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私はねるねるねるねを食べたことがない

「ねるねるねるね」というお菓子をご存知だろうか。幼い頃、よく食べたという方もいるのではなかろうか。因みに私は、その存在をなんとなく知りながらも食べたこともなかった。「いつか食べてみたい」という憧れを持ったまま大人になってしまった。

私が産まれたのは、ある程度裕福な家庭だった。
両親共にある程度名の知れた大学、大学院を卒業し、誰もが知っているような企業に就職した。当然我が子である私にも、自分達のような人生を歩んで欲しかったに違いない。

教育には時間もお金も惜しまない

それが両親の信念だった。
私自身も、物心つく頃には自分に向けられている期待に気付いていた。優秀でなければ、良い子でいなければと行動するようになっていた。

休みの日に家族旅行はしない。その代わりに様々な教育施設に連れて行って勉強させてもらった。
漫画も読まない。その代わりに毎日新聞のスクラップをし、考察や感想を書いては両親や学校の先生に提出した。
娯楽番組を一切見ない。その代わりにNHKのニュースを見た。沢山の本を読んだ。
流行りの音楽を聴かない。その代わりにジャズやクラシックオーケストラのコンサートに連れて行ってもらった。

そして、小腹が空いた時、ねるねるねるねを食べない代わりに、母が作った無添加で砂糖の少ないお菓子を食べた。

このような幼少期の話をすると、殆どの場合、とても驚かれる。しかし、当時の私にとっては当たり前のことだったし、変えようのない事だった。正直、勉強はそこまで好きじゃないし、遊ぶことも大好きだった。だが、両親に「良い子だ」と評価されることの方がが何より大切だったのである。
特に私は、生まれながらにHSP(Highly Sensitive Person,とても繊細な人)の気質を持っているのもあり、両親が求めているであろうことを察知しやすい。何をするにも、「両親がどう思うか」を考えて行動するようになっていた。

「人間は必ず使命を持って産まれてくる。自分に与えられた使命を全うし、人の為に生きなさい。」

何度も両親から聞いた言葉だ。
そしてその言葉の通り、人の役に立つであろう仕事をする為に進路を選択し、今に至る。
大人になった今でも両親の顔色をうかがい、さらなるキャリアアップの為に大学院に進学しようとしている。実家に帰ると、両親と話すときに緊張してどっと疲れてしまう。
「あなたの親って『毒親』ってやつじゃない?」よく言われることだ。

確かに、安心して心の底から寄り掛かる事のできる家庭ではないと正直思う。しかし、彼らなりの愛を一身に受けて育ったことは事実だ。おかげで、この二十数年間、何をするにも困ることなく、失敗することなく生きてくる事ができた。そこは本当に感謝している。

しかし時折、寂しくなる時がある。
居酒屋で懐メロが流れて、周りの友人がそれを懐かしそうに聴いている時。
小さい頃に読んでいた漫画や、見ていたアニメやドラマの話をしている時。
スーパーの駄菓子コーナーで、ねるねるねるねを買って欲しいと、駄々をこねて泣いている子供を見た時。

幼い頃、駄菓子コーナーを通り過ぎる時、「こんな体に悪いもの、食べさせる親は何を考えてるのか」と小さく呟いていた母を忘れない。
横目に映ったカラフルなパッケージと、ポップな「ねるねるねるね」の字体に心奪われ憧れた事も、「買って欲しい」と言えず、心の中にしまい込んだことも、忘れない。

わがままの言い方を知らないまま大人になってしまった私は、自分の子供を、その子らしくのびのびと育ててあげることができるのだろうか。最近そのような事をよく考えるようになった。

たまには、自分に駄々を捏ねてみようか。
今日の帰りは、ポップなあのパッケージを探しにスーパーに寄ってみようか。

心の中で駄々を捏ねていたあの時の幼い私に、たまにはご褒美をあげよう。
全力で寄りかかってもらえる、甘えて駄々を捏ねて貰える大人になれるように。

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