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小噺「足りない」

「足りない、ですね。」

 痩せた男は困り果てた顔をしている。

「一二三四五六、確かに六つしかありません。一つ足りませんよ旦那。」

「ふむ。」

 旦那と呼ばれた身なりのいい男は顎に手を当てて思案げにしている。

「旦那、困りますよ。一つ足りないまま荷を運ぶ訳にはいかない。そんな事をしてしまえば、私は運び屋としての信用を失います。その責任をあなたが取る事はできないでしょう?」

「なるほど。なら俺がその失われる信用の分の埋め合わせをしよう。いくらだ。俺はお前を信用するから、言ってみろ。」

 痩せた男は墨汁を飲み込んでいるかのように苦しそうにした。うううとか細く唸ったかと思うと、また口を開いた。

「わかりました、言います。本当の事を言います。さっき、私は信用を失うと言いました。しかし失うものはそれだけではない。最悪の場合、私はここに帰って来れないかもしれない。そうなったら、ここに残った病気の妻と子はどうなりますか。この前の飢饉のせいで碌に食べてもいない。身体を捩らせるのが精一杯の人間を置いていけば、どうなりますか。死ぬでしょう。もう一度お聞きしますが、あなたはその責任を取れないでしょう?」

「ほぉ。」身なりのいい男は驚いたような、閃いたような声を漏らした。

「なんだなんだ、そういう事情だったか。じゃあ聞くが、お前には他の血筋の宛はないのか?」

「ありません。私の両親も妻の両親も既に死にました。私には兄がいましたが、行方知れずで便りが来た事もありません。」

「そうか。話を変えるが、村の者たちとは仲良くしているか?」

「はい、助け合わねば生きていけませんから。……しかしそれも少し前の話です。篤い親交があった家は、殆どが飢饉の影響で死に絶えるか、引っ越すかしました。」

「ははは。そうか、そうか。」
 
 質問の間、痩せた男は目の前の人間の顔に目を引かれていた。その顔は質問の内容にも、自分の回答にも則していなかったからだ。男の顔は、明らかに笑っていたのだ。

「あ、あの、どうかされましたか?」

 返事はない。

「そういえば、さっきから荷の様子が変だ。ほら、お前の後ろの。確認してくれないか?」

「え?」痩せた男は直ちに振り返った。






「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、」

 身なりのいい男は一つ一つ"商品"を数えていく。

「なな。」

 『奴隷商』の男は満面の笑みを浮かべた。

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