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普通の人、はこの世に存在しないと思う

「普通」という言葉を、人はよく使うけれど、どうしても好きになれない。
世の中には「貴方って変わってるよね。普通じゃないね」と言われる人と、「常識的で普通の人だよね」と言われる人の2通り存在する。らしい。
普通の人、と普通じゃない人。そうやってざっくり振り分けられることにずっとモヤモヤしてきた。

「普通」の定義として「他と異なる性質を持っていないさま(oxfordより)」と言われているけれど、他人と全く同じ性質を持っている人間っているのだろうか。
この先は私の個人的な経験に基づく見解だが、他人と異ならない人間というものを見たことがない。

突然自分語りになってしまうが、私は一卵性双生児だ。遺伝子がそっくりそのまま同じ妹がいる。よく、「似てるね、見分けが付かない」とか、「考えてる事が同じだね」と私達のことを評価する人々がいる。だけど私は、私と私の妹のことを「全く同じ人間」だと思ったことは一度もない。
同じ遺伝子を分け合ったとしても、心臓が2つに分かれた時点で私達はどんなに頑張っても「全く同じ」になることは出来ないと感じてきた。
人間を構成するものは無限だ。先天的に与えられたものだけじゃない。後天的に積み重ねられる経験も大きく影響しているし、それに関しては、毎秒毎秒、私達について回ってくる。
双子とはいえ全ての瞬間を共有する事は不可能であるし、そもそも同じ場所(厳密には「かなり近い場所」)にいて同じ事象を共有していたとしても、それが二人にとって「同じ経験」であるとは限らない。

だらだらと語ってしまったけれど、とにかく私が言いたいのは、「誰かとまったく同じ人間は存在し得ない」ということ。
なんだ、当たり前じゃん!
と思うかもしれないけれど、だとしたら人間に対して「普通」という言葉が用いられることが当たり前になっているのは道理が違うのではないか?
確かに、他人と近い行動をとる習慣というものが、人間にはある。それを「協調性」「常識」などという言葉に置き換えられ、それが出来ることが「普通」とされてきた。
電車に乗るために3列に分かれて並んでいる「協調性」と「常識」のある「普通(のように見える)」の人にだって、それぞれの遺伝子と、積み重ねられた経験と、価値観と、生き方がある。
列に並ばず割り込もうとする「普通じゃない(ように見える)」人も、同じようにその人固有の先天的又は後天的な性質や経験を持っている。

みんな、普通と定義できるような人じゃない。
周りと変わっているように見えやすい人と、外からわかりにくい人がいるだけ。

「自分は普通の人みたいに〇〇できない」
「他人に普通じゃない、おかしいと言われてしまった」
「あなたって普通だね、と言われた」……

そう悩む人は沢山いるように感じる。
私自身も、「普通」という言葉に振り回されて生きてきた人間の一人だ。

「あなたって、常識的で普通の人に見えるけど、話してみたらおかしな人だね」と言われムッとしたり、
「なんで周りの人みたいに普通の恋愛ができないんだろう」と悩んだり、
「周囲の情報を繊細に受け取りすぎてしまう。普通に生きていきたいだけなのに」と、自分の持っている気質を、「普通」という存在しない性質に変えようとしたり。

20数年間、苦しめられてきた。
「普通」に無理矢理ねじ込めようと努力してきたことのしわ寄せ。「普通」の形にする為に一生懸命成型しようと、シワシワのぐちゃぐちゃにしてしまった私自身について、こうして文字に起こして、アイロンがけをして、丁寧にシワをのばして、誰とも違う、ありのままの自分を見つけて愛してあげられるようになりたい。
私は、ほんとはどんな形なんだろうか。
貴方は、ほんとはどんな形なんだろうか。

そんな思いで、noteに日々を綴ることにした。

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