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#5【1日1冊紹介】現代の怪盗が、香港の網を駆ける華文ミステリ。 -第3日目-

『網内人』
著:陳浩基(文藝春秋)

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《座長の1ヶ月チャレンジ 暫定ルール》
・6月の1ヶ月間、1日1冊の本を紹介する記事を毎日投稿する。
・翌日、Twitterにて通知する(深夜の投稿になると予想されるため)。
・ジャンル、新旧、著者、長短編など、できるだけ偏らないようにする。
・シリーズものは「1冊」として扱う(or 1タイトルのみチョイス)。
・数十巻単位の長期連載コミック作品は原則、対象外とする。


* * *

「華文」の勢いが止まらない――日ごろ翻訳小説や海外エンタメを好んで楽しんでいる人は、自分同様にそう感じる機会がここ数年、増えているのではないかと思います。

 先日ついに邦訳も完結した『三体』劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)はもちろんのこと、ケン・リュウテッド・チャンといった中国系アメリカ人作家をも例に挙げるまでもなく、中華圏のSFは今や世界的に注目を集めているし、ミステリもまた、日本の新本格や欧米古典ミステリを読んで育ったという若手作家のデビューが続いているとのことで、日本に翻訳・紹介される作家はまだまだその一部とはいえ、近年「華文ミステリー」という文句をよく目にするようにもなり、こちらもだんだん潮流として定着しつつあるのを感じます。

 この「華文ミステリー」が一躍注目されることとなる流れを拓いた作品のひとつに、陳浩基(ちん・こうき)著『13・67』があります。2014年に発表されるや、翌年の台北国際ブックフェア大賞といった賞をいくつも受賞し、世界12カ国から翻訳オファーを受け、さらにはウォン・カーウァイが映画化権を取得。日本でも2017年に邦訳が刊行され、「このミステリーがすごい!」ほか、ミステリ界隈のみならず、翻訳小説の各種年間ランキングを大いに賑わせました(そして、その帯には大々的に“華文ミステリー最大の話題作”の謳い文句!)。
 ただ――中華圏という意味では間違っていないものの、この作家と作品を「中国」というイメージで括ってしまうのは正確ではありません。なぜなら彼は香港出身の作家であり、『13・67』もまた、香港警察の「名探偵」と呼ばれる警察官が、1967年から2013年にかけての半世紀で関わった六つの事件と活躍を、現在から過去へと歴史を遡行していく「逆年代記(リバース・クロノロジー)形式」でもって、国家ではない香港という社会の政治や生活、アイデンティティの問題を絡めて辿る、という内容でした。
 そんな陳浩基が、現代の――正確には2015年当時の――情報化が進みながらも混沌とした都市香港を舞台に描いた第二長編が『網内人(もうないじん)』なのですが……これが凄まじく面白かった!

 図書館で嘱託の派遣司書として働くアイは、中学生の妹シウマンが住居の窓から投身自殺したことに納得できないでいた。シウマンは約半年前、地下鉄での痴漢被害に遭い、その後、犯人として逮捕された男の甥と名乗る人物により、インターネット掲示板に「叔父は冤罪で、不良の女に陥れられたのだ」という過激な告発文が書き込まれて以来、顔や住所までも特定され、ネット民からの中傷に晒されていた。この人物を突き止めるため、ハイテク調査の専門家である「アニエ」という探偵を紹介され、訪ねるのだが……。

 ――「ああ、俺はお人好しだからね」

『網内人』という字面が連想させるように、インターネットの闇(「網」には入り組んだ人間関係、という意も)がモチーフとなっている本作。実はアルセーヌ・ルパンが大好きだという著者が、「現代の怪盗」として生み出したのが、天才ハッカーであるアニエです。
 染みのついたTシャツの上にしわだらけのジャージ、七分丈のパンツ、鳥の巣のように乱れた髪。正義という言葉を嫌い、しかし妙な誠実さで筋は貫き通し、非道には非道をもって制裁する。このキャラクターが恐ろしく魅力的であることはもちろん言を俟たないし、シリーズ化が構想されているという著者の予告には期待しかないけれども。
 実は個人的にひたすら感心してしまったのが、主人公であるアイの造形と、彼女が「知って」いく道程の描写でした。
 決して幸福とはいえない環境に育ち、香港社会の時代のうねりや容赦ない格差と現実に巻き込まれ、振り回されながらも、強い意志を保って妹を守り生きようとしていた姉のアイ。アニエに「原始人」と称されるほど技術音痴でネットにも疎く、時に独りよがりでズレた発言をしてしまっても、アニエの言葉や指摘に目を開かされ、自身の無知と思い込みを知り、学んでいく。
 そうしてアニエとともに妹を追い詰めた人物を追う中で、少しずつ明らかになる14歳の妹の、姉には見せていなかった姿と、その心の内。「知って」は取り乱し、大きく踏み外し、それでもなお逃げずにまた前を向き、時にはアニエも舌を巻くほどの洞察を示してみせたりして、ひたむきに歩んでは「知って」いく。
 そんなアイとともに進んだ先ですべてを――著者とアニエが張り巡らしていた企みを読者が「知った」とき、それまで見えていた景色は大きく反転します。その時、アイが迫られる深い葛藤と、あるひとつの選択。そしてその向こうに待つエピローグ。
 と、最後まで驚きと味わいに満ちた、至高の華文サイバーミステリ。おすすめです。


※ブクログにも短評を投稿しています。



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