悩み好転!『禅語の智慧』の物語 No.85
【老後編】
2024年6月28日(金)
悩み事:家族の理解と協力
目次
1、あらすじ
2、禅語「死ぬ時節には死ぬがよく候
(しぬじせつにはしぬがよくそうろう)」の解説
物語のタイトル:老後の決断と家族の絆
1、はじめに
2、剛と慈雨の現在の生活
3、体力の衰えと決断
4、禅語との出会い
5、家族との話し合い
6、新たな旅立ち
7、結びに
8、まとめ
9、ごあいさつ
10、『柔海 剛山流(じゅうかいごうざんりゅう)あるがままの俳句』
物語のタイトル:老後の決断と家族の絆
1、あらすじ
剛と慈雨は、それぞれ息子夫婦と娘家族のもとで別々に暮らす高齢夫婦です。彼らは体力の衰えを感じ、家族に迷惑をかけたくないと考えるようになりました。ある日、レストランで出会った僧侶から「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語を教えられ、その言葉の意味を深く理解します。この禅語を胸に、剛と慈雨は現実を直視し、介護施設への入所を決意しました。家族との話し合いを経て、新たな生活に向けた準備を進める彼らの姿勢は、あるがままを受け入れることの大切さを教えてくれます。
2、禅語「死ぬ時節には死ぬがよく候(しぬじせつにはしぬがよくそうろう)」の解説
禅語「死ぬ時節には死ぬがよく候」は、臨済宗の禅師、馬祖道一(ばそどういつ)による言葉です。この禅語の意味は、「死ぬべき時には死を受け入れるべきである」という教えです。これは人生における避けられない現実を受け入れる姿勢を示しています。目をそむけず、現実をありのままに受け止めることで、心の平安を得ることができると説いています。これにより、恐れや不安にとらわれず、静かに事実と向き合うことができるのです。この教えは、特に人生の最終段階での心の持ち方として大切にされています。
1、はじめに
晩年を迎えるにあたり、多くの人々は自分の体力の衰えや将来について考えることが増えてきます。今回の物語は、夫の剛(ごう)と妻の慈雨(じう)がその現実を直視し、あるがままに受け入れて新たな道を歩む決断をしたお話です。彼らの選択は、家族との絆を深め、感謝の気持ちを再確認するものでもありました。剛と慈雨は共に、家族に迷惑をかけず、尊厳を保ち続けるために、自らの選択で介護施設への入所を決意しました。
2、剛と慈雨の現在の生活
剛は息子夫婦と同居し、慈雨は娘家族のもとで暮らしています。二人は別居の形をとっているものの、定期的に馴染みのレストランでお互いの近況を報告し合っていました。その時間は二人にとって大切なひとときであり、お互いの健康や日常の出来事を共有する機会となっています。
剛は若い頃から健康に気を使い、定期的な運動やバランスの取れた食事を心がけてきました。しかし、最近では膝や腰の痛みが増え、歩くのも辛くなってきました。息子夫婦の助けを借りることが増え、彼自身も負担を感じていました。一方、慈雨も長年家事や孫の世話をしてきましたが、体力の限界を感じるようになりました。特に、夜間に何度も目が覚めることや、手足のしびれが日常生活に支障をきたすようになっていました。
3、体力の衰えと決断
最近、剛と慈雨は互いに体力の衰えを強く感じるようになりました。家事の手伝いも次第に辛くなり、子供たちへの負担が増えていることを実感しました。そこで二人は、互いに今後の生活について真剣に話し合いました。彼らは、「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語を知り、その言葉の意味について深く考えるようになりました。この禅語が、彼らの決断を後押しすることとなります。
剛と慈雨は、それぞれの家族との関係を大切にしてきましたが、同時に独立心も強く、自分たちのことはできるだけ自分たちで解決したいと考えていました。そんな中で、体力の衰えを感じる日々が続くと、今後の生活について真剣に考えざるを得ませんでした。家族に迷惑をかけることなく、自分たちの生活を維持するためにはどうすれば良いか、二人は何度も話し合い、最終的に介護施設への入所を決断しました。
