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私の不妊治療④〜移植からクリニックを卒業するところまで〜

治療を続けることを決めたところから、一気に治療が進んでいきました。
クリニックが推奨するスケジュールの通りにそのまま進めていき、手術、採卵、そして移植までやってきた。

不妊治療・妊活に関わる出来事(時系列まとめ)

(時系列まとめ)不妊治療や手術に関わる出来事
2017年10月 初めて婦人科クリニックへ。(33歳)
2017年11月 大きい総合病院での検査を勧められ受診。
2018年2月 手術(子宮頸部高度異形成 円錐切除)
2018年6月 高度生殖医療が可能な専門クリニックへ。(34歳)
2018年9月 他の専門クリニックと総合病院での検査とセカンドオピニオン
2018年10月 体外受精を進めていくことを決意
2018年11月 採卵 
2019年3月 手術(腹腔鏡手術 卵管切除)
2019年4月 移植1回目 👈 第4回目の今回はこの辺りからの話です
2019年6月 流産(35歳)
2019年10月 移植2回目

今回はその初めての移植の話からです。

2019年4月 初めての移植

2018年の11月ごろに採卵し、すでに受精卵を凍結をしていたので手術が完了してそんなに時期を空けずに、移植することとなった。採卵の話はこちら👇

私の不妊治療①と②👇

保管した受精卵は13個。その中で一番妊娠可能性の高い1つをお腹に戻しました。

長かったような短かったような…ようやくここまでやってきたのか、と感慨深い気持ちで、手術室に入った。時間自体は15分とかくらいだったと思う。

実際にお腹に戻す時に、看護師さん?がなぜか手を握ってくれて。看護師さんは慣れているのだと思うのですが、突然手を握られて結構びっくりしてしまった笑

面白いのは、その途中経過がスクリーンみたいなところに映し出されていて、「あ、今入りました」みたいな感じで全て見れるようになっていたんです。

受精卵を凍結することも、受精卵をお腹に戻すこともそうですが、本当に技術はすごいな、と感動することばかり。技術の進歩のおかげで、子どもを望みながらも妊娠にたどりつかない、という悩みを解決できることは本当に素晴らしいことだなと、移植の時に改めて思いました。

2019年6月 流産を経験

タイトルの通り…1回目の移植では流産になりました。
体外受精(顕微授精)さえできれば、うまくいくとしか思っていなかったのですが、甘かった…やはりそんなにうまくはいかないのか。。。となかなか結構ショッキングな出来事でした。

週に1回の診察では、6周目くらいになっても、なかなか育っていない。だいぶ基準の大きさよりも小さく、7週になっても、8週になっても、やっぱりあまり育っていない。。

ちょっとゆっくり育っているのかもですねーと言われていたけれど、だんだん嫌な予感しかしてこなかった。

10週の段階で決めましょう、となり、やはり嫌な予感通り、、妊娠は継続できないだろう、ということで掻爬(そうは)手術をすることになりました。

掻爬手術 (そうはしゅじゅつ)とは・・・子宮の中の内容物をきれいに取り去る手術です。流産などで胎児や胎盤が子宮内に残っている場合、行なう必要があります。

絶対にうまくいく、と思っていたのに挫かれた・・・ちょっと疲れもあったのと、次の移植までも体を休ませる必要もあったので、どうせなら、、次の移植までに何か今やっておきたいことはないだろうかと思い、バリに1ヶ月いってみることにしました

この時の経験は今の自分の価値観を形作っているものだなあと感じます👇自分にとっては面白い契機になったなあと思います。

2019年9月 帰国後

余談ですが・・・帰国後は、ヨガ教室をレンタルスタジオや近くの公民館的なところで自主開催をしていたりしました。

インスタグラムを始めてみたり、自分でワードプレスでサイトを作ってみたり、近所で開催される子ども向けイベントに紛れ込んで教室の告知をさせてもらったり、開催場所の近隣にチラシをまいてみたり、、、と色んなことをやっていたように思います。

知り合いの方もそうですが、始めて会う人や、SNS上で知ってくださった方に、レッスンを受けてもらうことができたり、こうして出会えることの嬉しさをすごく感じていた気がします。

2019年10月 移植2回目

2回目の移植をすることを決めました。ちょうど採卵してから1年が経つ頃でした。1年前にできたものが保存されている。そして、よきタイミングを見計らってできるなんて、本当に技術の進歩に感謝せざるをえませんでした。

これもちょっとした余談ですが…タイミングなんて測るものではない、自然に任せるものである、技術に頼るなんて大丈夫なのか?みたいな出産をやたらと神格化するような意見も世の中にはあるかもしれない。。。

だけど望んでいるにも関わらず産むことができない、という悩みを最新の技術によって解決できる、こんな素晴らしいことはないと思っています。

2019年12月 最後のクリニックでの診察

前回のことがあったので、ここまでは本当にここまで気が気でない、そんな気持ちもありましたが、一方でまあなるようにしかならない、とわりと自然に過ごすことができていたような気もします。

9週から10週を超え、クリニック卒業、となり「おめでとうございます。」と声をかけていただき、最後の診察はいつもの診察とちょっと違う部屋で行われ、どこの産婦人科にかかるか?とかそんな現実的な話ばかり。

「ああ、本当にここにくることはもうないのかもしれない…」部屋を出て、支払いの順番を待っている時には、これまでのことを振り返り泣けてきました。

不妊治療をやると決めたと同時に会社も退職。大きな舵きりをして苦しく感じることも多々あった。自分に対して「何もない自分」というレッテルを貼り、一時期は本当にアイデンティティを失いかけました。

ただその決断をした当時の自分に本当に感謝したし、間違いなくこのことが今後の自分の転機・鍵になるに違いない、そんな思いでクリニックを後にしました。

3年経った今…あれから1度もクリニックには行っていません。また行くことがあるのか、ないのか。それはわかりません。

今思うこと。それはまた次回〈番外編〉で書いてみようと思います。




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