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日記"こんな暖かな日は"

 昨日閉じ切らなかったカーテンから陽が射す。それは僕の眼にひたりと照準を合わせていて、たまらず僕は目を覚ました。寝始めてからまだ五時間ほどだった。あと二時間は寝かせて欲しかった。

 しかし身体は覚醒に向けて活動を始めたらしく、さっきまで残っていた微睡の残り香も次第に消え失せていった。たしか、人間の体のどこかには太陽の光を受け取る受容体があって、そこに陽光の刺激が加わる事で目が覚めるんだったか。日陰者の僕には全く似つかわしくない機構だ。

 初冬の寒気と昼間の暖気がせめぎ合った結果、部屋は心地よい温度で満たされていた。久しぶりに過ごす一人の休日というのもあって、一層穏やかな気持ちになれた。こんな日は、優しい音楽を聴いたり、好きな映画を見て、その作品の意図や美しさに思慮を傾けるのがいい。

 そこで僕はハッとした。なんとも気障な事を考えたものだ。一流の美術家だってそんな事は考えないと、頭の中で首を振った。今日は部屋の掃除だってしたいし、銀行に行く用事だってあった。他にも細々とした雑務があった筈だ。一般人たる僕にそんな優雅な日を過ごす資格などない。

 しかしこんな日は、こんな暖かな日には、心が引っ張られる感覚がするのだ。せかせかとした日常に住まう僕を、蝶がまい、薫風が吹き抜け、小鳥が囀る草原へ誘おうとするなにかが僕の心には居るのだ。しかし未だに僕はそいつの手を取らない。その手を取るには、あまりに自分が矮小だからだ。惨めな人間の現実逃避だと僕自身が見なしているからだ。独りで乗り越えるにはあまりに高い壁だった。

「壁を高くしているのはお前自身だろう。」「じゃあいつになったらお前は素晴らしい人間になってこちらにやってくるんだ?」とそいつは抗議する。こうなると暫くは止まらない。美しさを求める僕と、惨めな僕がお互いに主張しあって、それ以外の事を考えられなくなる。
 僕はぼーっと椅子に腰かけていた。
 時間は刻々と過ぎ去っていく。

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