頭を下げたんだ?」
「言わないでくださいよ。このままクビになってもいいと思って必死だったんです」
「それだけ彼の作品に思い入れを持ってくれたんだろう。感謝する」
「いいええ……おかげさまでこの先の掲載枠もある程度ぶん取ってあるので。それより、本当にうちで短期連載書いてくれるんですか?」
「ああ、もちろん」

 マイナは大事なことを忘れていたようだ。
 大きな山は、互いに越え続けないと意味がないということを。
 マイナの魂にもまた、高い山を見せなければ奮起しないのだろう。作家というのはそういうものだ。

「気長に見守ろうじゃないか。彼が遺した魂を」

 正直なところ短編は得意ではないのだが、新しいことに挑戦するのも悪くはない。手にした雑誌を会計するため、メイジャーは書店のレジへと足を運んだ。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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