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皮膚科ではじまる

『金色夜叉』をきっかけに


嬉しいことがあった。

その日の日記には、こう走り書いてある。

気持ち逃さないうちにメモ。

皮膚科で先生が「今大学生?」と珍しく雑談を挟むから何かと思ったら、「渋い本を読んでるなと思って」、と。
待ってる時に読んでた『金色夜叉』を見ていたみたいだった。

それで「貫一お宮だよね?」とか、「大学の課題で読んでるの?」とか二言三言会話して、私も「いやー難しい文体だけどゆっくり読んでます」とか、「文豪に興味があって」、とかいろいろ答えた。楽しい。

最後に「なんか関係ない話ごめんねー」に対して「いや、嬉しいです話せることないので」みたいに返せたのも含めてハッピーな会話。

今日金色夜叉読んでてよかったな、から今日皮膚科きてよかった、とまで思わず舞い上がってしまった。
不意にコミュニケーションを取れたことが、興味を持ってもらえたことが嬉しい。

不意に生まれたコミュニケーションの喜びに、
気持ちがぽんぽん跳ねていた日。

それまで

この病院に通い出したのは半年ちょっと前。
2ヶ月に1度くらいの頻度で通っているから、たぶん4,5回目の頃だったと思う。

先生は男の、おじさんと言うにはちょっと若いかな、というような年齢の
優しそうな人で、高めの声でぼそぼそとしゃべる人。

失礼ながら気が弱そうな人だな、と思っていたのはその話し方からか、
それとも周りの看護師さんたちがみんなテキパキした女性で、その対比からだったのか。

薬の説明もきちんとしてくれてこちらも要望や質問を言いやすい先生だったけど、その日に限って出向く足がちょっとだけ重かったのは、前回の診察の記憶からだった。

ちょうど季節の変わり目からか結構荒れていた肌に先生は首を傾げて、

「ちゃんと薬塗ってる?」と聞いたのだった。

その時の私の中には瞬時に「失望された」と「ごめんなさい」が渦巻いてしまって。(後から振り返ってみると過剰ほどのそれは、おそらく私の学校での嫌な記憶と結びついていたのだけど)結果として、皮膚科は「ちょっと怖いかも」の記憶が残る場所になってしまっていたのだった。

そんなことをできるだけ考えないようにして出向いたその日の私は
『金色夜叉』きっかけの思わぬコミュニケーションによってるんるんになり

皮膚科!好き!な気持ちで病院を後にしたのだった。


それから


『金色夜叉』事変から2ヶ月後。再び皮膚科。

大学何年生だっけ?とカルテをぱらぱらした先生は、
前回よりさらに話を聞いてくれた。

何を勉強してるの? とか
(あ、法学部なんです。政治学が楽しくて......と私。)

政治学ってどんなことやるの? とか。

すっかり嬉しくなってしまった私は、

「先生は大学生の時に進路悩みませんでした?」
とか質問も挟んでみながら、

読みかけの『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)を鞄から取り出して

最近これ読んでて〜と先生に出してみるなど、喋りたい話を全部喋る。

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(しっかり本も手にとってくれて興味持ってくれるじゃん!嬉しい!!)


あれ、カウンセリングだっけ?
と思ったくらいしっかり話を聞いてくれた先生は、

きちんと薬を出してくれ
「日焼けして肌が荒れるんですけど」という私の訴えを聞いたあと、
ほぼ金髪に原色ノースリーブの私を見て
「ファッションに合わないかもしれないけど...日傘を差すとかして日光に当たらないほうがいいね」と遠慮がちに教えてくれた(かわいい)


それから の それから


話はまだつづく。

先生が名カウンセラーぶりを発揮して私の興味関心を聞いてくれたおかげで
私は久しぶりに自分の「やりたい」を純粋に言語化する機会を得た。

法学部にいて、政治学に興味があって、比較政治学とかいくつかの国の政治体制を比較するのが楽しくて...と喋っているうちに、
「なんか将来のこととか、学問をどう形にするのかとか言われると
 焦っちゃうけど、やっぱり学ぶのは楽しいんだよな」
ということを思い出し、ついでに法学系の授業に追われていながらもそういえば比較政治学に手を出したかったことを思い出す。

