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『The Blind Girl』John Everett Millais

宮沢賢治が詩を「心象スケッチ」と呼ぶなら、
ミレイの『盲目の少女』は絵具で書かれた詩だ。

The Blind Girl (1856)

支えあって生きる

田園風景のなかで、姉妹が小川のそばに腰かけている。一枚のコートを頭からかぶり、二人は雨をしのいでいた。

先ほどまで激しく降っていた雨はやみ、暗さの残る空に現れた二本の虹を、妹は振り返って見上げている。

すり切れた服やごつごつした手は、彼女たちが強いられている厳しい生活を物語る。

膝にのせられたアコーディオンを弾きながら、人々の恵みにすがり、一日一日をしのいでいるのだろうか。

ひと時の静けさ

髪の色は違っても、二人は産まれたときから、あるいはずっと小さな頃から、姉妹同然に過ごしてきた。

四六時中ひくためにつながれた手は、むしろそれが自然となり、そのままくっついてしまったかのように固く結ばれている。

姉は庇護するように、自らのコートで妹を冷たい雨から守っている。

妹は姉の目として、姉は妹の心の拠り所として、支えあい、互いに欠けてはならない存在として生きているのだろう。

遠くに見える街へ向かう途中の樹々はまだ、嵐の余韻のように強風にあおられている。

しかし、小道をはさんだこちら側では風はおさまり、羊や馬や鳥たちが、穏やかな時間を取り戻している。

肩にとまった蝶のように彼女たちも、過酷な生活からひととき逃れ、羽を休めているのだろうか。

彼女たちに見えるもの

盲目の少女のようによく耳を澄ませば、この絵からは、たくさんの音が聴こえてくるのに気が付く。

遠く吹く風の音、くぐもった街の喧噪、草原の風が通るさらさらという音、羊の鳴声、鳩の羽ばたき、雨に濡れた草から滴る露が小川を作っていく音、湿った土を踏みしめるブーツの音。

しかし彼女が最も集中して聴いているのは、妹の声だ。

色のない世界に住む彼女にとって、妹が教えてくれる虹というものは、どんなものなのだろうか。

雨上がりに突然、空いっぱいに架けられた七色のりぼんとは、彼女にとってどんなものであるのだろうか。

彼女はそれを見ることができない。
二本目のおぼろげな光の帯は、妹のつたない言葉から精いっぱい思い描いてみた、彼女の虹なのかもしれない。

たとえその姿を見ることはできなくても、それがどんなに美しいかは、「分かる」ことができる。

しっかりと触れ合っている手と手によって、彼女たちは互いの心を知ることができるからだ。

盲目の少女は、妹の手を聴いている。

盲人に憐れみを

傍に咲く二色の花は弱々しい。

盲目の少女の胸元に書かれた "Pity the Blind (盲人に憐れみを)" ということばとは裏腹に、彼女たちは憐れみという場所にはいない。

彼女たちは、風の日に咲く花であり、雨の中を飛ぶ蝶だ。

画家は、そんなありのままで美しい自然のように、二人の少女の魂を描きたかったのではないだろうか。

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