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#8【1日1冊紹介】。対岸の火事ではない、悪夢的アメリカを描く言語学SF -第6日目-

『声の物語』
著:クリスティーナ・ダルチャー/訳:市田泉(新ハヤカワ・SF・シリーズ)

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《座長の1ヶ月チャレンジ 暫定ルール》
・6月の1ヶ月間、1日1冊の本を紹介する記事を毎日投稿する。
・翌日、Twitterにて通知する(深夜の投稿になると予想されるため)。
・ジャンル、新旧、著者、長短編など、できるだけ偏らないようにする。
・シリーズものは「1冊」として扱う(or 1タイトルのみチョイス)。
・数十巻単位の長期連載コミック作品は原則、対象外とする。

(※保存したままで止めてしまっていて、投稿したら日付が変わってしまいました……6/6更新分です)


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 本のあらすじに目を通して心惹かれ、でも実際に手に取り読み進めると、あらかじめ抱いていたイメージとすいぶん印象が違ったなぁという感じた経験。本読みの方に限らず、誰でも少なからずあると思います。
 自分の場合は、だいたい次の3つのパターンに分かれると考えていて、①予想していたストーリーと違った(=斜め上の展開やクライマックスで意外性が高かった)か、②予想していた満足度と違った(=期待値を上げすぎてしまいやや及ばなかった)か、あるいは、③予想していたトーンと違った(=作品の語り口や空気感が想像したテイストと大きく異なっていた)かという、いずれかに当てはまる場合が多いです。
 そして、このクリスティーナ・ダルチャー『声の物語』は果たしてどうだったかというと、個人的には③つめのパターン――具体的にいうと、想像していたサスペンスフルな雰囲気とはかなり違い、何度もガツンと殴られて胃や臓腑をかき回されるような苦しさと嫌悪感を覚えながら、薄氷の上を歩くような息が詰まる思いで読み進めた、とてもヘヴィーな1冊でした。

 ディストピア小説と分類されるものの多くは、おおよそ近未来を舞台に「すでにそのように成り立ってしまっている」架空の国家や社会が描かれることがポピュラーですが、この『声の物語』では、何と現代のアメリカで、超保守政党が政権を掌握したことで(執筆&刊行当時の、差別的な発言を繰り返しつつも一部から熱狂的な支持を得た、かの大統領政権よりもはるかに!)悪夢的な管理社会が立ち上がっていき、些細な日常からじわじわと人びとの暮らしや価値観が変質していくさまが、かつて認知言語学者だったマクレラン家の妻にして三児の母親である、ジーンの目線から語られます。

 先導的な牧師であるカール・コービンが唱える思想「ピュア・ムーブメント」。キリスト教原理主義的で女性蔑視を正当化するその思想は、バイブル・ベルトと呼ばれるアメリカ中西部から南東部を中心として、徐々にアメリカ全体へ広がっていき、推し進められる政策とともに強制力を持つようになっていった。やがて、すべての女性は手首に「ワードカウンター」と呼ばれる、一日に百語以上のワードを発すると強い電流が流れるブレスレットを取りつけられることで、言葉を使う自由を取り上げられ、意見を言うことはおろか、そもそも読み書きすら教えられず、学問や仕事、参政の自由までも奪われて、家庭に押し込められることを強いられていく。
 ジーン・マクレランはこの暗鬱な状況が成立するまで、友人から幾度も抵抗や運動への参加を誘われても関心を持たず、すげなく断ってきた過去を悔いながら、変わってしまった生活を淡々と過ごしていた。すでに長男は「女にある仕事をさせて、男にほかの仕事をさせるほうが生物学的に理にかなっている」と、悪びれもせず言い放つほどに「ピュア」の思想に毒されていて、最も幼いソニアはカウンターのせいで、その日学校であったことを母に話すこともできないでいる。心には不満や澱が積み重なっていくも、紙とペンで気持ちを綴ることも許されず、またそんな状況に何の批判的態度や気遣いの言葉も表さない夫へのイライラも、ただただ募るばかり。
 そんなある日、ジーンのもとを突然、大統領の側近たちが訪れた。彼らはジーンに、大統領の兄が事故で脳に損傷を負ってしまったことを告げ、そしてその兄を治療するための研究チームに参加してほしいと、ある条件と引き換えに持ちかける――損傷部である「ウェルニッケ野」と呼ばれる言語機能を司る部位について、ジーンはまさにその治療研究の第一人者だった。

 治療法確立までに与えられるタイトな条件と期限、日々差別的思想と発言を強めていく息子、娘のソニアを守るための葛藤、頼りない夫に冷えていく心、不倫相手だった研究者との再会、レジスタンスの存在、そしてプロジェクトの裏に仄見える不穏な動き……と、さまざまな障害や信じがたい出来事に阻まれ、心にも体にもダメージを受けながらもジーンが立ち向かわざるを得ない戦いは、ひたすらに不利で過酷なもの。けれども、だからこそ描かれる寓話的社会のありようが、決していまわれわれの目前で進行しつつある変化や状況と対岸の火事ではない、ということを強く実感させられます(特にジーンが、とある黒人女性と交わす会話で示唆されるさらに恐るべき未来のくだりは、何度読んでも鳥肌が立ちます)。
 後半に入ると展開する、ひたすら針に糸を通していくような研究プロジェクトの顛末、そしてスリリングな脱出劇まで――胸苦しくも、一度読み始めたら止まらなくなること必至の、いま読まれてほしい作品だと思います。


※ブクログにも短評を投稿しています。



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