そして久しぶりに比較政治学のテキストを手に取り、読み、ノートを書き始め...。1ヶ月たった今、だんだん終わりが見えてきたところだったりする。

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(適応障害をだましだましで大学に通っている私は
復学後1年経って再び大学の授業に辛さを覚えてきたところで。
ここでまた「教科書」なるものに手を出せたことは、
「大学が苦手」なことと「学ぶのが好き」なこととは両立できるんだ、
という気づきを与えてくれた点でもとても大きなことだった)

「大学で学ぶ」ことには未だに抵抗があるし、
「学ぶ」ことそれ自体にもともすれば「やらなくちゃ/やったほうが良い」のニュアンスが入ってしまうからまだ苦手なのだけど

ここ1ヶ月のあいだ、
「やりたい」純度100%で勉強できたことはとても嬉しかった。

(そしてそれは「アフガン情勢を比較政治学の観点から見る」という
学びが現実問題とリンクする経験もさせてくれて。
これはまた次の学びにつながっていきそう......!)

そしてその源に「先生が話を聞いてくれた」経験があったことを
振り返って改めて、有り難いなと思う。


はじまったことたち


学びが(再)スタートして、さらに進んだ!
という目に見える成果はもちろん嬉しい。

でも、皮膚科から始まったのはそれだけじゃない。
日頃気になっている私的大事なキーワード
「関係構築」
「コミュニケーション」
「話すこと」
と絡めて、それぞれにもう少しかみ砕いて考えてみたい。

関係構築(の難しさ)

人との間に新しく関係性を築くこと。私は苦手、だと思ってしまう。

例えば同じクラスだったり同じ部活、サークルだったり。バイト先が同じだったり。そういう「同じコミュニティ」に属している人同士で関係を構築することは多々あったし、時間も必要もあるのである意味、慣れていたし出来ることだったのだと思う。同じコミュニティである以上、良い関係であったほうがいいのだから「お互いに仲良くなりたいと思っている(はず)」という背景まで共有していて。

でも。そこを離れて街中に出ると、途端にそれは難しくなる。
例えば道ですれ違ったり、お店で店員さんと話したり、そういう時。
「すれ違う他人同士」とか「店員と客」みたいなキャラクターを勝手にかぶって、そこから抜け出せなくなってしまう。

(個人や感情を出さないやり取りには助けられている部分もあるのだけど)
できればそんなキャラクターを脱して
人と人 として話すこともできるようになりたいなあ、
と思っていた矢先だったので
皮膚科での対話は、1つの成功体験になった。

患者と医者、の枠を超えて。
医者、ではなく個人の興味で「わたしの話」を聴いてくれたと思ったから。


コミュニケーション(って喜びだといいな)

私のコミュニケーションには、結構な割合で「恐れ」が混じっている。
その恐れはまだうまく言語化できないのだけど、
たぶん「傷つきたくない」とか「ジャッジされたくない」とか
ときには「怒られたくない」とかで。

だから会話するときにある程度相手の興味に合わせて話題を選択したり、
特に自分の大事で弱い部分は理論や常識で武装したりもする。

自分にとって「恐れ」が入るコミュニケーションを
相手にさせるのにも申し訳無さを感じて、
それは「話しかけられない」理由の1つかもしれないのだけど。

でもやっぱり
聴いてもらうのって、
興味を持ってもらうのって、嬉しいよね!っていう体験。

人と話すこと、人に対して自分を開くこと。
それは本来、喜びだったんだわ。ということを思い出した体験として。


話すこと(ってやっぱ最強)

コミュニケーション、よりももっと自分側に目を向けた話になると
話すこと。
自分のことを話すこと、
それに耳を傾けてくれる人がいることは
前に進む大きなエネルギーを生む、と思う。

環境が変わる中、友達と顔を合わせるいつもの場がなくなったり
オンラインの場で「どうでもいいこと」がちょっと話しづらくなったり。

話すこと、の重要性をより意識させられる日々でもある。

だから誰かと電話したり、こうやって文章を書いたりして
自分が話す場、アウトプットする場を確保するのには力を尽くしたいし

自分が抱え込んでいるものを手放すことで
私も誰かの話を聴けるような余裕を持っていたい、と思うのだ。


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