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#15【1日1冊紹介】ウィットと軽味がひたすら楽しい、現代コージー・ミステリの収穫。 -第13日目-

『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』
著:ロバート・ロプレスティ/訳:高山真由美(創元推理文庫)

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《座長の1ヶ月チャレンジ 暫定ルール》
・6月の1ヶ月間、1日1冊の本を紹介する記事を毎日投稿する。
・翌日、Twitterにて通知する(深夜の投稿になると予想されるため)。
・ジャンル、新旧、著者、長短編など、できるだけ偏らないようにする。
・シリーズものは「1冊」として扱う(or 1タイトルのみチョイス)。
・数十巻単位の長期連載コミック作品は原則、対象外とする。
(※現在入手困難なタイトルを紹介させていただく場合もあります)


* * *

 本でも映画でもアニメでも、とにかく何らかの物語的要素がある対象について語ろうとするとき、「好き」と「面白い」はまったく別の軸であるという考え方は、わりと共感を得られる前提なのではないかと思っています。
 何というか、例えるならライフゲージとスタミナゲージの違いのようなものでしょうか……いや、ゲームを嗜む人ばかりとは限らないので、これでは逆にややこしくしたような気がしないでもないです。
 もちろん究極的にはどちらも主観ではあるのだけれど……言うなれば、おおよそ「面白い」のほうが「何がどう」面白いのかという理屈や客観的な言葉に変換がしやすく、他者との目線や基準も揃えやすい、という感じ。一方で、「好き」は(イコールその逆の「嫌い」もまた)圧倒的に個別具体的にして十人十色の感覚基準なので、どんなに親しい人とであっても共感が困難である場合が少なくありません。

 で、今回紹介したいロバート・ロプレスティ『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』というミステリ連作集。これ、個人的にめちゃくちゃ大好きなんですが……いわゆる衝撃のどんでん返しとかトリックとか伏線とかテーマとか、そういった一点突破の特長を持つタイプの作品ではないため、固有の面白さを説明するとなると、ややもごもごしてしまうのも確かでして。
 けれども個人的にはやはり生涯ベスト級くらいに好きになってしまった一冊なので、以下、頑張って言葉にしてみようと思います。
 50代のミステリ作家であるレオポルド・ロングシャンクス。通称シャンクス。自己紹介でも自分から「シャンクスと呼んでくれ」と言い、ロマンス作家で結婚20余年の妻であるコーラからもそう呼ばれている。そんなシャンクスは、日常の仕事がらみや交友関係などで訪れる先々で、なぜだかたびたび事件や謎に遭遇し、ぶつくさぼやいたりしつつもウィットに富んだやりとりで切り返しながら、何だかんだとそれらを解決に導いていく。妻のインタビューに同行した店で、ふと窓の外に見えた男たちのやりとりに軽犯罪の匂いを嗅ぎつけ(「シャンクス、昼食につきあう」)、殺人容疑で捕まった友人の罪を晴らしてほしいという頼みを断れず、しぶしぶ警察署に赴き(「シャンクス、ハリウッドに行く)、知人の主催するミステリー・ウィークエンドで死体役を務めた翌日、犯人当ての景品である稀覯本が消えてしまうという事態に巻き込まれ(「シャンクス、殺される」)、また自宅を含む近隣一体が所有する車が車上荒らしに遭い、やって来た女性警官から犯人たちは捕まったが押収品の中に違法なマシンピストルがあり、しかしどの車から盗んだものかは覚えていないと供述しているため各住宅を調べていると聞き、シャンクスが自分で通りを歩いてみると……(「シャンクス、物色してまわる」)。
 などなど、人が亡くなる話もありますが、全体としては“日常の謎“テイストのエピソードが多く、またシンプルな謎解きとはやや趣向を異にした展開のもの、ショートショートに近い枚数のものなど、ユーモラスにしてバラエティ豊かなミステリ連作短編集となっています。

――「ぼくは話をつくるだけです。本物の事件を解決する方法など何ひとつ知りませんよ」

 偏屈なところもあるが基本的には常識人で、警察から釘を刺されるたびに上記のセリフを述べ、妻から詰め寄られると言い訳を考えたり誤魔化したりしながらも、冷静な洞察と機転、そして時には「これは作品に使えるかも」というような下心を発揮して、皮肉を交えたりしながら立ち回って事態を落着させる、そんなミステリ作家シャンクスという探偵役の造形がまず、絶妙なバランスで好感が持てます。
 周囲の登場人物も、たいへんいい感じに面倒くさかったり扱いづらかったりして夫婦ともに振り回されたり、またふたりとも作家ということもあって、そういった業界の社交の場の描写では、作家を名乗るただの自費出版のアマチュアにからまれたり、的はずれなインタビューを繰り返す記者に脱線しないようそれとなく水を向けたりと、お仕事小説としても読んでいてついニヤニヤしてしまう「あるあるなんだろうなぁ」という描写が散りばめられてもいます。
 そんなわけで、いわゆる重厚な大傑作というタイプでも、テーマ性が強く深い余韻を残すといった類の小説でもないのですが、短編ミステリとしてはしっかりロジカルで巧み、またどのエピソードも洒脱な読み味でとても小気味良いです。そのうえ現代の話なので、翻訳だといわゆる古典に名作が多い印象の「コージー・ミステリ」の系譜で、ふつうにパソコンやスマホといった昨今のアイテムが登場するという雰囲気もどことなく新鮮。読むごとにひたすら「あぁ、楽しい~」とクスクスしながらページをめくり、気の利いたセリフとともに締まる軽味に嘆息し、全編読了後もしばらく静かな興奮が冷めやらず、「この調子でシャンクスものをあと100作くらい読みたい!」と本気で思っているほどに、個人的には続編を熱望しています。
 ちなみに本書、翻訳者(高山真由美)さんが海外のミステリ雑誌を購読していて発掘し、翻訳の企画を日本の出版社に持ち込んだところから刊行にこぎつけたという、実に貴重な収穫たる一冊でもあります。高山氏の「疲れた日の寝る前に読めるような、軽やかな読み物があってもいいのに」という表現がまさにしっくりくる、ゆったり構えず楽しんでほしい連作短編集です。


※ブクログにも短評を投稿しています。



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