4、禅語との出会い
剛と慈雨がこの禅語と出会ったのは、ある日のことでした。彼らは定期的に訪れるレストランで、偶然にも禅の教えを広めている僧侶と出会いました。僧侶は、二人の話に耳を傾け、彼らの悩みや不安を丁寧に聞いてくれました。その中で僧侶が紹介したのが「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語でした。
この言葉の意味を聞いた剛と慈雨は、初めは戸惑いを感じました。しかし、僧侶が詳しく説明してくれるうちに、彼らはその言葉の持つ深い意味に気づくようになりました。「目をそむけず、あるがままに受け止める」という教えは、まさに彼らが直面している現実そのものでした。
僧侶は、「人生の終わりに近づくとき、それを恐れるのではなく、受け入れることが大切です。目をそむけずに現実を見つめ、あるがままを受け入れることで、心の平穏を得ることができます」と話しました。剛と慈雨は、その言葉を胸に刻み、自分たちの状況を見つめ直すことを決意しました。
この出会いを通じて、剛と慈雨は「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語の深い意味を理解し、自分たちの人生においてもこの教えを実践しようと心に決めました。彼らは、現実を直視し、あるがままを受け入れることで、家族に迷惑をかけず、自分たちの尊厳を保ちながら新たな生活を迎える準備を進めることにしました。
5、家族との話し合い
後日、剛と慈雨は両方の家族を集め、心からの感謝の言葉を述べました。そして、体力の衰えによる介護施設への入所の経緯を説明し、家族全員に了承を得ました。子供たちはそれぞれの親の決断を尊重し、介護施設の資料を検討し始めました。
家族との話し合いは、感動的なものでした。剛と慈雨は、自分たちの決断を真剣に説明し、家族全員に理解と協力を求めました。息子夫婦と娘家族は最初は驚きましたが、両親の気持ちを理解し、支援を約束しました。特に、孫たちが「おじいちゃん、おばあちゃんが安心して暮らせる場所を見つけるために手伝う」と言ってくれたことが、剛と慈雨にとって大きな励みとなりました。
家族全員が一丸となって介護施設の選定を始め、資料を取り寄せ、実際に見学に行くなど、具体的な準備が進められました。剛と慈雨は、その様子を見て安心するとともに、家族の温かさと支えを強く感じました。
6、新たな旅立ち
介護施設への入所という新たな一歩を踏み出すことは、決して簡単な決断ではありませんでした。しかし、剛と慈雨は「あるがままに受け止める」ことの大切さを理解し、前向きに受け入れることにしました。この新たな生活の中で、彼らは引き続き家族と心のつながりを持ち続けることを願っています。
介護施設での新しい生活は、不安もありましたが、同時に希望もありました。剛と慈雨は、施設での生活がどのようなものになるのか、期待と緊張が入り混じった気持ちでいました。しかし、施設のスタッフや他の入居者たちと触れ合う中で、新しい友人関係が生まれ、充実した日々を過ごすことができると感じるようになりました。家族とも定期的に連絡を取り合い、面会のたびに楽しい時間を過ごしています。
剛と慈雨は、新しい環境での日々を楽しむとともに、自分たちが選んだ道に満足しています。彼らは、家族の支えと禅の教えによって、心の平穏を得ることができました。施設での生活が安定し、新しい友人たちとの交流も増え、彼らの生活はより充実したものとなりました。
7、結びに
この物語を通じて、剛と慈雨がどのように現実を直視し、あるがままに受け入れて新たな生活を迎えたかを知ることができました。彼らの姿勢は、家族との絆を深めるとともに、自分自身の人生をより豊かにするための一歩でもあります。読者の皆さんにも、人生のさまざまな場面で「あるがままに受け止める」ことの重要性を感じていただければ幸いです。
