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『君たちはどう生きるか』について語るぜ

注意点

初視聴後、すぐに書いてるので内容グチャグチャでもよければ是非読んでみてください。

感想

一言で言うなら、凄まじい映画でした。

今まで、引退宣言を何度かしてきた宮崎駿ですが、とうとう、作品の中で引退宣言をしましたね。ラストの塔が崩れるところは、

「あぁ…ジブリが終わるんだな」

ということを画面中から感じました。

確かにそうなんですよね。

結局のところ、宮崎吾郎さんの作品も素晴らしいですが、宮崎駿さんを継げるレベルかといわれると、そんなことはなくて、高畑勲さんはもう亡くなられている(また、高畑勲さんの作品は興行的にはダメ)。

また、宮崎駿さんに自覚があるかわからないが、自分を継いでくれる可能性のあった人は宮崎駿さん自身で潰してしまった。

ジブリの栄光も、終わりも宮崎駿さんと共にある。

そんなことが描かれたように感じました。

さらに言えば、この塔の世界を維持するために、主人公に後を継いでほしいという流れは完全に世襲制の投影で、息子の宮崎吾郎さんに宛てた場面でもあったのかなと思います。

「この石には悪意が籠っている」

主人公が終盤、上記のようなことを言っていたと思います(多分、ニュアンスしか合ってないです)。

”面白い物語は悪意のある人にしか作れない”

これは、私が昔から感じていることです。

例えば、私たちはキャラクターの死を見て、感動してしまいます。物語の中で、多く出番のあったキャラであるほど、そのキャラの死は劇的な感動を与えます。

でも、現実は違う。

親しい人間がなくなれば、悲しいですし、引きずりもします。少なくとも、娯楽としての消化なんてしません。

しかし、こと創作物においては違います。

私達はキャラクターの死を娯楽として消費して おり、そのキャラクターを死なせるのは、作り手です。

”自分の作った世界の命を、自分で潰す。”

それは純粋な人間にはできません。それ故に、宮崎吾郎さんに宮崎駿さんは

「アニメをもう作らなくていい、ジブリは終わるんだ」

と伝えたかったのではないでしょうか。

で、この流れは別の解釈もできて、

「アニメなんか見てないで、友達と遊べ!!」

てことですね。

まあ、アニメというか、あらゆる創作物を指しているのでしょう。

そのような、悪意でできた(つまり、嘘)よりも、他者との繋がりを大切にしなさいと。

「卒業しろ!!」

て言われたわけですね。


君たちはどういきるか


この問いに対するこの作品の答えは単純です。

「他者を受け入れろ」

それだけです。

物語の序盤、主人公は母を失います。肉親は父親だけで、知らない世界に放り出されます。新しくできた母親を受け入れることができず、新しい学校で友達を作ることもできませんでした。

完全に内に籠ってしまっていました。

母の死を引きずり、いつまでもシンエヴァのシンジのように蹲る。

そんな主人公が、物語の後半で、新たな母親を受け入れ、終盤では新たな家族を受け入れ、新たな生活を始めます。

つまり、主人公にとって、この物語はある種の通過儀礼だったのです。

子供から大人までとは言いませんが、一人の人間の成長を描いた作品でした。


まとめ

『失われたものたちの本』を読みましょう。今回の映画の骨格は完全にこの作品です。映画をみてよくわからなかった人も、読めばもう少し理解しやすくなると思います。まあ、明らかにいろんな要素を宮崎駿さんなりにアレンジして、プラスはしていますが、根本は同じです。

短い感想でしたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。










母親の少女時代可愛すぎかよ。





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