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生成AIで建築をエスキスしてみることの可能性

生成AIで建築をエスキスしてみることの可能性

建築を考え始めるとき、スケッチブックやタブレットを開き、ペンを握りながらボヤボヤとしたラクガキからスタートする場合が多いと思います。

その時、頭の中は「無」ではなく、何らかの「言葉」が浮かんでいるはず。
そのモヤモヤなスケッチも、言葉による整理整頓が進み、次第にはっきりとした、秩序だったモノへと変化し、ダイアグラムが描かれたり、次第に抽象化から具象化へと進みます。

では、「生成AIで建築を考える」とはどういうことか?

以下、個人的に思うことですが・・・。

これらを使い、日々、大量に生産される「建築っぽいモノ」は建築ではなく、あくまで「ラクガキ」だと考えています。

スケッチブックに描く、モヤモヤとしたラクガキと同じです。
あまりにもリアルな表現から、一瞬、本物??と見間違えることもあるかと思いますが「ラクガキ」です。

このラクガキをそのまま使うのか、ここから抽象化を行い、一旦引き戻してから思考を巡らせるのか、その先はこれらを扱う人それぞれで分かれていくと思います。(商用利用が可能かどうかなど、法整備の問題も含みつつ)

この生成AIを「敵か味方か?」と、擬人化しながら是非を問うのはナンセンスであり、要は使い方の問題だとシンプルに思います。

少し脱線しますが、最近ではBIM技術もかなり一般化され、建築学生も当たり前のツールとして日々の課題で使用しています。

私が指導する学生たちも日々、BIMと格闘しながら、学外コンペでも優秀な成績を収めています。

しかし、建築教育の場では「BIMってどうなん??」「図面が描かれへんやん!」「なんか嘘くさい」という建築教育者も未だにいます。

恐らく、アンチCADであり、手描きLOVEなことを言っていた建築家も今はCADを使っているはず。

日々、スマホを使い、Googlemapやストリートビューで環境リサーチなんかも行っているはず。

そろそろ自動運転で現地に出向くことになるかもしれません。それかドローンに行ってもらうか、などなど。

だから、そこだけを取り上げるのはナンセンスです。

今は「建築の生まれ方の過渡期」だと感じます。そんな状況を楽しむ余裕があれば良いなと思う今日この頃です。

生成AIは敵でも味方でもなく、あくまで「ツール」です。
AIが人の仕事を奪うだどうだとも言われますが、AIを使える人が新たな仕事を生む(仕事の流れを生む)と考えています。

chatgptと対話を繰り返し、アイデアの模索や問題解決の相談をしながら、生成するためのプロンプト(呪文)を考える。

映画「アイアンマン」でトニー・スタークがサポートAI「ジャービス」と対話を繰り返しながら、パワードスーツを生み出し、危機を乗り越える様子が描かれていましたが、そんな時代がとうとう身近にやってきたと感じます。

これからは建築を生み出すのは建築家だけではなく、小説家や映像作家、俳句の偉人などなど、誰でも参入できる開かれた環境になりつつあるとも感じます。大学の文系学科に「建築空間創造コース」なんかができてもおかしくない。

また、リアルな環境だけではなく、メタバース空間など、バーチャルな空間での建築も求められています。

では、今まで建築を業としてきた者は何をするのか?

ここを考えるオモシロイ時代になってきたなと感じつつ、楽しみながら生成AIもツールとして乗っかって行こうと思います。




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