剛と慈雨の決断は、勇気ある一歩であり、家族の理解と協力を得ることで実現しました。これからの生活がどのようなものになるかは未知数ですが、二人は前向きな気持ちで新しい生活を楽しむことを決意しています。彼らの姿勢は、多くの人々にとっての励みとなるでしょう。
彼らの物語は、「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語の教えを通じて、人生の終わりに向き合う勇気と、あるがままに受け入れることの重要性を示しています。この教えは、どのような状況においても、私たちが心の平穏を保ち、自分自身の人生を豊かにするための指針となることでしょう。
8、まとめ
剛と慈雨はそれぞれの子供たちと別居し、晩年を迎えていました。体力の衰えを感じ始めた二人は、家族に負担をかけないために介護施設への入所を決意します。レストランで出会った僧侶から「死ぬ時節には死ぬがよく候」という禅語を教わり、その教えを胸に現実を受け入れる決意を固めました。家族との話し合いを経て、施設への入所準備を進める中で、家族の支えと理解を感じ、安心感を得ることができました。彼らの姿勢は、あるがままを受け入れ、心の平安を得る大切さを示しています。
9、ごあいさつ
皆様、この物語をお読みいただきありがとうございました。剛と慈雨の決断と家族の支えを通じて、老いと向き合う勇気、そして禅の教え「死ぬ時節には死ぬがよく候」の大切さを感じていただけたでしょうか。これからも心の平安を求め、現実を直視し、あるがままを受け入れる姿勢を大切にしてください。皆様の人生が豊かで平穏なものでありますよう、心よりお祈り申し上げます。
10、『柔海 剛山流(じゅうかいごうざんりゅう)あるがままの俳句』
禅語の「死ぬ時節には死ぬがよく候(しぬじせつにはしぬがよくそうろう)」に関する俳句
晩秋の 夕焼け空に 心澄む
「晩秋の 夕焼け空に 心澄む」の俳句の解説
この俳句は、晩秋の静けさと夕焼けの美しさを背景に、人生の終わりを受け入れる心の平安を表現しています。季節の移ろいと共に、心が澄んでいく様子が美しく描かれています。
晩秋の:秋の終わりを指し、自然が静まり返り、もの寂しい雰囲気が漂う時期です。この時期は、生命の終わりと再生の準備を連想させ、俳句のテーマに深い意味を持たせます。
夕焼け空に:日が沈む瞬間の美しい光景を描いています。夕焼けは一日の終わりを象徴し、同時に命の終わりや転機を示唆する自然現象です。鮮やかな空は、人生の終わりの美しさを表しています。
心澄む:心が静かに落ち着き、澄んでいく状態を意味します。晩秋の静寂と夕焼けの美しさを受け入れることで、心が清らかに、平穏になる様子を表現しています。これは、禅の教えに通じる心のあり方です。
2024年6月28日(金)
柔海 剛山
【追記】
当サイトは個人的な見解や意見に基づいたものでは一切ありません。
多様な文献や資料、そしてインターネット上の情報源を参考にして、可能な限り柔軟かつ包括的な観点から、情報を物語化して提供することを目的としています。
『柔海 剛山流(じゅうかいごうざんりゅう)あるがままの俳句』とは
『柔海剛山流 あるがままの俳句』は、「あるがまま」という表現を核に持ち、曹洞宗の開祖である道元禅師が提唱した生き方の哲学からインスピレーションを受けています。この哲学は、物事をそのままの姿、自然な状態で受け入れ、現実を直視することの重要性を強調しています。この禅の教えに基づき、私の自由律俳句では自然体でありのままの感覚や感情を詩に昇華させるために「あるがままの俳句」という名前を採用しています。
伝統的な俳句は文字数や季語などの厳密なルールによって特徴づけられますが、現代ではこれらのルールに拘束されない形式の俳句も存在します。この形式は「自由律俳句」と呼ばれ、従来の5-7-5の音節制限や季語の必須性を除外した形式です。
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