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須賀しのぶ「また、桜の国で」 雑感

※この記事は作品のネタバレを含みつつ、全体的にまとまりのない雑感です。ご注意を。

「また、桜の国で」は、第二次世界大戦下のポーランドを舞台にした物語である。主人公・棚倉慎(たなくらまこと)はロシア人の父を持つ日本人で、ワルシャワの日本大使館に外務書記生として派遣された。幼い頃に自宅に迷い込んでいたポーランド孤児のカミルとの交流をずっと忘れられずに生きてきた慎は、ワルシャワで元ポーランド孤児たちが組織する極東青年会のメンバーと親しくなったり、ワルシャワに赴任する列車で知り合ったポーランドに住むユダヤ人のヤンと交友を深めたり、アメリカ人記者のレイと知り合ったりしながらポーランドへの思いを強くし、戦争の回避に向けて奔走する日々を送っていた。しかし、奮闘虚しくナチスドイツはポーランドへ侵攻。慎とその周りの人々は否応なしに戦争に巻き込まれていく……。

この物語の大きな軸になっているのが、人種や国家だ。主人公の慎は日本国籍ではあるものの、ハーフという立場ゆえに幼い頃から自身の居場所を常に求めていた。また、ユダヤ人のヤンも、その血のために様々な苦労をする。そしてレイは、本当はポーランド人でありながら紆余曲折あってアメリカ人として生きている。いわゆる「○○人」として括られる枠の中からはみ出して生きている3人が、戦争下という、「国」という枠組みを強く感じさせられる場面において、互いの国の立場を無視して個の人間としてワルシャワ蜂起に身を投じるというところに、「外交」の本質を見たような気がした。繰り返し出てくる一文である、「人が、人としての良心や信念に従ってしたことは、必ず相手の中に残って、倍になって戻ってくるんだ。」という言葉がまさにそれを物語っているけれど、そういう生い立ちの彼らだからこそ、戦争という異常の中で自分の信念を曲げずにポーランドの友を助けるという行動ができたのだろう。現代の私が読むと、ナチスドイツのしていることのあまりの酷さに、「日本がドイツと同盟関係にあっても関係あるかーい!もっと日本の政府もどんどん慎に協力してポーランドを救わんかい!」って思うけれど、その当時はそもそも情報が伝わってないだろうし、たとえそれを知ったからって「仕方ないよ戦争なんだから」ってなるんだろうなぁ。レイがアメリカに情報を渡しても握り潰されたように。実際そうやって「国」という単位での利害によって何度も裏切られている国がポーランド以外にもたくさんあるわけで、そういう国の人に「もう昔のことは忘れてみんな仲良くしようよー、平和万歳!」って言うことの危うさみたいなものを感じる。

そして、そんな彼らの「敵」として描かれたナチスドイツ(とソ連)。読めば読むほどその行為の非道さに愕然とした。繰り返されるホロコースト、文化財の破壊、ワルシャワ蜂起の際は一般人もお構いなく殺し、ポーランド人を根絶やしにしようとしていく。こんなことをドイツが平然と行ったもともとの原因はヒトラーという1人の男の存在なんだなと思うと、ある意味ヒトラーのカリスマ性ってすごい。毎回選挙のたびに「今の政権には満足してないけどじゃあ他誰って言ってもいないんだよなぁ」って文句を垂れている私だが、もしも沢山の国民が「この人ならやってくれる!」って人がいたとしたら、独裁が始まる可能性も充分にあるんだろう。都合の悪いことを隠して、反対勢力を消して、マスコミを使ってうまく人々を煽動して。そう思うと民主制を保つためには強いリーダーは実はいらないのかも。もともといろんな人がいるのが世の中だから、議会だって国のトップだって完璧である必要はないのかなぁと。まぁ、結局強い正義感を持って官僚になったとしてそれを貫いていけるひとが少ないから世の中こういうことになってんだろうけど。なんてことをぐるぐる考えた。

日本でも戦争を経験した人がどんどんいなくなっていて、風化についてが取り沙汰されているけれど、ワルシャワ蜂起も、ナチスドイツの迫害も、多分今同じ状況なんだろう。しかし、こうやってフィクションであれそれを平和な今の私たちに突きつけてくれるものがあるっていうのは大事なことだと思う。棚倉慎はいないけど、戦争という出来事自体は確かに存在したのだから。その頃のことについて日本もよくお隣の国から責められているけれど、ドイツの人たちも多分ナチスのしたことを他国に今でも恨まれているのかもなぁと思った。その国に生きるものとして歴史を知るのは大事だけれど、慎やレイ、ヤンのように、個人としてその国の誰かと関わることは今のほうがずっと簡単だ。人と人の温かい関わりがいつか赦しに繋がっていったらいいなとも思う。当時のことを知らないから言えることなんだろうけど、戦後を生きるってそういうことじゃないかなぁ。

まぁ、何にせよ戦争ダメ、絶対。そのためにきちんと世の中を見て変な方向に進まないように、民主制をきちんと活用していかなきゃなあと政治に疎い私はあらためて感じたわけでした。3人が別れの直前に約束した「また、桜の国で」。作中ではそれは切ない約束になってしまったけれど、私たちがこの国で桜を毎年楽しむためには、そういうことが結局大切なんだろうと。

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