『The Blind Girl』John Everett Millais
宮沢賢治が詩を「心象スケッチ」と呼ぶなら、
ミレイの『盲目の少女』は絵具で書かれた詩だ。
支えあって生きる
田園風景のなかで、姉妹が小川のそばに腰かけている。一枚のコートを頭からかぶり、二人は雨をしのいでいた。
先ほどまで激しく降っていた雨はやみ、暗さの残る空に現れた二本の虹を、妹は振り返って見上げている。
すり切れた服やごつごつした手は、彼女たちが強いられている厳しい生活を物語る。
膝にのせられたアコーディオンを弾きながら、人々の恵みにすがり、一日一日をしのいでいるのだろうか。
ひと時の静けさ
髪の色は違っても、二人は産まれたときから、あるいはずっと小さな頃から、姉妹同然に過ごしてきた。
四六時中ひくためにつながれた手は、むしろそれが自然となり、そのままくっついてしまったかのように固く結ばれている。
姉は庇護するように、自らのコートで妹を冷たい雨から守っている。
妹は姉の目として、姉は妹の心の拠り所として、支えあい、互いに欠けてはならない存在として生きているのだろう。
遠くに見える街へ向かう途中の樹々はまだ、嵐の余韻のように強風にあおられている。
しかし、小道をはさんだこちら側では風はおさまり、羊や馬や鳥たちが、穏やかな時間を取り戻している。
肩にとまった蝶のように彼女たちも、過酷な生活からひととき逃れ、羽を休めているのだろうか。
彼女たちに見えるもの
盲目の少女のようによく耳を澄ませば、この絵からは、たくさんの音が聴こえてくるのに気が付く。
遠く吹く風の音、くぐもった街の喧噪、草原の風が通るさらさらという音、羊の鳴声、鳩の羽ばたき、雨に濡れた草から滴る露が小川を作っていく音、湿った土を踏みしめるブーツの音。
しかし彼女が最も集中して聴いているのは、妹の声だ。
色のない世界に住む彼女にとって、妹が教えてくれる虹というものは、どんなものなのだろうか。
雨上がりに突然、空いっぱいに架けられた七色のりぼんとは、彼女にとってどんなものであるのだろうか。
彼女はそれを見ることができない。
二本目のおぼろげな光の帯は、妹のつたない言葉から精いっぱい思い描いてみた、彼女の虹なのかもしれない。
たとえその姿を見ることはできなくても、それがどんなに美しいかは、「分かる」ことができる。
しっかりと触れ合っている手と手によって、彼女たちは互いの心を知ることができるからだ。
盲目の少女は、妹の手を聴いている。
盲人に憐れみを
傍に咲く二色の花は弱々しい。
盲目の少女の胸元に書かれた "Pity the Blind (盲人に憐れみを)" ということばとは裏腹に、彼女たちは憐れみという場所にはいない。
彼女たちは、風の日に咲く花であり、雨の中を飛ぶ蝶だ。
画家は、そんなありのままで美しい自然のように、二人の少女の魂を描きたかったのではないだろうか。
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